基本読書

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ゲーム・レジスタンス (GAMESIDE BOOKS) by 原田勝彦

 良いレビュー、レビュー自体に価値がある文章というのは、レビュー対象に興味がない人間にとっても面白いものだ。僕はゲームはほとんどやらないし、やってこなかった上に、ゲームレビューの対象が大半は2000年代のものなので、「遊ぶゲームを探す」為には本作はあまり使えないと思うのだが、かなり楽しんで読めた。ここで紹介されているようなゲームをすでにやったことがある人なら、たぶんもっと楽しめるだろう。そういう文章だ。

 それにしても僕がゲームにまるで興味を示さないのは、たぶんゲームが一種の疑似体験装置であるところに原因があるのだろう。車? 乗りたくない。外? 出たくない。人と会話したくない、走りたくない、歩きたくない、一歩も動きたくない、スポーツなんか見るのすら嫌だ、家でずっと本だけ読んで暮らしたい、物語は好きだが自分で操作して物語を切り開いていくなんて面倒臭い(勇者にも英雄にもなりたくない)……そんな人間がたとえゲームの中であっても走り回ったりすることに快感を見出すわけがない(ダメ人間だなこれ)。

 本書は2000年代を中心としたゲームレビュー、コラム集になる。著者の原田勝彦氏は2008年、30歳の時に交通事故でなくなっている、ゲームライターである。コラムを書き、レビューを書いてきた。先に書いたように僕自体はゲーム文化とは遠いところにいた人間だし(ただしゲーム語りを読むのは好き)この原田勝彦が当時から今に至るまでゲーム好きにどれぐらい知られた存在であるのかはよくわからない。

 この本も公式サイトを見る限りでは『は初版少部数の発行につき、本書のご注文をいただきました店舗様のみへの入荷』 となっているためにたぶんそこまで売上が見込まれる知名度でもなかったのだろう。ゲームサイド公式サイト GAMESIDE 知る人ぞ知るゲームライター、といったところだったのではないか。いや、意外と有名人だったのかもしれないが。

 ただしそのレビュー、コラムの面白さは飛び抜けている。レジスタンスの名に恥じないカウンターっぷり、まるで聞いたことがないようなゲームから、今で言うならばクソゲーの名に恥じないようなゲームにも積極的に挑戦し良い所を掬い上げ、楽しくて仕方がないんだとばかりに謳いあげ、時には駄目ゲーを愉快に罵倒してみせる、たとえ駄目ゲーからであっても引き出せる快楽を最大にしようというそのスタンスが文章のノリの良さとあいまって、相乗効果的におもしろくなっている。

 消費者は商品に対し、どのような主観的評価を下してもかまわない。金を払っている以上、駄目と思ったものを駄目と言える自由がある。しかし、それはあくまで主観でしかなく、また真の客観などどこにも存在しないということを知らなければならない。
 ま、なんつーか、所詮は評価なんて気分次第のものに過ぎねーってこった。他人のもそうだいs、自分のもそう。気分がいい時に遊んだら楽しく感じた、ということもホントよくある。
 だから! 駄目ゲーと和解するんだ!! お前が駄目ゲーを許すことを俺が許すからお前も許せる範囲で許すことを許せ! どうしても許せなかった場合は…火をつけて燃やせ(えっ?)。何もなかったことにすれば、心は楽になる。なんかもうわけわからんが、とにかく和解せよ。

 まあ全編こんなノリだと思ってもらって差し支えない。真の客観などどこにもないという言葉通りに、この文章の面白さ、特徴をあげるなら、一つには感情移入しすぎ! なところだろう。ゲームをレビューする時、対象のゲームに極端に自己を同一視させた上での「仮想世界での体験をするプレイヤー(時には車)=俺!」「俺が街中を走り回ったりかけまわったり物を壊したりする=楽しい!!!!!」という強固な軸がある。

 自身がゲームから得た楽しさ、経験そのものの源泉を、わかりやすい言葉にして伝達する、それは本来言葉として沸き上がってくるものではないから、言葉に変換することはなかなか難しいことだ、ましてやわかりやすくするのも。妙に理屈をこねくりまわしてその面白さの本質を理解したようになっている人間もいるが、理屈はむしろ根源的な面白さの解説に失敗してしまった結果であることも多い。

 うまく説明できないから有耶無耶な自分でもよくわかってない言葉を使ってしまう。よくわかってないから、そんな自分でもよくわかっていない言葉を使っても気にならない。誰しもが理解できる簡易な言葉で説明してしまうと、むしろそうした有耶無耶な部分に逃げこむことが出来ないので、簡単そうに見えてけっこう難しいとはそういうことだ。だからこそ、プレイしたこともないゲームレビューが、まるでプレイしたことがあるかのように、楽しむことができる。

 シューティングには何より原始的快楽が必要だ。まず破壊。お前の柔らかな機械の身体を、このそそり立つ太くて硬いレーザーで何度も何度も貫き通してやるぜ! ってな感じで、ショットの撃ち込み感や敵のぶっ壊れ感が秀逸。次に爆発。初代『雷電』の頃からそうだが、セイブの爆弾はずしりと重い。胃に来る重量感だ。
 さらに殺気ある弾丸。これ大事。昨今の弾幕シューティングは弾の数と密度が増加しすぎて、弾を避けているというよりは動く壁の中をさまよっているような心境になってくるが、『ライデンファイターズ』は違う。戦車の砲台がぐるりとこちらを向いて「貴様を殺す」とばかりに憎しみを装填し、小便をちびらすような高速弾を放ってくる。世界を変えるのに革命なんかいらない。一発の銃弾さえあればいいんだとうそぶくスナイパーのごとく、奴らは狙いを定めて俺を殺しに来る。だから……殺される前に殺さなきゃいけないんだ! たとえこの手が血と火薬で黒く染まろうとも(ポエム)

 もちろんだからといって、全部が全部感情移入入りまくりの主観入りまくり文章というわけではない。システム、ストーリー、快感を産み出すロジックの分析、やるべきことはちゃんとやって、要点を踏まえた上で、なおかつそこに飛び道具的に感情をのせて、文章をドライブさせていく。バランス感覚、面白さの感覚といった言葉に出来ないものを的確に言葉に変換していく力、どれをとってもなかなか見ることが出来ないレベルの物で、最初っから小説レビュー書きとしてこの能力がたいそう羨ましく、惚れてしまったぐらいだ。

 話の枕に語られ、時にはそれだけで一回分の誌面を使い終わってしまうほどの自身の私生活ネタはどれも破滅的(ろくに就職せず、就職しても1年、もしくは数ヶ月で退職、常時金がなくゲームすら買えない……そして度重なる体調不良)でゲームレビューどころか私生活までアナーキーであった。私生活とゲームレビュー、ゲームの好みとプレイスタイルがほとんどシームレスにつながっていることもあってゲーム=人生 のような感覚さえウケる。

 たぶんそうそう簡単に手に入れられる本でもないと思うので興味があったら買っておくとよろしい。Amazonでは現時点では在庫がある。僕はKindle版で買った。

ゲーム・レジスタンス (GAMESIDE BOOKS)

ゲーム・レジスタンス (GAMESIDE BOOKS)