基本読書

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Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other by Sherry Turkle

本書『Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other』は2011年発刊の物。出版された本国ではどの程度の評判でもって受け入れられたのかは知らないが日本じゃまだ未訳なんだよね。『衝動に支配される世界』という本で引用されていて読んでみたのだが。15年がかりで主に20代前半までぐらいの若者を対象に「デジタルとの関係性の影響」調査で実施したinterview等を元にした一冊。

全体的にまとまっていて良い本ではあるが、正直interviewや話を聞いて構築した本なんでこれを元に何がどうとか、社会を論じることができると思い込むと危険な物でもある。が、ロボットやAI、VRといった今後伸びてくるであろう分野と人間の関係性がどうなっていくのかと考察する部分はなかなか読み応えがあり、僕が常日頃から考えている事も含めて重なる部分が多いので軽く紹介しようかと思う。自分のバイアスを強化しているだけにも思えるが、割と未来まで含めて各種デバイスと人間の関係性を考察する本は貴重だからね。

主に二部構成になっていて、第一部が今書いたところのroboticsやai、vrといった物と人間の関係性はどう移り変わっていくのかをかなり射程広く扱った部分。第二部がNetworkedと題された章で、常にFacebookやTwitterの反応に追われて我々の集中力が細切れになっている──とか、プライバシーの問題などに触れていく。こっちはまあ、より専門的に扱った類書もばんばん出ているので特に触れなくてもよいかな。この本の中でもよくまとまっているとは思うけど。

翻訳されるのかどうかもわからないから多少まとめる気概をみせよう。基本的に第一部に的を絞っていくけどここで面白いのは──というよりアメリカのポピュラーサイエンスノンフィクションのかったるいところでもあるんだけど異常に具体例が多いところ。とにかくこんな例があってね、こんな例があってね、こんなことを専門家が言っていてね、と具体例で説得力を増そうとする。確かに具体例はわかりやすいんだけど所詮サンプル数1でしかないからあんまり当てにならないし専門家の発言もいくらでも恣意的に引用して意図を変えられるので安易に信じるのは危険である。

でもこの本の場合はいろんな人にロボットとの関わり方の話を聴いたり、そもそもロボの数も日本のジェミノイドの開発者石黒さんとかparoと開発者の柴田さんとか幅広くとっていることで徹底しているのがよい。石黒さんは日本では有名だけどparoの柴田さんは(外国での評価は高いけど)日本での知名度は低いよね。ロボット以外でもたまごっちやAIBO、ファービーのようなdigital petとの関わり合いまで事例に取り入れてとにかく徹底的に、technologyと人間にどのような関係性がありえるのかを考察していく。ただ、持っていきたがっている結論は明らかで、「人間はロボットと肯定的な関係を構築できる」というもの。

たとえば実際にAIBOに癒された、たまごっちが死んだのが悲しかったという人もいるわけで、現在の(というより過去の)出来の悪いロボット&デジタルペットであったとしても人はそこに感情移入することができる。将来的にはたとえば介護ロボは必須だろうし、一日中手間がかかるベビーシットもある程度は任せられるロボが出てくるだろう。そうなったときに幼い頃からある程度相手をしてくれるロボ、それも自分の思い通りになる存在がいたら今後のデジタルネイティブはたぶん僕の世代(平成元年生まれあたり)以上にロボットと人間の間に関係性を結ぶことに抵抗感を感じなくなるし、そこにはまったく新しい関係性が構築されているに違いない。

その世代の子供達は"relationships with less" that robots provide状態へと移行していくだろうと暫定的に結論する。こういう考えはかなりもっともなロジックだと思う。ロボットの進化の方向性についても面白くて、既に考案されているaffective conputingという概念も紹介されている。人間はたとえそれがロボットであっても苦悩して見えるlikeableなものには苦悩を実際に見出してしまうものだから、感情を前提とした設計をしようというもの。もしロボットをより身近な物にしようと思ったら感情表現をするロボットの方が(たとえそれがプログラムされた動作だとわかっていても)受け入れられやすいだろう。

I have come to the conclusion that if we want computers to be genuinely intelligentm to adapt to us, and to interact naturally with us, then they will need the ability to recognize and express emotions, and to have what has come to be called 'emotional intelligence'

ロボに的を絞って話をしてしまったが、話を多少広げよう。本書で何度も繰り返されるのは「デジタルネイティブはテキストメッセージを重視し、電話を嫌う」というもの。2011年に出た本だからinterview対象には僕もぎりぎり含まれているぐらいだけど(2011年当時22歳)、確かに電話は大嫌いだ。発言した内容がログに残らないし、テキストなら自分の好きなときに返信できるのになぜわざわざ電話をかけてくるのか理解できない。発話だと瞬時に考えて裏も取れないけど、テキストなら考えて調べる時間も与えられる。

こうしたある意味ではわがままな性質は増すことはあれ減ることはないだろうというのが本書のロボという支流を統合する大きな流れの一つ。たとえば「好きなときに返信できる」というのがテキストでやり取りすることの大きなメリットだ。そしてそれはインターネットそのものの機能でもある。好きなときに調べ、好きなときに動画を見て好きなときに返信する。テレビのように時間を指定されるのは我慢ならないしみんなが同じ時間に集まらないといけない学校も気に食わない。実際別々の人間を同時に何かやらせるというのは非効率だ。誰しも自分のやりたいこと・やっていることがあるんだから。

いまだに小学校、中学校、高校などはリアルタイム同期性にこだわっているがあんだけ広大な場所を容易し維持し続けていくのは完全に非効率だし、移動は危険でさえある。たまに行事などで集まるときは広い場所を借りればいいだろう。正式な義務教育も順次オンライン受講に切り替わっていくことになると思う。もちろん学校はコミュニケーションを学ぶ場でもあるとする考えもある。だが、オンライン受講が当たり前になった世代が仕事をし始める時代になったら当然会社に集まるなんて事を当たり前に受け入れるはずがないから、分散性はより高まるはずだ。

技術の発展に伴って人はみな自分なりに生活をカスタマイズできるようになっていったともいえる。靴のサイズが異なる人間に無理やり同じサイズの靴を履かせてきたのがこれまでだったとすれば、一人一人の人間に存在するズレを強制的に合わせる必要がなく適正なサイズの靴を履けるようになってきている時代とも言えるだろう。今はまだテキストのメッセージだろうがオンラインゲームだろうが交流する相手は同じ人間であることが多い。でもこれも今後は変わっていくだろう、というのが本書の中核の部分。AIが発展しRoboticsが発展しVRが発展したら人間が人間と交流をする必要は今よりもっと減るだろう。

一緒に将棋をやろうと思っても良い対戦をしてくれる相手が人間であれば最低でも時間だけは同期しなければならない。おしゃべりがしたくても同じで、アニメの話で盛り上がりたくても今じゃあAIじゃ話にならない。でもAIが発展しロボットが発展しまるで人間と触れ合うかのように関係性を結べるようになるとしたら、その時人間は場所的な同期だけでなく時間的な同期からも解放される。

このように考えていくと個が独立し、分散する社会にどんどんと近づいているのかもしれない。この結論は僕の実感とも一致するところではある。本書は第二部でnetworkで繋がる若者世代の注意力が削がれていることや、関係性それ自体を考え直さなければならないということもいうが最初に書いたようにこちら自体は(事例集としての幅の広さとある程度の面白さは担保されているにせよ)そこまででもない。

もう4年も経ってると翻訳されるかどうかも怪しいのである程度包括的に書いてみた。もっとも記事の特に後半部の喩え話とかは本書の要約から少し離れて僕自身の考えをできる限り本書の意向に沿った上で述べたものであることには注意されたし。

Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other

Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other