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権力の劣化が世界を変えている──『権力の終焉』 by モイセス・ナイム

権力の終焉

権力の終焉

本書は主張していること自体はシンプル=権力の劣化が世界を変えている/ながらも、それが現状をごくごく簡単に言い表していて、広く敷衍可能な内容なので実に面白い。書名にもあるようにかつてあった「権力」は今となってはだんだんと衰退に向かっており、ビジネスで、宗教で、メディアで、政治で、軍事で、国家でとあらゆる局面において変化を起こしている。権力の終焉はもちろん良い面もあるが、マイナスな面もある──と語られていく範囲は広い。

著者のモイセス・ナイムは今でこそジャーナリストだが、かつてはベネズエラで政府の開発相に指名されていた人物で、実際にある程度の権力を握ったことのある人物でもある。彼のように政治の中枢に近いところにいて、国家の行く末をある程度左右できるのは確かに権力のもっともわかりやすい形ではあるのだが、しかしそれ以外の権力はなかなかシンプルにはイメージしづらいところではあるだろう。GoogleのCEOは権力があるような気がするが、欧米リーグでプレイするようなサッカー選手は人気だが権力とはちょっと違うだろう。

権力の定義

そこで、本書では権力を次のようにごく簡潔に定義している。

 本書で取り上げるアプローチは実践的なものだ。維持し、失うにあたって欠かせないものは何かを理解することを目標としている。これには実用的定義が必要である。権力とは、ほかの集団や個人の現在または将来の行動を、命令したり阻んだりすることである。別の言い方をすれば、権力とは私たちが他人に行使し、それがなければしなかったはずの行動をさせることだ。*1

他人の行動をコントロールする力こそが権力なのだと。その為にいくつかの力が働く。まず物理的な力=軍隊=首筋に当てられたナイフ=単純な腕力/が挙げられる。軍事的に優勢を誇る国家は、軍事的に劣る国家/国民に対してあらゆる面で権力を有しているといえるだろう。宗教が有する「規範」の力も強力だ。お祈りだとかミサだとか、ラマダンとか生存上必須ではない行動を強制させる力こそが規範だ。

宣伝──は説明はいらないだろうし、報酬も同様だろう。宣伝が目に入ってくれば嫌でも情報は脳に残り影響をうけるものだし、巨額の金を積まれれば人間やりたくないことだってやるものだ。こうした主に4つに分類される力が合い重なって実際の現場では権力として立ち現れてくる。国家のみならず一流の大企業や単純な金持ち、特定の力=宣伝が強いメディアが一定の権力を有している(ようにみながみなしている)理由もこれで説明ができるだろう。

ところが本書の主張に立ち戻れば、今この「権力」は衰退に向かっているのだ。それはつまり物理的な力、規範、宣伝、報酬とそれぞれの力がそれぞれに弱まって/無効化されつつあることを意味する。たとえば直感的に一番わかりやすいところからいくと、メディアの衰退はその原因がわかりやすい。インターネットがあって、個人が簡単に情報発信できるようになった結果多くのメディアはその力を失い、逆に個人発信の情報を拾い上げまとめることをどこも始めている有り様だ。

起こった変化

本書ではそうした原因の大元を、「誰もがより豊かに、選択肢が多様になっている」ことに求めている。世界銀行によれば2005年から2008年にかけて、サハラ以降のアフリカからラテンアメリカ、アジアから東ヨーロッパにかけて1日1.25ドル未満で暮らす=貧困層の定義/の割合が急速に下がったのだという。メディアはさっき挙げた通り革命が起こっている状態だし、多くの人と情報が世界を行き来するようになり、自分たち以外の国でどのような生活が送られているのか⇛国ごとにどのような常識の違いの元生きているのかが一瞬でわかるようになった。

国家/政治家のいうことを国民は前よりも多くを信じなくなっており、理不尽な法律/軍隊による抑制の力は前ほど強くはない。無料で楽しめる/受容できるものが増え報酬が持つ価値は前よりも少なくなり、人々の興味範囲が広くなった結果報酬で惹きつける効果は衰えている。独裁国家は次第に民主主義国家に移行しつつあり、依然として独裁を維持する国家も以前ほど権威主義的ではなくなっている。いくら規制しようとしてもとどめきれない新しい形態の論争/活動によって国民一人一人が力を得ているのだ。

話を多少具体的な方へ戻すと、たとえば軍隊においてかつての「大きな権力」が衰退している事例は戦争の形がいまや一変してしまったことにも見ることができる。アルカイダは約50万ドルの費用でアメリカ同時多発テロを実行したが、それに対してアメリカが被った被害/テロ対策に投じた額は3兆3000億ドルになる。

少数で、自由に攻撃箇所を選べる攻撃者に対して防衛側は被害をゼロにしようと思えば何十、何百倍といった費用を投じて全体防衛を行うしか無い。アメリカが世界の警察であった時代は終わり、今はその軍事力の矛先を限定的にする方へ動いていることからも確かな通り、軍事力においてかつての「覇権的権力」はもはやない。

権力が衰えて世界が変わるからって、何か問題でもあるのか

権力が衰えて世界が変わるからって、何か問題でもあるのか。一部の偉そうにふんぞりかえって人様の行動に関与してくるドアホウ共がこの世界から少なくなっている、なんていいことづくめだ、これからはあらゆる時代において個人がもっとも個人として生きられる時代だと言いたくもなるが、もちろんこれだけ大規模な変化に不利益がないなんてことはありえない。

情報の流れと装備が充実し個人の力が増すのはさっき書いたようにテロリストや海賊のように小規模な武力闘争を行いやすくなることでもある。ISISのような組織はその活動をドラマチックに動画として編集しYOUTUBEにアップロードしてみせるが、たやすく世界に向けて影響力を行使できるのである。政治は以前よりも人々の意見と志向が分極化した結果重要な決定を行うことが年々難しくなっているとする。

権力があまりに分散しすぎ、誰か主体的に物事を決定できる人間がいなくなってしまった場合のうまいシステムがまだ世界には出てきていない。アメリカの覇権システムは終わりを告げつつあるが、それじゃあ次はどこかの国が覇権をとるのか。中国? それとも新しい覇権体制なんてものは現れず、バラバラのまま各所で同盟が結ばれ4つ5つといった複雑な構成な勢力均衡を実現するのか。まったくの無秩序でいいわけがなく、かといってその代替はまだみえない。本書はこうした状況において、どうすればいいのかについて多少のページを割いて語っているけれども、まあちと現段階で「これだ!」としっくりくる結論を出すのはなかなか難しいだろう。

今はまさに激変期であり、ここで挙げられている要素の一つ一つ、経済や軍事やメディアで起こりつつある変化は、これまでいつも個別に語られてきた(あるいはネットの力について書かれた場合は同時だったケースも会ったような気がするが)。本書のわかりやすさ/価値は──「権力の終焉」というキイワードで(原題はThe end of power)その全体の動きをまとめて見せたところにある。ザッカーバーグが突然立ち上げた読書会のクラブで、第一回のテーマに選ばれた本だということだが、確かにそれだけ論争を呼びそうな本ではある。面白いよ。

*1:強調筆者