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自由であること、自分で決めること──『世界の誕生日』

世界の誕生日 (ハヤカワ文庫 SF ル 1-11) (ハヤカワ文庫SF)

世界の誕生日 (ハヤカワ文庫 SF ル 1-11) (ハヤカワ文庫SF)

超高度文明が居住可能惑星に人間型生命の種を撒いた宇宙を描くハイニッシュ・ユニヴァース物を中心として集めた全8篇の短篇集になる。中心として集めた、といってもこの世界を歴史的な視点から描いていく連作短篇群というわけでもなく、基本的にはそれぞれ独立した短篇として特殊な社会状況とそこに現れる我々は大きく異なる常識や価値観が表出されていくのが、まあ、なんといってもル・グインだよねって感じだ。そういうわけでとても純度の高いル・グイン傑作短篇集に仕上がっている。

2篇はその世界から外れた独立の世界を描いているが、特に注目作としては書き下ろされている「失われた楽園」がある。別の地球型惑星へと向けて旅を続けている世代宇宙船物で、「到着前」でも「到着後」でもなく、目的地にはたどり着くことのできない中間世代ならではの価値観や物の考え方を描いたものとしてかなり出来が良い。

それ以外の7篇については、著者自身による序文から言葉を借りれば『つまりこれらの話は、いずれも、われわれとは違う社会形態をもち、その生理機能さえもわれわれとはちがいながら、われわれと同じように感じるひとびとを、内側から、あるいは外側の観察者(土地の人間に同化しそうな)の目で、さまざまに描出している』ということになる。とりわけ、割合としては性をテーマにしたものが多い。

異なる性規範を描いた作品群

たとえば「愛がケメルを迎えしとき」の社会状況は、性別が成長途中で確定し男女に加え中性が存在し、性別への固執を超えた部分で展開される愛を描いた作品だ。続く「求めぬ愛」では、結婚が4人で行われ、性交相手は男女ではなく<朝>と<宵>のペアで決定し当たり前のように同性愛が行われる状況が描かれる。この制度は多少複雑で、たとえば<朝>の男であれば、結婚相手4人のうち<朝>の女とは性交することはできない。性的な関係は<宵>の女と<宵>の男の二人だけだ。

「3人の相手と結婚をしながら、そのうちの1人とはセックスをしないなんて」と疑問に思うが、それがこの社会における性的志向なのだ。家族の形が現実世界とは根底から異なるので、当然そこで繰り広げられる生活上の常識は我々のよく知るものとはまったく異なったものとなる。面白いのは、「求めぬ愛」というタイトルの如く、基本的に4人を結婚の座組とする仕組みのせいである2人が好んで結婚するときにパターンとしてお互いのことをよくしらない2人が巻き込まれるのだ。そりゃそういう問題も起こるだろうと思うが巻き込まれる方からしたらまさに「求めぬ愛」である。

同じ惑星を舞台にした「山のしきたり」では、今度は愛し合ってはいるものの、お互いに<宵>の女であることからその関係を隠して、それでもなお生活を営もうとする二人の女性が描かれる。われわれとは違う社会形態を描きながら、それが「すべてにおいてうまくいっている」例として描くのではなく、その社会ならではの問題が沸き起こってくるのはSF的な面白さといっていいだろう。

自由であること、自分で決めること

性的な規範を中心とした作品を紹介してきたが、別の傾向の短篇としては「孤独」がある。文明後進国の星に調査のためにやってきた一家だが、娘と息子はその土地に適応し、「魔法が存在する」ような土着ならではの世界観を形成していくのに対し母親はそんなものはただの研究対象であって、科学文明に早く戻りたいと願っている。

母親からすれば遅れた未開拓な文明でしかないとしても、子どもからすれば、自分たちが生まれ育った土地で、文化だ。友人らもそこにいる。もしその惑星を後にすれば、二度と会うことはないだろう。娘は母親と共に行くか、あるいはその土地で暮らすことを自分のもって生まれた選択の権利だとして強引に主張するかの重い決断を迫られることになる。性を扱う他短篇などと合わせて共通しているのは「自由であることを望み、自分で決めること」を描いている点だと思う。

最初に紹介した世代宇宙船物の「失われた楽園」は、独立した短篇ではあるが、この「自由であること、自分で決めること」という部分では共通している。何世代も平和に過ごした宇宙船を楽園とみなし、宇宙を漂い続けるのか、はたまたまだ見ぬ地をあくまでも目指し、そこに腰を落ち着けるのかと。どの短篇でも人々は社会規範や文明の衝突、先の見えぬ岐路に際して難しい決断を迫られるが、登場人物たちはみな、より自由であろうと自分なりの決断を下してみせる。

僕はこの短篇集の中では「孤独」と「失われた楽園」の二つが特に好きだけれども、決断が重いんだよね。前者は親ともう二度と会えないかもしれない事に加え、これまでずっと支配的だった親に対してはじめて自立した一個人として決断しなければいけない覚悟の時を描いているのもある。後者はもう単純に、まるで楽園のようで住み慣れた場所にずっと居続けるのか、それとも未知の何かを得る為に前に進むのかという重い二択だ。どちらを選択しても、うまくいかない可能性は常にある。でも人生というのは、そうしたリスクを引き受け決断を重ねていく過程でもある。

ただ、そういう重い決断が連続するル・グイン作品を読んでいて一方で安心できるのは、その価値観のフラットさにあるように思う。『「袋にきちんと詰めれば、梳き毛の大部分はまんなかに集まる。でも袋の両端を縛ったときに、どちらの端にも少しばかりの梳き毛が残る。それがわたしたちだ。けっして多くはないが。でもそれはまちがったことではないんですよ」』と「山のしきたり」で登場人物の一人がいうように。あくまでもマイノリティや作中視点人物と対立する価値観をも否定せず包み込んでいく。「孤独」の親子間対立とか、科学文明にどっぷり浸かっている身からすると親の視点にも同調してしまうもんね。

想像の飛躍を必要とするまったく未知の状況を描きながらも、緻密に作りこまれた世界観や価値観から突き放されることはない。実にル・グインらしい作品が集まった短篇集だ。本書初訳のものが5篇もあるしファンとしては嬉しい。