基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

アメリカ視点のニッポンテーマ小説群──『ハーン・ザ・ラストハンター: アメリカン・オタク小説集』

ハーン・ザ・ラストハンター: アメリカン・オタク小説集 (単行本)

ハーン・ザ・ラストハンター: アメリカン・オタク小説集 (単行本)

これは果てしなく胡散臭い本だ。まず前提として、本書はあのニンジャスレイヤーを作った二人組の一人、ブラッドレー・ボンドが日本をテーマとして扱うアメリカの同人小説を集め、翻訳したオタク・アンソロジーというのが表向きの体裁である。

作品は妖怪ハンター物もあれば、宇宙ステーションを舞台にしたSF、女性主人公のロボット・アクション物もありと多様に取り揃えられていて、その点においてはきちんとした粒ぞろいの短篇集である。そのすべては編者のブラッドレー・ボンドがアメリカで収集した同人作品だから、作品ごとに著者が違うわけであるが、本書の特異性──というか僕が問題にしたいのは、各短篇ごとに「著者の生年や経歴」「その作品の世界観や、その後の話」を語る訳者解説を丁寧に挟んでいくところにある。

短篇紹介

たとえば表題作『ハーン;ザ・ラストハンター』は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公として、1899年になっても江戸幕府が倒れていない不可思議な状態の日本を舞台に妖怪との戦いを描くシリーズ短篇である。『アイエエエエエエエエエエエエエエエエ! 出た! 出たアアアアアッ!』で始まる冒頭や、『勿体つけてねえで、いいからソバをくれッて言ってンだよ! このままじゃ、どうにかなっちまいそうだぜ! 頭がよォ!』とまるでドラッグをせがむようにソバを求める描写など「絶対ブラッドレー・ボンドが書いているでしょ」感のある作品なのだが、著者は「トレヴォー・S・マイルズ」という1976年生まれのオタクだということになっている。

訳者解説では、トレヴォーがニンジャスレイヤーに触発された作品を書いたこと、少年時代は内向的な性格で、怪奇幻想小説ばかり読んでいたが、一念発起としてフットボールやマーシャルアーツをならい、外交的な性格へ至る経緯。その後膝を痛めたのが原因で、過激な暴力描写がウリのFPSなどにハマるようになり、ある日突然本書を書き出した──などの「著者の歴史、プロフィール」が詳細に語られていく。

で、僕はこれを読んで「絶対ウソでしょ」と思ったわけである。実際ウソかどうかなんてわからないが、絶対ウソだよ! いかにも本当らしく語られていくトレヴォーの経歴すべてが嘘くさい。さらには、本書では膨大な作品数のあるハーン・シリーズのうちの2篇だけが訳されているから、「名作エピソード選」として本書には載っていないが、シリーズとして重要だったりおもしろそうな短篇のあらすじも紹介される。

次にくるのは「エミリー・ウィズ・アイアンドレス」という作品で、なんとそのうちの27話だけが載っている。27話とくれば、アニメでいえば2クールもとうに過ぎ、登場人物らの関係はみな出来上がっている頃だ。最初はそうした部分が説明されないから何がなんだかわからないが、読み進めていくうちに各人の因縁や関係性がおぼろげながらに浮かび上がってくる。その上、作品は冒頭からしてぶっ飛んでいる。

六ヶ月前、交換留学生として東京のシブヤ・センパイ・ハイスクールに転入した時から、私の錆び付いていた運命の歯車は回り始めた。私の本当の名前は、エミリー・フォン・ドラクル・イチゾク・ラスティゲイツ・ザ・ドーンブリンガー・M-22。数千万人に一人が持つ特殊遺伝子、ウンメイテキ・ジーンの持ち主であり、富士山の火口から攻めてくる人類の敵、邪悪なカイジュウ・マインドに対抗する力を秘めた、この地球にとっての最後の希望、だった。

エミリーは吸血鬼でありロボットに乗ってカイジュウと戦うという「どんだけてんこ盛りにすればええねん」と思わずツッコミを入れたくなるような無茶苦茶な設定がこの後判明し、短篇だけ読んでも意味がよくわからないところ(人物間の確執、恋愛関係など)は全部訳者解説の登場人物紹介や重要キーワード集などで補完されていく。

・センパイ(Senpai):いわゆる「先輩」の意味で使われるとともに、回を進めるにつれてその意味が拡張され、機動戦士ガンダムにおける「ニュータイプ」あるいはスターウォーズにおける「ジェダイ」の意味をも含む、極めて神聖で強大な存在を示す単語として使われるようになっていく。

中でもセンパイを巡る上記の記述はあまりにトンデモで読んでて吹き出してしまった。訳者解説にしてはおもしろすぎ、本篇との補完関係が完璧すぎる。著者の経歴も作品の内容と合致しすぎ、辻褄が合いすぎている。何より作風は作品ごとに大きく異なっているとはいえ、その根っこはニンジャスレイヤーと同じだ(完全に主観意見)。

訳者解説まで含めての「小説」

ここまで読んではじめて、僕は「なるほど」と理解した。ようは、この訳者解説は普通の意味での解説ではなく、ここまで含めて「小説」なのだ。「エミリー・ウィズ・アイアンドレス」の著者はエミリー・R・スミスというのだが、エミリーのどんな経歴/文化背景からこの短篇が生まれたのか──まで含めて「創作」なのである。

この形式の優れた点は、「膨大なシリーズ作品が背後にあるんですよ」とほのめかし、実際にその前後の展開を述べてみせたり、架空のエピソードを紹介することで、短篇を短篇として完結させるのではなく、背後にある(ないのだが)膨大な世界観へと接続させられるところにもある(うまくやれば、だが)。「エミリー・ウィズ・アイアンドレス」はその恩恵を一身に受けており、設定がてんこ盛りで短篇に収まる内容ではないからこそ、あえてクライマックスから(という設定で)始めているのだろう。

売れれば「あの時言っていたエピソードを翻訳しました!」といって続篇を出すことでウソがウソでなくなっていくことになる──とかは事実ではなく(検証不可能)、ただの僕の解釈だが、こう読んだほうがおもしろいのでこう読むぞ、という話である*1。正直今僕が恐れているのは、そうした情報は既に事実として発表されているか、熱心なファンの間では自明のことであって、僕は今道化になっているんじゃないかということであるが、そういう事実があるのならすぐに教えて欲しい。

おわりに

二作しか具体的には紹介できなかったが、他には豆腐生産のための宇宙ステーションが何者かに襲われ、閉鎖環境下でのバトルが展開される「阿弥陀6」や、ゲーム内NPCが別のMMOファンタジーRPGに飛ばされてしまい、異なる常識に戸惑いながら自身の存在意義を問いかける「ようこそ、ウィルヘルム!」が個人的にはお気に入りで、上記のような変な読み方をしなくても充分に楽しめる作品群が揃っている。

ニンジャスレイヤーテイストも味わえるので、「あっちは長すぎるからちょっと……」という人もこっちから手を出してみてもいいかもしれない。

*1:この手法を使った作品は他にもあるが、「嘘かどうか判断不能」な状態で書かれているのが本書の特異性だと思う。個人的に近いな、と思ったのはカブトボーグだ。