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フィクションとしてのSF、幻想文学史──『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』

ソヴィエト・ファンタスチカの歴史

ソヴィエト・ファンタスチカの歴史

  • 作者: ルスタム・スヴャトスラーヴォヴィチカーツ,ロマンアルビトマン,Roman Arbitman,梅村博昭
  • 出版社/メーカー: 共和国
  • 発売日: 2017/06/09
  • メディア: 単行本
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かなり狂った本である。

端的にいえば書名にもあるように、ソヴィエトのファンタスチカ(SF、幻想文学全般をさす)の歴史について語られているのだが、実はその内容に多くのフィクションが紛れ込んでいる。実在しない作家、実在しない書名──だけならただの"架空の歴史語り"だが、実在する人物のまったく異なる経歴であったり、言っていないことを言ったかのように書いていくスタイルで全方位に向かって喧嘩を売っている。

しかも、本書の、メイン部分(編者あとがきを除く)を読んだだけでは本書が「フィクションだ」とネタバラシをしていないので、実際に本書が刊行された後、そこにフィクションが紛れ込んでいることに気づかず、きちんとした書物として引用したりしてしまった人もいるそうである。実際、事実をそのまんま書いている部分もあり、おかしな部分は相当おかしいのだけど、酒を飲みながら読んでいたらあまり違和感も覚えない可能性はある。誤植か、著者の勘違いという線もおおいにあるわけであるし。

そうなると紹介する側としてもそこについては秘すのがマナーであり、本書を真っ当なファンタスチカ史として、欠片も正しくないことを正しいかのように引用して記事にするのが筋であろう──という気もしたのだけど、帯で「教科書にぜったい載ってはならないメタメタフィクション」と明かしているように、最初からフィクションであることを明確にしているので「ま、いっか」とそのまま紹介することにする。

訳者あとがきでもめっちゃ書いてるから、そういう物として楽しんでもらいたい。

フィクションとしてのSF、幻想文学史

で、これがおもしろいかどうかといえば、最初はなかなか乗り切れずにうーん、と渋い感じだったのだけど、読み終えてみればなかなかおもしろい──というか、凄い本である。正直、僕はソ連の歴史はおろか文学史に詳しくない。そのため、最初は虚構か事実か判断もつかず読み進めるので、さっぱり自分の立ち位置がつかめなかった。

これがたとえばレムの『完全な真空』のように、最初から架空の書評集であるとわかっていれば、「はは、レムもうまく架空の本を考えたじゃないか」と安心して読めるのだが、本書の場合それ以前の問題なので、「これは単に実在している物を紹介しているからしっかりした内容になっているだけなのか、わからん……」と不安定な気分になってしまうのである。最初はそんな風に乗り切れないでいたのは確かなのだが、読み進めていくうちにこちらも読み方を把握していくというか、「もう、いったん全部フィクションということにして読もう」と腹が据わるとおもしろくなっていく。

ソヴィエト、ソ連の文学史とは検閲、規制の歴史であり、そうした状況下でファンタスチカがいかにして抵抗、迎合しながら活動を行ってきたのか。ファンタスチカ作品がいかにして社会に新たな視点、方向性を示そうとしてきたのか。レーニンが〈赤い月面人〉と呼ばれる文学集団に関わっていたことからファンタスチカ史が始まり、国家体制の維持、政治闘争の道具として文学が用いられてきた状況などが語られる。事実も多数含まれているのだが、それをものの見事にフィクションと融合させ、架空の歴史を紡いでゆくのであり、つまるところ本書は改変歴史文学史文学/SFなのだ。

 堅牢で、わかりやすいものの上に万事を打ち立てる必要があった。新たな生活の建設のための「手持ちの手段」としてもっともふさわしかったのは、ほかならぬ科学的ファンタスチカ文学であった。それは内容においては多少なりともいまの現実から遊離していながら、形式としては伝統にのっとったもので、精神においては反宗教的なのである

架空の書評、架空の社会

政治闘争と文学の関わりが、無数の作家と作品、および作品評を通して語られていくわけだけれども、その点で本書がおもしろいのは「架空の本」だけではなく、「架空の本が生まれる社会的/政治的背景」まで含めて作り込んでいるところにある。

とりわけ、本書を物語として捉えた場合クライマックスにあたるのはソヴィエトとアメリカの月面着陸をめぐる攻防、その決着がつく瞬間である。その決着の前に、丹念に伏線を張り巡らせるようにして月はファンタスチカの中で主要な舞台であった──として数々の月面小説、その誕生秘話、書評、紹介が積み重ねられていく。その月小説の内容がまた、検閲や社会情勢の影響を受けまくっておりおもしろいのだ。

たとえばV・クーリツィンの『天の境界』は月面を舞台としソヴィエトの国境警備隊員を主人公とした長篇小説であると紹介されるが、この本には根本的な思想的誤算が内在していたと著者は喝破する。なぜなら実際に外国の敵が宇宙から攻めてこないようにするために国境警備隊員を置いているのだとするなら、敵は自力で月面を侵攻しようと企てるだけの充分な潜在的技術力を持っていると、暗黙のうちに認めていることになる! だが、この点について著者は見事な解決方法を用意していた。

小説を通して、本当の戦闘の危機はけっきょく一度も起こらないのである。危機はすべて訓練で起こるのだ。このことは、一方でわが国にはあらゆる反攻に対して備えがあることを示し、他方では、三〇年代にはエキゾチックだったそのような形でソ連を攻撃する力を敵が本当に有していると主張するすきを与えなかった。まさにこれが原因で、わが国初の「宇宙防衛」小説は同時にもっとも平和的なものであったのだ。

なんだそりゃ! ただのつまらない小説やんけ! と思うかもしれないが、安心してほしい、実在しないのだから(たぶん)。とまあ、こんな感じで当時の社会情勢を背景とした様々な本と、実在の人物のあっと驚く発言(基本ウソだが)、裏話(これも基本ウソだ)が積み重ねられていき、独自の世界を構築していってみせるのである。

おわりに

ハインラインの作品がソヴィエトでは出版が禁止され、ゲリラ翻訳家がロシア作品にみえるように作品を徹底的にロシアナイズしながら翻訳し、『月は無慈悲な夜の女王』の書名が『月はマジなお姐さま』になったとか、事実かどうか検索もしていないが(たぶん虚構だと思う)どちらにせよ笑ってしまうエピソードも盛り沢山である。

「そんなんすぐにウソだとわかるでしょ」と思うかもしれないが、実際読んでいる時は検索も面倒なので全然判断がつかんし、ドキドキしながら読み進めることになるだろう。『天の境界』だって、念入りに検索してしまった。しかもちょっとまだ疑っているから、(たぶん)とまで入れて防御力を高めてしまったぐらいである。

月面着陸でアメリカに先を越されて以後、さらに検閲が厳しくなっていき思想統制が行われ多くの作家、翻訳家が投獄され死んでいく状況など、ディストピア小説的に読むこともできるだろう。当たり前のことながら文学史として読むのはオススメしないが、いくつもの論点、読みどころのある一冊なのは確かだ。