基本読書

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世はまさに大監視時代──『超監視社会: 私たちのデータはどこまで見られているのか?』

現代は、誰もが携帯/スマホを持ち、車も家具もネットとつながっているのが当たり前になり網羅的な大量監視が空前の規模で実行される時代である。Kindleがない時代は本をどこまで読んだか調べるのは困難だったが今では読む速度、どこまで読んだか(読めなかったか)まで含めすべてAmazonに筒抜けで、自動車に搭載されたGPSデータを自動車会社は取得し誰が法を犯しているのかまで含め把握している。

世はまさに大監視時代

自動車にのらなくとも携帯/スマホから位置情報を取得することは容易で、アメリカの国家安全保障局(NSA)は基地局、Wifiネットワーク、GPSデータを用いるアプリなど様々な手段を用いて監視対象者とその関係者の情報を集めている。NSAは携帯電話の電源が切られていても居場所を特定できるとさえ言われているのだ。民間組織は倫理に則っているかと言えばまったくそんなことはなく、アメリカ政府が便宜供与、強要、脅迫、法的強制を通じてスカイプ社にプログラムを修正させ通信を傍受しやすくさせたことも明らかになっている。この手の事例は後を絶たない。

つまるところ、世はまさに大監視時代である。昔ながらの監視社会物SFでは、みな監視されていることにたいして自覚的であることがほとんどだが、実際現実に起こってみれば「意識していないうちに方法もよくわからず監視されている」のが実態といえる。そこで、本書は我々が何をすることでデータが残るのか、官民がどのような手段で監視しているのか、それの何が問題なのか、対抗策はあるのか──という構成で、手堅く現状の"データが監視されている状況"をあぶり出してみせる。

"何のデータが監視されているのか"はだいたいネットに繋がるものは全てと考えていいだろう。iPhoneのバックアップを通じてAppleは世界中のWi-Fiパスワードのデータベースを築いているし、メールも当然ながら取得している。ネットで何をみて、何を買って何秒間滞在したのかも取得されているし、Facebookに子どもの写真を投稿すれば残った上にデータブローカーに利用されるだろう。Facebookに子どもの写真はおろか精確な個人情報などひとつも登録すべきではないと思う。

それの何が問題なのか

データを監視されることの何が問題なのか? せいぜい自分やその家族に向けた広告が表示されるようになったり、住所や電話番号が割れたとしても直接的な勧誘(塾への勧誘とか)がくるだけでは? と思うかもしれないが、そうやってデータが他者に渡れば渡るほど流出の可能性は飛躍的に高まっていく。無関係の企業からあなたのデータが流出しましたと通告されても(実際起こっている)どうしようもない。

電話の内容やメールが国家やそれに類する機関に監視されているとすれば、当然ながら発言の自由度は制限され萎縮効果が発生しうる。行き過ぎた力はいつだって濫用されるものだが、実際NSAの職員は日常的にアメリカ人の私的な通話を盗聴したり無関係な私的で性的な画像を回覧しているし、まるで無関係なみずからの知人の通信を傍受しているケースもあるとNSAは認めている(ひでえな)。

非常に身近なものでいえばFacebokのフィード(instagramとかも最近変わったが)は時系列順ではなく非公開のアルゴリズムによって選ばれた順番で並んでいるが、ユーザは金を払えば読まれやすくすることができる。ようは利便性を考えてというよりかは金をもらって都合よく操作するために都合がいいからその方式を採用している面があると思われるが、これも行き過ぎればFaebook側に都合の良い情報しか表示させず、ある程度それを読んだ人の印象をコントロールすることが可能になるだろう。

とまあ、問題点はあげはじめればキリがないともいえる。

じゃあどうしたらいいのか

中国では出来る限り知られたくない情報をやり取りする場合は紙に文章を書いて写真にとってアップロードしたりするらしいが、誰もがFacebookやネットを捨てて活動し、国家は監視のすべてをやめるべきかといえばそれも難しいだろう。本書では国家および民間企業への提案と、私達ができることとしていくつかの防衛手段を講じている。方向性としては1.監視をするにしても何をしているのか明確にし、2.監督役を明確にし、3.漏洩時にはきちんと責任を与える──あたりは共通している。

どこまでのデータ収集を企業に許し、また一切のプライバシーを侵害してほしくないと考える人間がいた場合にはそれを許容できるようなシステム構築が必要になるだろう。Facebookは個人に対するかなりの情報を持っていると思われるが(アップロードした情報意外にも)、せめて"どんな情報を保持しているのか"を一覧でわかりやすく表示し、選択権限を与えてくれればよりまともな状況に近づくだろう。

おわりに

と、検討すべきことはいくらでもあり、フィルターバブル問題などこうした話題がよく上がるようになってから大きな進展があるとも思えないのだが、だからといって忘れていいものでもあるまい。長たらしい誰も読みもしないことを前提としたプライバシーポリシーなんてあまりにも茶番じみていて馬鹿げている。新しい"システム"が必要なのだ。本書の「私たちができること」の章は「諦めない」というトピックで終わっている。粘り強く意識して変革に勤めるほかないだろう。