基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

死の匂いに満ちる、エリスン第三邦訳短篇集──『ヒトラーの描いた薔薇』

ヒトラーの描いた薔薇 (ハヤカワ文庫SF)

ヒトラーの描いた薔薇 (ハヤカワ文庫SF)

選りすぐりの短篇を集めた傑作選であるところのハーラン・エリスン『死の鳥』が好評、かつ『SFが読みたい』で刊行年の一位を獲得したこともあって、邦訳としてはエリスン第三の短篇集となる『ヒトラーの描いた薔薇』が当然のように刊行された。

『死の鳥』との比較をすると、さすがに古いなと思わされる収録作(「ロボット外科医」とか)や、ストレート過ぎてどうにも好みではない物(「恐怖の夜」とか)もあり、収録作のレベルは一段落ちているようにも思う。ただまあ、それも結局はエリスン内の相対的なものであって、質は抜群。あまりに魅力的なエリスンの作風/文体のおかげで、古かろうが何だろうが、ドストレートに楽しめてしまうという面もある。

全13篇のうち、新訳こそ「睡眠時の夢の効用」1篇のみだけれども、僕は全部未読だったののでありがたい。今からエリスン読んでみよっかしら、という人には『死の鳥』をオススメするが、『死の鳥』が良かった人には本書もオススメである。というか装丁が『死の鳥』とあわせてやたらと格好良く、二冊揃えると満足度が高い。

死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)

死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)

というわけで軽く収録作を紹介してみよう。

軽く収録作を紹介

トップバッター「ロボット外科医」は、決して誤りを起こさない医師ロボットの登場により、仕事を奪われた医師の憎悪を描く一篇で、今読むと古臭い。古臭いのだが、「しかし、ぼくたちはメスじゃない。人間だ! 医者なんだ!」と感情を叩きつける台詞群や、存在価値を奪われつつある人間の恐怖と憎悪の描きこみが秀逸で、むしろ"古びているのにおもしろいなんてエリスン凄いな"と思わせられる一篇であった。

エリスンの神話系の一篇「バシリスク」は本書の中でも(僕が)二番目にお気に入りの一篇。ベトナム戦争の夜間パトロール中に、ヴァーノン・レスティグ兵長は敵の罠にハマってしまう。土踏まずを貫かれ、苦痛から気を失って倒れたその時──巨大な、黒い、鰐に似た大口の生き物が彼に向かって近づこうとしていた……。これがもちろんバシリスクなのだが、その登場時の描写がもうむちゃくちゃにかっこいい。

 軍歌がそのとがった竹に触れる一瞬前に、このバシリスクは時間と空間、次元と思考とを超越する最後のヴェールをくぐりぬけて、ヴァーノン・レスティグの属する密林の世界に姿をあらわした。そしてその転移のなかで、めざましく変身し、変貌した。死の息を吐く竜の、黒く、厚く、ぬめぬめとした膚は、微光を帯びて光った。

と、まだまだバシリスクの描写は進むが、いやーやっぱり"尋常ならざるもの"の登場シーン、日常的がふっと現れた異質なものに塗り替えられていく異常、異質感、それをありありと感じさせるにはこのぐらいの迫力が欲しいものである。意識もないままバシリスクと遭遇した後、敵の拷問を受け情報を洗いざらい喋ってしまった彼を待ち受けているのは悲惨な仕打ち/理不尽であり、その怒りの爆発も見事。

「バシリスク」が二番目にお気に入りだと書いたが、一番好きなのが「冷たい友達」である。冒頭の語りからして凄い。『ぼくは悪性リンパ腫で死んでいたので、世界が消滅したとき、ただひとり助かった。』"死んでいた"のに、"世界が消滅して"、"助かった!?"と、意味がわからないが、死ぬその瞬間の記憶もある彼が、ある時病院のベッドの上で目をさますと、世界から彼以外の誰もがいなくなっていたのだった。

 世界がなくなって、ぼくの生命の糧になりそうなものはピザだけだ。ぼくら人間たちは、なんて不運な生きものだったことか。ぼくら。ぼく。ぼくひとり。
 そんなわけで、ぼくはまた生き返った。ぼくが、みんなといっしょにどろんと消えなかったただひとつの理由は、みんな、ぼくが死んだと思ったからだろう。それが理由なんだと思う。ほんとうはどうだかわからない。推測にすぎない。もちろん。でも、はじめはなにがなんだかさっぱりわからなかったから、そう考えるよりしかたがなかった。

もぬけの殻になった街でただ一人ピザを作って食う男(なぜか水道は出るしガスも使え)。何者にもとらわれない自由さと寂寥感。そんな世界で過ごすうちに、彼の目の前に一人の美しい女性が現れる──。終わった世界で男女が出会うという筋書きからは想像もつかない展開をみせるが、描写の数々が素晴らしいのと、語り手がまるで村上春樹作品の主人公みたいにクールなのもエリスン作品としては珍しくおもしろい。

病院で堕胎できぬほど育ってしまった胎児を、家で掻き出してポリ袋に入れトイレに流す。しかし「返してったら、この人でなし!」と金切り声をあげられ、男は仕方なくマンホールを開け、都市の地下へと踏み入れる……。そんな衝撃的な始まり方をするのが「クロウトウン」で、胎児を追いかけていった先で現実とはとても思えない神話的な空間/展開を迎えることになる。これもまあ、暴力的な村上春樹風短篇といえる(村上春樹の主人公は女を妊娠させて無理やり胎児を掻き出したりはしないが……)

表題作「ヒトラーの薔薇」は冒頭のカタストロフ感が凄い。なにしろいきなり地獄の扉が開き、切り裂きジャックが逃亡し、カリギュラが行方をくらまし、エドワード・ティーチも凄まじい哄笑とともに逐電し、カインも解放され、と「エリスン版FGOがはじまるー!?」と思いきやみなすぐ捕まって地獄に戻されてしまう。ちなみにヒトラーは地獄の壁に薔薇を描くことに心のふるさとを見出しており逃げ出さず、物語はたまたま戻されず逃亡に成功し、天国へと向かう一人の女性にスポットがあたる。

「ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ」は脇役/小物の視点から描いた英雄譚のようなもので、エリスンとしては珍しくストレートに他の惑星や、その惑星に住まう原住民との交流を描く。僕はエリスンの描く「人間の弱さ」が好きなんだけど、本短篇には、認められたい、多くの人に自分の名前を知られたいと願う主人公の痛切な思いと、自分が大した人間ではないことへの諦めがよく表れていてとても好きだ。

本邦初訳の「睡眠時の夢の効用」は、愛する身近な人々が次々死んでしまい、悲しみにくれる男性の内面を描きこんでいく一篇。彼は眠る時に、身体に口が表れ、その穴から凄まじい勢いで風が出ていくリアルな夢をみる。夢は忘れるためにあるのか、はたまた記憶を強化するためにあるのか。"怒り"に満ちてきた本短篇集だが、最後に残るのは取り残されていき身体を冷気が通り抜けていく、痛切な寂寥感だ。

おわりに

とまあざっと紹介してきた。『死の鳥』で『SFが読みたい!』海外篇一位をとったわけだけれども、今年はライバルが強すぎる(現時点ですでにケン・リュウもミエヴィルもイーガンもピーター・ワッツもいるんだよなあ……)ので二冠は難しい気がするが、それでもおもしろいのは確かである。第四短篇集も待ち遠しいところだ。既訳だけでも編めそうな気はするけど、そろそろガッツリ新訳も欲しいところ……。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp