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粘菌コンピュータによって思考する少女人形、天皇機関を中心とした伝奇SF──『ヒト夜の永い夢』

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫 JA シ 10-3)

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫 JA シ 10-3)

ド真ん中のSFからキャラ文芸まで幅広くこなす作家・柴田勝家の最新作は、1927年、昭和2年を舞台の開始地点として、南方熊楠から宮沢賢治、江戸川乱歩まで多数の実在人物が入り乱れ2・26事件へとなだれ込んでいく超伝奇SFだ!

僕は柴田さんの今回の長篇が伝奇SFだと聞いて、正直凄く期待していた。文化人類学の知見が深く、歴史とSF的ほら話を結合して壮大なスケールの奇想へと展開させていく(僕の)伝奇SFのおもしろさに、その作家的特性が合いすぎるぐらいに合っていると思ったからだが、読んでみてやはりそれは正しかったという確信を得た。

粘菌コンピュータによって思考する恐ろしく美しい自動人形にして、人造の神として作られた天皇機関。顔を隠しお互いの正体すらわからぬ学者たちの秘密団体・昭和考幽学会、何もかもを見通す千里眼の噂に、夢か現か判然としない幻覚作用──序盤からケレン味だらけの展開で「今回は完全無欠に伝奇SFをやるぞオラァ!」という圧が凄いが、2・26事件へと時間軸が向かっていくうちに(当然、昭和前半で天皇を主軸に据えた物語とするのであれば、そこは避けられないだろう)加速度的にスケールとケレン味と台詞回しのテンションが高まっていくのがたまらないのだ!

ざっとあらすじ

物語の最初に書いたように1927年、昭和2年である。語り手となるのは粘菌の研究者として知られる実在の人物南方熊楠(みなかた くまぐす)。1867年生まれなので、1927年当時は60歳ほど。日々研究をしながら暮らしている彼の元へ、千里眼の実証実験を行う超心理学者である福来友吉(千里眼の実験も本当だし、実在の人物)が尋ねてきて、南方をはちゃめちゃに胡散臭い昭和考幽学会へと引き入れることになる。

「学問には、つまり本流と支流があります。私や先生はその支流です。けれども、支流なくして本流なしです。せ、世間には我らと同じように、本道からは外れながらも己の好奇心に従い、独自の研究を行う学徒がおる、おるのです!」

その昭和考幽学会(これはフィクション)の会合は基本的に匿名であり、みな顔に何かかぶっているので誰がいるのかまるでわからない、既存の学問に不平不満を持つ輩が集まっている。そんな会合で何をするのかといえば特に決まっていないようで、まず我々は集ったはいいが何をしたらいいのかをそもそも議論している始末である。

だが、その議論の中で天皇陛下の御即位の記念事業をやろうという案が出る。その内容もまとまらず、陛下に我々の学問を見せつけよう、音楽、演劇、肖像、あらたな日本書紀の創造など様々な案が続く中、これは決まったのが人形浄瑠璃である。それも科学の粋を注ぎ込み、人間と見間違うほどの精巧な人形を作り、神は自身の姿に似せて人間を作ったのだから、人間は神としての人形を作り上げるべきだ──といって議論はどんどん(小学生のように)白熱していく!『「人造の神とは」「神とは即ち天皇である」「人造の天皇を造る?」「機械の天皇陛下」「天皇機関だ!」』

だがこれは伝奇SF!

「天皇機関だ!」じゃないがなって感じだがとにかく人造の人形、自身で思考と行動をし、人造の魂でもって現人神たる陛下を導く、そんな存在を作り上げて陛下と謁見させよう……ということになる。そうはいっても常識的に考えて昭和2年に(というか今でも)そんな自動人形を造るのは不可能である。だがこれは伝奇SF! いくらトンデモな夢であってもそれを裏付けるはったりと奇想とそれっぽい科学でもって、ワクワクさせるように描写すれば読者はやんややんや言って笑顔で受け入れるのだ!

それを実現するために昭和考幽学会は、腕の良い人形師の力を借りて、細い金属線で計算結果に応じた動きを出力する死体人形を手に入れ、南方は粘菌を使うことでそこに魂を吹き込まんとする。そう、粘菌コンピュータである。粘菌コンピュータは何も本作オリジナルの概念ではなく実在するもので、複雑な迷路の最短経路を探る問題や、いわゆる巡回セールスマン問題など現在のコンピュータでも容易に計算できない問題を解決する可能性を秘めているなど、実際に研究が進められているものだ。*1

そうなんだじゃあ粘菌コンピュータなら知性になるね! となるかといえば無論そんなことはないわけだが、現在でも未知数の力を持つものなので、南方熊楠が主人公に据えられていることもあってなんとなく説得力が凄い。何を伝奇SFとするのかはともかくとして、僕は伝奇SFのおもしろさって、「もしこれがこうだったらめちゃくちゃおもしろいなあ!」というような奇想をいかにして科学やSFのギミックを用いてアホくさ! と思わせずに成立させるかにかかっていると思うが、とにかく本作はそのへんの自然にスルーさせられてしまう「それっぽさ」の演出の積み上げが凄い。

描写の魅力

そんなこんなでわりとあっさりと南方熊楠および昭和考幽学会は粘菌による知性を実現させ、それを金属線で動く死体人形に組み込むことでいよいよ少女人形・天皇機関が動き、喋りだす──のだが、彼女はなぜか見てもいないはずの世界の知識を知り、未来を予測し、さらには場に居合わせた者たちの現実感覚を狂わせていく。はたしてこれは夢か現か幻か、はたまたそのどちらでもない状態なのか──ここから物語は現実/夢/舞台のような錯綜構造をとり、幻想的な空気をまとっていくことになる。

で、ある種の舞台のような領域へと踏み込みむことで、描写が自由に羽ばたいていくのがおもしろい。僕は柴田勝家作品は今のところ全部読んでいるけれども、本作ほど描写が楽しい作品はない。たとえば、天皇機関がはじめて登場した時の描写。蓮華座の上の少女よ。弥勒の如き半跏思憔形、前髪に左目は隠されているが、右目は薄っすらと開かれている。その玻璃の半眼こそ三味境。見るがいい、瑠璃の如き青黒い瞳、硨磲の如き白い柔肌。銀糸に操られ、金襴袈娑のみを纏う。片方の乳房は露わとなり、その膨らみの稜線には神秘が宿る。つん、と張った乳首には珊瑚の血色。誰もが、この死せる肉体に仏性を見出さんとしている。これぞ自然にして外道の御業

こうした異常に高カロリーな描写が頻出する他、語りは明確に演劇を意識した芝居の魅力と迫力に満ちていく。『「天照大神より続く皇統も、肉体の軛からは逃れられまいよ。いずれ人の天皇は年衰え、数多くの過ちを犯すだろう。しかし私は違う。私は須佐之男大神の娘であり、また本地は意思たる粘菌であり、この国に生い茂る賢木の枯れない限り、その命は八千代に続き、過ちを犯すこともない神聖なものである」』

おわりに

物語はほぼ全篇を通して南方熊楠の一人称視点ではあるのだが、一人称ならではの「私」という言葉がほとんど出てこないので、近いようで遠いような、一人称視点でありながら三人称視点のようにも感じさせる微妙な「遠さ」がある。そのあたりにもひとつのギミックがあって──と最後の一瞬まで楽しませてくれる構成なのも素晴らしい。しかもそのネタが凄くてな……といろいろ語りたいところはあるのだが、いったんこんなところで。伝奇SFっていうとあまり聞き覚えも馴染みもないヒトも多いかもしれないが、ようはFGOなのでFGO好きな人は読むべし。

*1:粘菌はたとえば迷路の端と端に餌を置くと、最初は迷路全体に広がったのち、最短経路のみを残して他の部分は消失させる。