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高尚な理由の背後に潜む、高尚ではない動機──『人が自分をだます理由:自己欺瞞の進化心理学』

人が自分をだます理由:自己欺瞞の進化心理学

人が自分をだます理由:自己欺瞞の進化心理学

人の行動にはわかりやすいひとつだけの理由ではなく、複数の動機が存在していることがほとんどである。たとえば慈善行為のひとつである寄付だって、純粋に利他的な行為というわけではなく、それをすることによって自分以外の人々に対しての「私は社会に対してこのような行為をやれる善良な人間です」というアピールが伴うものだし、仲間内での信頼性の構築にも一役買っている。そうしたあまり表立っては口にされることのない利己的な動機は、やっている本人も周囲も明確に意識していることも多いが、中には自分でも意識せずに、「自分を騙して」やっていることもある。

本書は、そうした自分で自分を騙す理由、自己欺瞞についての本である。そもそもなぜ人はそのような自己欺瞞をしなければならないのだろう? 別に、わざわざ自分を騙したり口に出さないようにして利己的行為を利他的行為的にアピールしなくとも、口で「自分は素晴らしい! 自分は素晴らしい!」といえば面倒もないしわかりやすい。だが、現代の社会はそういう自分凄いアピールをするとクソダセーみたいな感覚が湧き起こってくる。なんでそんな面倒くさい感覚が湧いてくるようになってしまったんだろう? と、そのへんのことを進化心理学を中心として組み立てていく。

 要するに、人々はたいていの場合、社会的地位を最大に高めるという観点からものごとを考えたり語ったりしないのである。しかしながら、わたしたちはみな本能的にそうやって行動している。実際、人間は表立って、また自分自身にさえ気づかせることなく、じつに巧みにかつ戦略的に自己利益を追い求めながら行動することができるのだ。

なぜ人は時に自分でさえも自分を騙すのか

なぜ人は時に自分でさえも自分を騙すのか。その問いに対する答えのひとつは、自分で自分さえも騙してしまえば他者からそれを隠すことが容易になるからだ。ではなぜ他者から自分の本心を隠す必要があるのか? これを説明するのにいい例が、チキンゲームである。車に乗った二者がまっすぐ走ったらお互いが衝突するように位置をとってスタートさせ、先にハンドルを切ったりブレーキを切ったりしたほうが負けというシンプルなゲームだが、これで勝つためにはどうしたらいいのだろうか? 

心理戦なので必勝法といえるほどのものはないわけだが、もし本当に勝ちたいなら、”ハンドルをはずして相手に向かってふればいい”と本書では説明される。そうすることで、対戦相手にはこのゲームがスタートしてしまったらもう両者が死ぬか、自分が負けるかのどちらかしか選択肢がないと「錯覚する」。ハンドルをきれないのではなく、ハンドルをきれないと相手が信じるから勝つのである。そして、そうした錯覚を相手に起こさせるために、自分自身でさえも自分を欺くのは重要なのだ。

そうしたこちらの覚悟やら何やらの心理状態を推測してくる相手でなければこうした自己欺瞞戦略は役に立たない。地震にたいして心理戦をしかけようなものである。なので、こうした自己欺瞞占術は社会的な生きもののみに用いることのできる手法なわけではあるが、現代の人間社会はまさにそれそのものなのでたいがい有効である。

結論として、わたしたち人間は自己欺瞞でなくてはならないのである。そうした心理戦を拒む人は、行う人と比べてゲーム理論の観点から不利になる。ゆえに、わたしたちはしばしば重要な情報を無視しているように見え、容易に見破れるうそを信じ、そして歪んだ思考をこれ見よがしに宣伝する。なぜならそれが「勝利の決め手」となるからだ。

教育、宗教、医療など

こうした中心的な問いかけに対する答えが明かされるのが本書の3分の1ほどの部分。あとは教育、宗教、政治、医療などなど個別具体例に対しての分析であったり、脳が理由のつかない行動に対して無理やり理由をでっちあげて、しかもそれを自分では疑問に思わない「脳科学的観点の自己欺瞞」だったりと諸分野を紹介していく。

教育、慈善行為の裏にある動機など興味深い面が多いが、中でもナルホドと思ったのは医療行為について。基本的に医療を受ける動機は「病気を治すこと」だけであると思っていたが、現代においてはそこに様々な社会的圧力とそれに伴う動機が伴ってくる。たとえば今、有名人がなくなるとその人は適切な医療を受けいてたか、もっといえば代替医療を受けていたのか、はたまた標準的な医療を受けていたのかがすぐに調べられ、前者であった場合激しい攻撃、非難を受ける。代替医療をして標準医療を諦めるなんて、本質的な自殺である、というように。

要するに、いま、有名人(ほどではなくてもただのブロガーや、ツイッターをやっているだけの個人であっても)が代替医療を積極的に選択しそれを何かしらの形で公表することは望まない陰口や非難の対象になることと同義でもある。医療を選択する行為に、そうした状況は間違いなく影響を与え、できるかぎり最善のケアを受けているのだと世間一般に”見せたい”と思わせる、衒示的ケアともいえる動機がうまれる。

おわりに

自分自身を欺くことに価値があるのなら、欺いていることを自分で知ってしまったらその価値が薄れちゃうじゃん、と読みながら思っていたし、実際マイナス面もあるのだろうけれども(うつ病の人はこうした自己欺瞞の能力が弱くなっており、自分自身の利己性や弱さをダイレクトに見つめてしまってダメージを受ける傾向があるという)、社会や他人の動きをより適切にシミュレートするにはこうした視点は外すことができないだろう。400ページぐらいの本だけれども、実質的に重要なコアの部分は100ページぐらい読めば十分であとは具体例なので、そんだけ読んでもいい。