基本読書

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荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟 (集英社新書)

言わずと知れたJOJOの作者である荒木飛呂彦先生の映画語りシリーズ第二弾。荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 - 基本読書 前作はホラー映画祭りということで、基本的にホラー映画しか取り上げられなかったのだが今回のテーマは「サスペンス映画」になっていて、個人的にはホラー映画にあまり惹かれないこともあってこっちの方が3倍ぐらい楽しかったし、ここでオススメされている作品をついつい見に行ってしまった<まずヒートと96時間。どっちも超傑作。

しかしサスペンス映画といってもそれはいったいどんなものをさすんだろうか。なんとなく「どきどきする映画」ぐらいの意味合いで捉えていたが、語源としてはラテン語の「吊るす」になり気がかり、不安な状態をさし読者をはらはらさせる緊張感の効果をいうらしいです。ようは恋愛だろうが殺人鬼に追われているところだろうが「この後、どうなるんだ?」とどきどきするような作品全般をこの映画論の中ではサスペンス映画としています。

エンターテイメントの基本は「サスペンス」にある、というのが僕の持論です。

しかしぶっちゃけ映画論ならば、映画批評家の方が読み応えのあるものをみせてくれるでしょう。荒木先生はあくまでも漫画家であって、映画を見ることに人生を捧げてきたわけではない。この本の中でもっとも面白かったのは、「荒木飛呂彦という一人の創作者が、いかに映画を分析してそれを自身の作品に反映させるのか」という「分解」と「反映」のプロセスなんですよね。

自分が面白いと思ったものを分析して、ひとつひとつ説明できるようになれば「面白い」の正体が見えてくるはず、とありますがまさにこの通りに「この作品は何が面白さの源泉になっているのか?」をつぶさにみながらそれを紹介し、しかもそれをどのようにJOJOという作品に反映させたのかを教えてくれるので、僕が物語創作者だったらかなり影響を受けただろうなあと読みながら考えておりました。

この「分析」のプロセスは「サスペンスを主題にして」そもそも創られた映画を対象としているからこそ現れたものだと書かれています。たとえばブレードランナースターウォーズといった作品は本書の中では取り上げられていませんけど、それは世界観や美術、ムードといったものがすべて強力なパワーがあつまって凝縮された奇跡の所行であって、ようは「分析」できないからだということだとお思います。

「パクリ」ではなく「参考にして活かす」には分析の技術と、それを自身のものにする技術がいるんですね。たとえば今荒木先生が連載しているジョジョリオンでは最初の敵として笹目桜二郎という、なかなか姿をみせずに主人公をどこかから攻撃してくる敵がいるのですが、これはたとえばジョーズジュラシック・パークで「何かヤバイ奴がいるが、そいつの姿がまったく表に出てこない」という「見えそうで見えない」演出を使っているようです。まさかそれをさして「パクリだ」という人がいるとは思えないですよね。

ベストオブベストは『ヒート』と『96時間』

ベストオブベストは『ヒート』と『96時間』は第一章のタイトルなんですが、ここで紹介されているこの二作品、分析がおもしろすぎてすぐに観てしまいました。96時間は今は元CIAの主人公が、離婚して離れ離れになった娘が誘拐されそれを脅威の執念でおいかけ敵をあらゆる手段を使って皆殺しにする映画なんですが、その爽快感ときたら! 「けっして恨みがあってやったわけじゃないんだ」というしょうもない敵キャラに向かって「俺には恨みしかない」といって銃を撃ちまくるところとか、最高にかっこいい。

で、あきらかにこの主人公の行動は常軌を逸していてなんか「悪党にも家族がいるんだ」とかそんなこと微塵も考えないで殺しまくっていくわ、かつて自分と友好関係があった間柄の人間さえも娘奪還のためなら容赦なくぶち倒していくその倫理観のなさは「爽快感」につながっていて嫌悪感にはつながらないんですよね。でもそれは冒頭の場面に秘密が隠されていて、娘の誕生日に何度も何度も下見をして吟味を重ねた上でカラオケマシーンを送るんですが、明らかにそんなもの欲しがっていない。たいして新しい父親は娘に馬をやって、めちゃくちゃ喜ばれる(それも意味が分からないが)。

これだけ娘のことを思っている父親なのに、その思いは全く報われない。おそらく家族に不義理をした過去があり、その償いのためにも娘を助け、自分自身を救おうとしている──。これらを観せられた後だからこそ、この映画の中では「娘を助けるためなら何をしてもOK!」というルールが確立するのです。

なるほど。「応援したくなってしまう」描写が最初に入っているか否かっていうのは、たしかに重要ですよね。一言で言えば冒頭の主人公はとにかくかわいそうな男なのです。

一方ヒートはロバート・デニーロが率いるプロ犯罪者集団がおかす強盗事件と、それを担当する慶事のアル・パチーノデニーロは引退をするため最後の仕事として銀行強盗を計画するが──という話でこれは「プロフェッショナリズム」が重要な鍵になるという。

「男泣きサスペンス」にはプロフェッショナリズムが不可欠と書きましたが、『ヒート』はまさにその王道です。パチーノが演じる慶事も、デ・ニーロが演じる犯罪者も、平等にプロフェッショナルとして描かれていて、片方の能力が劣っていたり、分かりやすい欠点がある、ということはありません。そして、どちらも凄腕となると、この二人が激突するとき、一体どうなってしまうのか? というサスペンスがそこに満ちてくるのです。

これは僕がジョジョを大好きな理由のひとつで、登場人物がだいたいにおいてプロフェッショナルなんですよね。承太郎なんかはその最も顕著な例だけど、とにかく常にお互いに最善手を打っていく。第四部の吉良吉影なんかもそうで、やっていることは異常なんだけどそのための手際が良すぎるために「こんな凄い能力を持ちながら、緻密に殺人する奴とどうやって戦って勝てばいいんだ」っていうサスペンスがある。

もうヒートは上の紹介文を読んだだけで「観よう!」と思いましたからね。

まとめ

映画は一本で話が確実にまとまっているし、大金がかかっていることもあって脚本は練りに練られている(ことが多い)し、フック(脚本、役者のかっこよさ、映像の演出、美術などなど)が多いこともあって創作者にとってはパクるところが多い究極の創作物だと思う。また僕のようにただ観るだけの人間にとっても、読みたい映画が一気に増えてたいへん素晴らしい一冊でした。