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荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書) by 荒木飛呂彦

漫画家荒木飛呂彦による漫画術。どういう意図でタイトルをつけて、情報を与えることを意図して一コマ目を設定し、ページの割り振りを決定し、情報量をコントロールして展開していくのかを自作を使って解説しくれるめちゃくちゃ贅沢な本だ。これはあれかな、聖書かな?

ただ、どんな「技術」にとってもいえることだが、別にこれを読んだからといってジョジョのような漫画を描けるようになるわけではない(当たり前だ)。ここで明らかにされているのは「漫画一般の描き方」に通じる部分の多くある「荒木飛呂彦という一人の漫画家が、これまでどのようにして漫画を描いてきたのか」だから、時代も違えば達成目標も違うであろう他の漫画家が全面的に参考にするようなものでもない。

しかし、本書で荒木飛呂彦さんは漫画の王道を明らかにしようとしている。漫画の王道とはいったいなんなのか?

 漫画を描きたいのならば、漫画の王道を知り、その「黄金の道」を歩むという意識を持ってほしいと思います。そして、漫画の王道は、時代を超えて愛され、受け継がれていく名作に行き着くはずです。単に一過性でヒットすればいい、という人は、たとえいくつかのヒット作を出せたとしても、本当の意味での漫画の王道を知ることはないでしょう。そもそも、そのような態度で描き続けられるほど漫画は甘いものではない、と予め釘をさしておきます。

漫画の王道、黄金の道とは、「迷ったときに見る地図のようなものかもしれません。」とこの後に語られていく。山に登る時の正規ルートのようなもの、別に外れたとしても構わないが、ちょっと脇道にズレてみても良い。ただしその時も正確な地図が、ある程度頭のなかに入っているからこそ、外れるという冒険もできるようになる。本書は荒木飛呂彦さんがどのように漫画をつくってきたのかをみていくことで、そうした見取り図を展開していってくれる。これがまあ、面白いんだな。

情報量のコントロールについて

もちろん漫画にしろ小説にしろ、創る側は読み手が想像もつかないほどたくさんの事を考えるものだ。引きずり込み、熱中させ、時には突き放すことさえ効果として与えること、緩急に後に繋がる象徴など、いくらでも入れ込める。もちろんそれがきちんと想定したとおりに読者へ機能するかは別だが。その為に何が重要かといえば、やっぱり基本的には「情報量のコントロール」なんだろうな、と全体を眺めていると共通項としてまず思う。

たとえば本書でも第一章は「導入の書き方」について語っていく。どのようにして読者をその世界に引きずり込むのか。ここでは導入については、『最初の一ページで、その漫画がどんな内容なのかという予告を、必ず描くようにしています。たとえば戦争についての漫画でしたら、それが「兵士と家族の感動」を表現するのか、あるいは「反戦」がテーマなのか、それとも純粋に「戦場のバトル」を描くのか、まず予告しなければいけません』とはじめているが、ここまでは恐らく誰しもふむふむと読み進めるところだろう。

全くその通りだと思うかもしれない。逆に、別にこのパターンを崩してもいい。黄金の道とは別にそこを辿らなくてはいけないものではないのだから、目印として「黄金のパターン」があるのだという自覚を持って外れてもいいわけだ。だがもちろんこうしたパターンを「絵」「コマ割」として実際の表現に落とし込まないといけない。この章ではこのあと武装ポーカーを例にとって説明を続けていくが、「どんな情報を入れるのか」そして逆に「読者がわかりやすいようにどの情報を削ぎ落とすのか」については、説明できる部分ではなく作品ごと、作者ごとに意図を練り上げていく部分になっていくのだろう。もっといえば経験値が生きるのもこの部分であるように思う。

漫画の「基本四大構造」

続いて荒木飛呂彦さんが漫画を書くときに常に頭を入れておくべきこととして語るのが漫画の「基本四大構造」だ。ここでは重要な順に①キャラクター、②ストーリー、③世界観、④テーマと続いていく。これらはお互いに独立しているのではなく、それぞれが密接に影響しあっており、キャラ、ストーリー、世界観を統合するのがテーマで、それを最終的に表現に落としこむのが「絵」という最強のツール、さらに台詞という言葉でそれを補う図式であるという。

問題はこれが密接に絡み合ってくるので、バランスを特に意識して描いていくということになる。キャラクタはOKでもストーリーはダメか、テーマがなくて全体にまとまりがなくなってしまっているのか、世界観に魅力がまったくないのかと点検が容易になる効果もある。ここについても自作を例にとりながら、キャラクタの作り方、ストーリーの作り方、絵、世界観、そしてその中心に位置するテーマとはなにかを順繰りに論じていくが、ここについては実際はけっこう人によってブレる部分だろうとも思う。少年漫画と青年漫画、少女漫画ではまったくストーリーの作り方も変わってくる。キャラクタについてはここでは何が好きでどんな夢を持っているかという身上書みたいなものを創ると述べている人もいるが、また別の作り方(ある程度テンプレートに則ったような)もので創る人もいるだろうし、様々だろう。

ここには漫画家・荒木飛呂彦がその漫画家人生の中で練り上げてきた哲学と技術が統合されて表現されている。さすがだなあと思うのは、やっぱりこういう理論を他人の参考にすべきところは参考にして、自分はこれでいくんだっていう理屈がきちっとしているところ。他人の意見に右往左往されずに、ある程度は「これでいくんだ」という芯、それは漫画のテーマとは別に人生のテーマ、時代の読み、のようなものかもしれない。「自分の頭で考えよう」なんていう人もいるけど、基本的には自分が考えたことよりも人の考えたことを参考にしたほうがいい。自分の能力をそんなに高く見積もるべきではないからだ。だが、どうしたって自分で考えなければいけない部分もある、それは自分自身のことだ。

 僕自身もデビューしてしばらくの間、ヒットに恵まれなかった時期、編集者から様々なアドバイスをされたのですが、その言葉を額面通りに受け取るのではなく、要するに絵が問題なのだろう、と考えていました。ゆでたまご先生はじめ、同世代の漫画家たちが「ひと目で誰かわかる絵」でデビューしていたのに対し、僕は、絵をどう描くかをずっと迷っていたのです。

あの荒木飛呂彦がどう絵を描くかで迷っていたのかと驚いてしまうが、確かに初期の初期は今ほど個性的な絵は書いていないんだよね。だからいまの「ひと目で荒木飛呂彦とわかる絵」は、かなり自覚的に構築されて、達成目標として選択されてきたものであることがわかる。天才などと表現されることもあるが、じっくりと何が必要なのかを考えて練り上げてきた結果でもある。

 しかし、はっきりとここで言っておきたいのは、「黄金の道」とは、「漫画の描き方」のマニュアルではありません。
 「黄金の道」とは、さらに発展して行くための道。今いるところから、先へ行くための道です。「自分はどこへ行くのか?」を探すための道とも言えます。

と宣言しているとおりに、本書はマニュアルではなくここから先へ向かうための基礎、地固めのようなものなのだろう。土台があるからこそその土台をひっくり返してみたり、薄めてみたり、脇道を迂回してみたり、さらにその先へ進むことも、土台をさらに細かく構築していくこともできるようになる。ここにあるのは荒木飛呂彦さんがいかにして漫画を描いてきたか、そして描いているのかという商売道具の開陳、ネタバラシに近いものだが、それも「まだここからどんどん変化する」という自分自身への信頼があるから出せるものでもあるのだろう。

貴重な一冊だ。

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)