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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで by デイビッド・ウォルトナー=テーブズ

科学ノンフィクション

2013年には、地球の人口は70億を超えた。人間は生きていれば基本的にうんこをすると考えられるので、一人が年間でうんこをする量をいくらか調整しながら(先進国でたらふく食っている人間と飢えた国の子供達が同じ量うんこをするわけではないとか)計算すると、人類は年間に4億トン相当するうんこを生成している。4億トンのうんこかー。70億程度いてもそんなもんなのかといったような感覚もあるし、実際目の前に4億トンのうんこがあったらそれはきっと異様な光景だろうとは思う。そしてもちろん地球に人類だけがいるわけではなく、一緒に地球で同居しているやつら、虫とかまで含めるのはさすがに無理なので、家畜類を中心に計算してみると141億3645万トンだ。ここまでいくとさすがにそのスゴさの片鱗もなんとなくわかってくる。

ここでいわんとしたいことは世界にはうんこが溢れており、これらはただ単に川に流したり地面に穴を掘って埋めればそれでOKという代物ではないのであり、利用方法によっては有益なサイクルを生み出し得る重要な資源なのだということだ。本書はその書名からして直接的だが、基本的に排泄物についての本だ。糞の成分は何かを見、糞はそもそもいつ発生したのかを探り、糞がいかにして人間の身体を害するのかをみていき、糞を管理する難しさとその方法について語っていく。200ページちょっとの、シンプルながらも凝縮された糞についての本だ。

思っていたよりもずっと面白い本だったのは嬉しい誤算だった。考えてみればあまりうんこについて──考えることは多くはない。毎日するものではあるが、トイレにいってふんぬときばり、レバーを押せばジャーと流れていってしまうだけのものにすぎない。その後、自分の体にさっきまで入っていたものがどのような経路をたどって流されて、どこかしらにたどり着いて分解されたり再利用されたりするのだろうが、そこはもう僕の手から離れた仕事であり、うんこと僕の縁は身体から排出された時点で切れたものになる。

自分がするうんこにどれぐらいのカロリーが含まれているのかなんて知らないし、知る必要も基本的にはない(食べたもののだいたい八パーセントのカロリー値が残っている。なので人間はたぶん排泄物を食べていきていけるが、たくさん食べなくてはならない。)。江戸時代、中国、ローマがどのようにうんこを処理してきたのかといった歴史もいちいち面白いし、いわば専門家からすればちょっとしたトリビア程度の情報がことごとく面白いのだ。そしてうんこは出したら終わりではなく、他の生命の礎となり再利用可能性の高い重要な資源であるというところにまで話が及ぶととたんにことは小学生じみたうんこへのトリビア的好奇心から離れ、現代社会への重要な提起となって襲い掛かってくる。

うんこと一体化した社会

流したらそれでさよならばいばいだからといって我々は本当にうんこと切り離されているわけではない。うんこはいまだに我々の生態系の一部である。たとえばゾウは高いところにある葉も、地べたの葉も食べることができる。ゾウは食べたものの40パーセントしか消化できないから、消化しきれなかった分は「高い所から下に落ちてくる」。ゾウのうんこは自分たちでは手の届かない場所にあるエネルギーを下までおとす効果がありまた別の生物の命の基礎になる。動物は生態系を豊かにするためにうんこをするわけではないが、エネルギーを取り込み、自身を構成し、いらないものを排出するシンプルなプロセスが結果的に新たな生命体を育む共同体として結びつけてきた。

日本人はこの手のうんこの取り扱いには一日の長があり、農業に利用するのだがこれが加熱したのは都市化が進んでからだった。農民は桶を田畑の脇において、排便するときはそれを使うように旅人に頼んだというし、十八世紀の半ばにはうんこの持ち主は支払いに銀を要求するまでとなった。長屋に住んでいる住人たちはうんこを主人に管理されており、誰かが出て行くとうんこ分の収入が減るので店賃を値上げされたのだという(コレは本当にうんこのせいなのか?)。うんこのせいで家賃が値上げされたらあまりいい気分はしないが、当時の人からすれば金のなる糞だったのだろう。事実この時期のうんこは値段が高くうんこを盗むことは犯罪とされたという。ほんとかよ。

細かい部分が本当かどうかは置いておくにしても、我々は基本的にうんこと共にあったのは間違いがない。処理に困り、道端に投げ捨てクソまみれにしてうまいこと再処理できない時もあれば、日本のように高価な取引対象として存在していた場合もある、それは様々だ。ただ一つ言えるのは排泄物は生態系の一部で重要な意味を持っており、たとえばゾウのうんこが、ゾウよりも小さい生物にとって重要な資源であることは先ほど述べたが、うんこが汚いからといってそれを取り除いてしまうと、その取り除いた部分の生態系での役割を人間が果たさなければいけなくなる。

多くの場合生態系全体を見据えた複雑なシステムは考慮されない。汚い、衛生的にマイナスがある⇒科学的なプロセスで問題を解決しよう⇒排泄物の排除。これはこれで結構なことで、科学的なプロセスはもちろん単一的な問題を処理するだろうが、複雑系システムで運用されている地球(というか宇宙)においては一箇所を変更すると全体に波及することがあり、うんこはその基点なのである。本書はこうした部分の批判について行き過ぎた科学文明批判のように思えるようなところもあるが、基本的にはゾウの例で挙げたように「単一の問題解決ではなく、問題解決が結びつく生態系システムそのものを見据えた全体的な問題解決を試みよう」といっているだけだと思う。

このような根本的なプロセスの見直しからはじまって、うんこを現代社会においていかに再生の基点とするかの、小規模で総合的で多様な動物と糞の管理システムを提案していくのが本書後半部にあたる。うんこをエネルギー源にすることもできるし、堆肥として栄養源にすることもできる、魚の餌にだってなるとその応用事例はさまざまだが、このあたりは具体的な今後への提起というよりかは、単なる事例集として読むのがいいだろう(練られていないし、ただ可能性を羅列しているだけだ。)。

うんこに注目することでこの生命共同体のサイクルがわかりやすく、局所的な問題解決ではなく全体的な生態系デザインとして考える視点が発生する。そうか、くるっと一回転する場所はここにあったのかとはっとする、世の中にはまだまだ自分が目を向けていない場所が、重要なリンクはあるものだなと嬉しくなる。ノンフィクションを読んでいて幸せな一瞬というのは、自分の中での世界像が一瞬で拡張される、こういう時に発生するものだ。良い本でありました。

排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで

排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで