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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ビッグデータ・コネクト (文春文庫) by 藤井太洋

SF 小説その他 ミステリ

ビッグデータ・コネクト (文春文庫)

ビッグデータ・コネクト (文春文庫)

「底の深い人」という表現は褒め言葉として捉えられることが多い。底が深ければ深いほどいろいろなものが入っていて、話しても楽しいし臨機応変な対応ができるということだろう。この感覚はそのまま作家商売(というよりかは人気商売か)であればあるほど、重要になってくる。底の深い、底知れない人間であればあるほど「次に何が飛び出すかわからない」と思うものである。「もうこの人からは同じものしか出てこないな」と思ってしまえば、次には繋がらないわけだから。ま、読者は読者で厄介なものでそういう事を思いながらも「過去の○○みたいな作品をまた書いてください!」とついつい言ってしまうものだが。

本書『ビッグデータ・コネクト』の著者であるところの藤井太洋さんは僕にとっては「何が出てくるのかわからない」が、それでいて出てくるどれもが一級品のクォリティであるという点で買いの作家である。デビュー作である(KDPでも、紙の書籍としても)『Gene Mapper 』は近未来の拡張現実が一般化しフルスクラッチで遺伝子設計された作物が一般化した世界での事件を描いたSFサスペンス、スリラー作品。そこから一転次は何を書いてくるのかと思えば『オービタル・クラウド』は不自然な軌道をとるスペース・デブリの発見から始まる「スペース・テロの時代」を描いたハリウッドスケールの宇宙開発SF。舞台を一転宇宙にうつして、多数の国家機関を混線させながらもエンターテイメントとしてスマートな仕上がりで驚いたものだ。

最近出た第三作目の『アンダーグラウンド・マーケット』で、今度は仮想通貨が蔓延している地下経済の存在する近未来日本描いてみせた。一貫して技術や未来の暗黒面だけでなく、技術の導入によって我々の身近な生活がどのように変わって、どんなことが起こりえるのかという「希望」も同時に提示してみせる作品群だ。そして本書『ビッグデータ・コネクト』はといえば……こっちはなんと警察もの! 警察ぅ? 警察はさすがに無理じゃない? かなり男臭い世界で、なんだろうな、貸しとか借りとか、組織のロジックと社会のロジックと現場のロジックが衝突しあう「空気感」みたいなものを重視する世界じゃないですか。これまでの作品群とは若干……いや、けっこう、相容れないような気がする。

とかなんとか思っていたのだが、きっちりとしたあの日本的な、お役所的な組織の掟にがんじがらめになりながらもその組織の中で最善を尽くそうとする男たち──みたいな警察物特有の「空気感」はそのままに、サイバー特別捜査官やITの絡んだ事件を出すことで「IT犯罪事件物」として新しさを確保している。これが抜群に「手触りが良い」作品に仕上がっているのだ。アイディア、世界観で魅せるというよりかは、読んでいて一つ一つの描写とやりとりにじんわりと広がってくるような良さがあり、ついつい読んだあと一週間以上経っているのに記事にできずにぼんやりとこの良さについて考えてしまっていた。それはゴリゴリと物語を世界観の開示とアイディアの開陳と事態の急展開で進めていくやり方とはまた違った物語の「味」である。

本書を読んで藤井太洋さんへの「底が知れない作家だ」という感覚はより深まっていった。新作が出るたびに「そんな引き出しまであるのか」と驚かされる。「この作家からは次に何が出てくるかわからないぞ」と。まるで弾着観測を行なう射手か何かのように、ばらばらと違った方角へ弾を打ちながらその効果を判定し、ユーザを拡大する戦略を行っているようだ。……と、あらすじにまったく触れないままここまできてしまったので一応あらすじを書いておこう。

簡単なあらすじ

時代的には少なくとも2017年以降の日本(記述を読み逃したかそもそも書いてないかで正確な年がわからなかった)で、特徴的なのはマイナンバー制度が既に始動して、それを前提に整備された社会保障システム等も出来上がっていること。そのあたりは実際に『内閣官房で2011年から番号制度推進管理補佐官、2012年から政府CIO補佐官としてマイナンバーを支える情報システムの調達支援に従事。』している楠さんの見事な紹介があるので参照されたし個人情報のディストピア小説を 政府マイナンバー担当者が読んでみた 『ビッグデータ・コネクト』 (藤井太洋 著)|新刊を読む|本の話WEB

社長兼エンジニアで、官民一体の複合施設である「コンポジタ」の利用者管理システム構築に従事していた月岡という男が何者かに誘拐された。それがわかったのは切り落とされた右手親指と同時に、「コンポジタ」システムの計画停止を要求が送られきたからだ。安いシステムではないが、なぜそんな物の停止を要求するのか。誘拐を企図したのは誰なのか。愚直かつ、あくまでも誠実に調査を行うサイバー特別捜査官の万田と、かつてXPウィルス事件で罪に問われていたが不起訴に終わった(ゴリゴリの武闘派の)武岱の二人がバディのようなチームを組んでこの謎を追っていく過程はミステリ(サスペンス)的であるのと同時に、「真実」が明らかになっていく過程でSF的な興奮も伴ったものになっていく。

それなりにしっかりとした橋

SF、一般的にサイエンス・フィクションと呼称されるジャンルの作品を、僕自身は「全人類が読むべきものだ」とはまったく思っていない。何しろそれは、我々の日常から大きな一歩か小さな一歩かは別としても、「想像力の跳躍」を必要とするものだからだ。人間には大雑把にわけてしまえばそうした跳躍に意味を見出す人間と、そもそも見出さない人間がいる(どちらが良い・悪いとかではなく)。ただ藤井さんが展開する近未来小説群は、殆どの場合我々の現実の地続きの技術と、システムの延長戦上にある。先の言葉では「跳躍を必要とする」と書いたが、「それなりにしっかりとした橋」がかかっている作品群とでもいおうか。

たとえば本書で言えばその「橋」にあたるのはマイナンバーという現実に導入が決定されている制度だ。ここにあるのは近未来の「まだ現実ではない世界」だが、「まず間違いなく、すぐに我々が到達する世界」でもある。一歩の跳躍も必要としない、「間違いなくくる未来」。そして「技術的にいくらでも起こりえる」世界だ。現在官邸にドローンが侵入したなどと騒いでいるが、技術的にはもう何年も前からそんなことは可能だった。ただ昨日までは誰もそれをやってこなかった世界で、今日はそれを誰かがやったあとの世界だというだけの話だ。藤井さんの作品群は(Gene Mapperはちょっと特殊だけど)そのレベルで紙一重の世界を描いている。

現実とつながった「橋」というからには、その先には繋がっている場所があることになるが、それは先行作品のいくつものSF作品だ。誰しもがSFを読むべきものだとはまったく思ってないと書いたが、こうした「橋」を経由することで、跳躍にそもそも意味を見出していない多くの人*1が「その先の」未来像に想像力を馳せるようになるのかもしれない。

IT☓警察物

IT☓警察物の側面についてもちろん藤井太洋さんはその道のベテランではあるが、単に経験だけで書いていないのは描写の一つ一つからよくわかる。たとえば物語の冒頭、重要参考人扱いの武岱が警察署内でのやりとりを交わすシーン。警察は武岱の情報を割りたい。武岱はかつて濡れ衣を着せられ、社会復帰できないほどメディアに晒されたのでこの手の物事には異常に過敏になっている。両者の「情報」を入手/防衛する為のを巡る攻防一つとっても、派手さこそないものの独自の面白さを獲得している。

 ”武岱マシン:WiFi、そのほかの無線接続ポートがすべてオフ。無線ポートのMACアドレスを取得するためのSEに乗ってこない。武岱の防壁、かなり堅い”
 メモを見た万田は、ようやく小山の仕掛けを理解した。ゲストのネットワークに繋ぐために武岱がマックブックの無線を恩にすれば、コンピューターの指紋に相当するMACアドレスを知ることができる。もしも武岱が空港や駅、スターバックスなどの無線ホットスポットでこのMacBookを繋いでいれば、記録に残っているはずだった。偽装が可能だとはいえ、行動を知る手がかりにはなる。だが、それは空振りに終わったということだ。

この後もパスワードを肩越しに覗きこんでパスワードを目視するソーシャルエンジニアリングの手法も導入しながら(疑われていること、情報を割る企みを危惧している武岱は当然それに対する対策を打っている)表向き言葉には出てこない水面下での「戦い」がある。これは決して派手なアクションのような攻防ではないけれども、頭脳バトルじみた静かな面白さがある。

個人的な話と社会における階層における論理のズレと葛藤

「コンポジタ」システム停止を要求してくるからには、そのシステムに何かがあるに違いないと調査が始まるが、同時にその悲惨な労働環境が明らかになっていく。上から放り投げられた仕事を何十にも下請けの下請けみたいなところに出して、下っ端の開発はただ使い捨てられるのみ。上の意見はころころ変わり現場の労働システムを考えない無茶な人材の投入、あるいは慢性的なスケジュール及び人間の不在ですべてがもみくちゃになっていく悲惨な状況。個人的な事情を話せば、僕も某Nから始まるアルファベット三文字の会社案件に二年ほど関わった後こりゃいかんと逃げ出していまは単なるWebプログラマとして細々と生計を立てている人間だったりする(暇なニートではない)。だからこそ本書で描かれていくいわゆるエンジニアの地獄的環境には「あるある」というよりかは「あ…あ………」と、共感……ともまた違う、「どうしようもなさ」みたいなものに深く頷いてしまった。

エンジニア地獄と作品を通しての共通項で言えば、「上部階層の論理と下部階層の論理は異なっている、そのズレを描く」というあたりなのではないかと思う。たとえば最初の方で書いたように、もちろん警察(にかぎらず組織には)「組織の論理」がある。もっと大きく拡大すれば、日本には法律があり世界には国際法がある。スケールが大きくなれば捉えきれない部分は出てくるもので、そのズレは葛藤として表出するものだ。上層部の論理に納得できない現場の論理、法律に納得出来ない個人の論理、誰もがそうした階層構造ごとに異なる論理のズレと葛藤の中で日々をやり過ごしている。

本書はそうした個人と組織、組織と法律とそれぞれの階層と個人間に存在する「どうしようもないズレと、その葛藤」を克明に描いていく。そこには「誰が悪かったのか」という特定の悪者は存在しない。なぜこんな現場の実態にそぐわないこんな法律があるのか、なぜ現場の理屈に合わない組織のルールがあるのか…たとえるならば、一人では対抗しえないあまりにも大きなものを相手に、誰もが目をつぶり続けてきた結果──あえていえば、そんな状況がそもそも発生してしまうことからして間違っているのだ。だがそんなことを言っても仕方がない。僕が現場と本書で感じた「どうしようもなさ」というのは、そうした「明確な悪者のいないがんじがらめの世界そのもの」だったのかもしれない。

物語として本書が盛り上がるのは「一人では対抗しえないあまりにも大きなものを相手に、誰もが目をつぶり続けてきた結果」──で終わることを良しとせず、行動を起こした偉大な個人がいるからだ。ただ、彼らの行動と勇気もまた、単純な善と悪で割り切れない複雑さとどうしようもなさを抱えている。ただどうなんだろうな、これはただの妄想だけど、これを読んでいるうちに藤井太洋さんがやっているのも、一人では対抗しえないあまりにも大きなものを相手に物語を使って抵抗しているのかもしれないなとふと思った。深夜で感傷的になりすぎているのかもしれないが。

まとめ

ここまでの情報密度の小説にはなかなかお目にかかれるものではない。SFにミステリにマイナンバ制度に警察物としての側面、そしてエンジニア地獄まで多様に情報を展開しながら、窮屈な印象を与えずに鮮明なエンターテイメントとして成立している見事な小説だ。

*1:これは僕が勝手にいると仮定しているだけだけど。