基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

人類最強の初恋 (講談社ノベルス) by 西尾維新

人類最強の初恋 (講談社ノベルス)

人類最強の初恋 (講談社ノベルス)

シンギュラリティ系のSFでは進化した人工知能なりロボットなりが現れて人間が仕事をしなくても生きていけるようになったら、その時人間は何をするんだろうか──という問いかけが必然的になされることがある。一つの答えは「恋をすることさ」となるだろう。正直な話、恋なんてめんどうくさいもんを、それしかすることがないからってわざわざするかあ? と思うわけだが、まあ「勉強」「研究」よりは納得感がある。で、『人類最強の初恋』である。あの戯言シリーズの番外編にして随分長いこと出る出る言っておきながらなかなか出なかった人類最強の初恋がようやく出た。

もうあんまり戯言シリーズの内容も覚えていないが──世界中に明確な対抗しうる「敵」がいなくなったまさに「人類最強」を、傍役として出てはなく、物語の主軸として描こうとするならば、そのパターンは必然的に狭まってしまうものだ。何しろ物語は、もちろん絶対的なルールではないにせよ何らかの目的を達成し、苦難を乗り越える形が基本パターンである。日常系なんてジャンルもあるし、例外はいくらでもあるのだけど、いまさら戯言シリーズで日常系もないだろう。しかし人類最強の人間に困難なんてありえるのだろうか? やったことがない、苦戦することが? ドラマが構築できるのか? この問いかけは最初の与太話であるところの「人間が仕事をしなくても生きていけるようになったら、その時人間は何をするんだろうか」と重なる。

最強は何をするんだろう──、そういえば、恋はしてないなと。そして物語はこれまであまり西尾維新さんが書いてきたことのない「SF」の領域に突入していくことになる。何しろ人類最強なのだから、物語に苦難や壁を設定すると人類以外から持ってくるほかないだろう。ある意味バキが辿ったのと似たような道を(人外を大量投入して、挙句の果てに過去から宮本武蔵を召還する)この『人類最強の初恋』シリーズもたどっている。もはや地球上で走破する困難がなくなってしまったら、理屈で考えればそれしかない。

本書は『人類最強の初恋』と『人類最強の失恋』の二編で構成されているが、前者は宇宙から謎の宇宙人が隕石のように落ちて哀川潤に衝突する話で、後者は哀川潤が月へいって(比喩とかではなく、文字通り月に行くのだ)、またそこで別の宇宙生命体と出会う話だ。まあ、初恋に宇宙に人外、そうなるほかないよね。

正直な話、話としてはあんまりおもしろいと思わなかった。哀川潤の一人称語りは、二編目である『人類最強の失恋』ではだいぶ違和感がなくなっているけど『人類最強の初恋』ではどうしようもないちぐはぐさを抱えているように思う。どう書いたらいいのか書きあぐねているような──とでもいおうか。物語の進行上必要だから挿入せざるを得ない部分の説明など、妙に言い訳くさいぐだぐだした部分がある。そもそも人類最強の一人称とはいったいどういうものなのかを捉えかねているような。いつもの果てしなく冗長で、それでいて書くべきことを書いている、流れを阻害することのない文章とはだいぶ異なっている。これはまあ、考慮して別のスタイルを試しているところで、僕が単に合わなかったか、あるいは挑戦と受け取れる部分でもあるだろう。

『人類最強の初恋』について、語り口以外の部分では、人によってそこに「理想の人間像」を浮かべてしまう謎の宇宙生命体と「いかにしてコミュニケーションをとるのか」というコミュニケーションの主題に人類最強が挑む話で、単純な力比べではない展開としては面白かった。一方『人類最強の失恋』については、語り口はだいぶすらすらと読めるようになったが(こっちが慣れただけかな)、元々設定されていたかなり緩いリアリティレベルが、さらに緩くなって「それはないだろ」と思わず読み終えて突っ込んでしまった。そこさえ気にしなければ……面白いのかもしれない。個人的にはびっくりするぐらい面白くなかったが。

この人類最強の落ち込んでいく「退屈」という袋小路はある意味西尾維新さんと重なるところがあるなあと考えこんでしまった。もう一生分遊んで暮らせる金はあるだろうし、もちろんそんなことは大した問題ではなく、小説を書くのが単に好きなんだろうが、そうはいっても小説だって普通の作家が一生かかっても書ききれないぐらいたくさん書いただろう。年齢も34? 35? ぐらいで、やろうと思えばまだまだいろんなことができる。しかし何をやるんだろう。漫画も書いたし、作品は続々アニメ化、映画でもとるか? といえば厭人癖が激しそうだしそれは無理そうだ。

小説ジャンルとして書いていないのは恋愛小説とか、SFとか、ファンタジーぐらいのもんではないだろうか。ジャンル以外だと、短編とかかな。それは今掟上今日子シリーズとか、漫画もばかばか出しているけど。少女不十分や難民探偵系の作品もそんなに書いていない、実験系の小説はりぽぐら! などがあるけど、まだまだやることはあるか。最近の西尾維新さんの仕事のラインナップをみているとこうした「まだやっていないこと」に手を広げ、挑戦している印象がある。『本題』は、彼が創作家の諸先輩方に教えを請うような対談集で、自分にないものを取り入れようとしている貪欲さを感じた。huyukiitoichi.hatenadiary.jp
人類最強の初恋が退屈だといって、今までしたことのない領域に足を踏み入れていくのはメタ的に西尾維新さんの心情と重なっているんだろうか──だろうな──と作品とあんまり関係がないところで面白く思った。作品はたいして面白くないのが皮肉だが。一応僕自身の嗜好偏向からいって、「キャラクタ」にはなんの興味もないというのは明らかにしておく。だからキャラクタ重視の読み方をする人には、本書もちゃんと面白いのだろうとおもう。