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黄色い部屋の秘密 by ガストン・ルルー

黄色い部屋の秘密〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

黄色い部屋の秘密〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

今やカレーといえば福神漬ぐらいのレベルでミステリといえば密室物ぐらいに切っても切れない関係性にある。本書は『オペラ座の怪人』などで知られるガストン・ルルーによって1908年に刊行され、最初期の密室作品群のうち「実は抜け穴がありましたー」などというがっかりな結末でない「完全な密室状態」であることを作品の中心に置いた、時代を代表する作品である(完全な密室状態を書いた最初の作品とは解説にも書いてないからこれぐらいが妥当な表現だろう)。

 さまざまな批判はあったものの、今日まで『黄色い部屋の秘密』が個展中の古典として読み継がれてきた最大の理由は、完全な密室にこだわった、という点にあるのだろう。本作は、多くの読者を獲得しただけではなく、のちに誕生するミステリ作家に大きな影響を与えたのである。

とは解説の吉野仁さんの言。実際この言葉どおりに、アガサ・クリスティーやらジョン・ディクスン・カーやら江戸川乱歩やらの絶賛の声が解説に引用されている。

物語の舞台はパリ郊外に存在するグランディ城だ。その城で研究にいそしむスタンガーソン博士とその令嬢マチルドであったが、黄色い部屋で彼女は襲われてしまう。博士らが扉を突き破って中に入ったところ、その部屋には血まみれで倒れているマチルドの他、犯人はおらず他に出入りできる場所はどこにも存在しなかった……。とまあオーソドックスな密室物である。完全密室状況下で襲われ、犯人はいないのだ。

それを解決に導く探偵役は新聞記者であり当時まだ18歳だったルールタビーユ君(本名ではなく、あだ名である)。だが実際には18歳の言動にはとても思えないぐらい尊大だ。失敗も多く、うまくいかないことがあれば喚き散らし、年齢相応に若干中二病が入っており、完璧超人というわけではない。下記は年齢相応の中二病の図。

僕はこれから僕の理性が見つけた、この<論理の輪>に入ってきて、その論理を支えてくれる<目に見える証拠>を探す必要がある。この事件を自然な形で説明する<論理の輪>に入ってきて、その論理を支えてくれる証拠を……。なんとしてでも、その証拠を見つけなければ……。僕はそのための力が欲しい。

ただこの<論理の輪>とそれを支える<目に見える証拠>をあくまでも重視する姿勢は、本書の面白さに大きく貢献している。密室が「本当に密室であること」を丹念に検証し、その時誰がどこにいたのかという「人間相関図」、婚約者、愛憎劇などの動機部分を深く掘り下げ、地道に証拠を集めていくのが本書のほとんどの過程である。

論理的に事件の帰結を導くとは、超自然的な現象を取り入れないこと、事実や物証が必然的なつながりを持ち、互いに矛盾していないことなどなど。500ページにもわたって「密室が本当に密室であること」の検証、謎に次ぐ謎が起こると、<論理の罠>の構築も複雑になっていくが、だからこそラストにルールタビーユ君が『裁判長。事件を説明する<論理の輪>を描くには二つの条件があります。それは理性が許容すること、それが<正しい論理の輪>であることです。』といって、これまで散りばめてきた手がかりを総まとめにかかって何十ページにも渡って語り続ける場面は爽快である。

全体を通してなかなか楽しませてもらったが、そのいくらかはやはり「密室の古典中の古典」作品であることを考慮にいれた評価だ。重要なのは「今」読んで面白いものなのかどうかだが、これは、面白さはともかくとしてちと長いね。

何しろ、500ページを超えている。もちろん長かろうがなんだろうが面白ければ僕はいくらでも読むが、本書のこの長さはどちらかといえば「まだ未開拓だった完全な密室」というジャンルを構築し、探偵役であるルールタビーユがたびたび主張するところの「論理の輪」を確固たるものにする為の延々とした説明に拠るものだろう。

冒頭でこの物語の作中の作者である人物も「おそらく読者の皆さんは前置きが長すぎると、そろそろおっしゃられるだろう」、その理由については出来事をただ淡々と語ることが役割であり、事件が起こった土地、舞台から正確にしておきたかったからなのだとしている。ようは、完全な密室状況の証明だけでなく情報を読者が推理できる=しやすいように=本格推理物の如く、土地から人物から含めて情報を開陳しようというわけだ。その為には舞台から何から何まで細かく説明しなければならない。

もちろん本当に推理に必要な手がかりだけを物語内に配置すると、一瞬で犯人がわかってしまう。故にミステリ作家は「推理に必要な情報」と「それ以外のジャマーのような情報」を配分に気を使って配置するものなのだろうが、当時はこの手の作品はまだ歴史が浅く、配分は洗練されていなかったのだろうと思わせられる。細かく諸条件を検分し、大量の情報が載せられていくので面倒くさくなってきてしまうのだ。

一方で、「長さで評価する部分はないのか」といえば、これはあると思う。いわば密室、ミステリとしての側面ではなく、森に囲まれている城の上流階級らの会話、誰もが知っている大ペテン師、幾人かが抱えている「絶対にいえない秘密」などなど舞台装置からメロドラマ的な愛憎劇まで含めて雰囲気や展開をどんどん盛り上げていく。

元々は新聞連載小説であり、やたらと謎をもったいぶって引っ張るところなども発表形式からくるものなのだろう。「いま」読むことについてなんとも評価に困る作品ではあるが、雰囲気も道具立てもフランスミステリならではのもので、毎度毎度「なんだってー」と言いたくなるような引きがありと、良い作品であるのは間違いない。