基本読書

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都市と都市

チャイナ・ミエヴィル作。ヒューゴー賞世界幻想文学大賞ローカス賞クラーク賞英国SF協会賞とそんなん聞いたことないよみたいな賞までとりまくっている奇想、奇作である。

あらすじを最初にAmazonから引用してみよう。

ふたつの都市国家“ベジェル”と“ウル・コーマ”は、欧州において地理的にほぼ同じ位置を占めるモザイク状に組み合わさった特殊な領土を有していた。ベジェル警察のティアドール・ボルル警部補は、二国間で起こった不可解な殺人事件を追ううちに、封印された歴史に足を踏み入れていく…。ディック‐カフカ的異世界を構築し、ヒューゴー賞世界幻想文学大賞をはじめ、SF/ファンタジイ主要各賞を独占した驚愕の小説。

「地理的にほぼ同じ位置を占めるモザイク状に組み合わさった特殊な領土」とはいったいなんなのか? ここの説明を読んだだけでは理解できないだろう。後半部分の二国間で起こった不可解な殺人事件の物語は、プロット構造的には純粋なミステリィであり事件を起こした犯人を警察であるボルルが追い詰めていく警察小説でもあり、見慣れた物語だ。

ミステリィとしての仕掛けは非常に芯が通っていていくつか大掛かりな仕掛けもありとても満足のいくものだ。これだけで書いても素晴らしい出来栄えでありこれにもう少しラブストーリーでもあれば売れに売れまくりそうな感じがある。しかしこの『都市と都市』を特殊な物語にしている要因は「地理的にほぼ同じ位置を占めるモザイク状に組み合わさった特殊な領土」という舞台にある。

ベジェルとウル・コーマという二つの都市が同じ空間を占めている。故に「分裂した都市」として想像される東ベルリンと西ベルリンのような厳然たる空間の違いが存在しない。壁が存在しないのでモザイク状に都市が組み合わさっており、当然べジェルの国民はウル・コーマに入国できないし、逆もまたしかりである。

それだけではなく、お互いの国民は相手の国の建物、人間を見てはいけないというルールが存在する。ウル・コーマに存在する物を見ることも許されないし、気がつくことさえ許されない。相手の国にあるものは「存在しないもの」として扱わなければならない。それが同じ空間を有する他国同士に存在するルールである。

これを破る行為はブリーチと呼ばれ、意図的にこれを犯した場合、同様にブリーチと呼ばれる謎の組織に連行されその後どうなるのかは誰も知らない。このブリーチ組織は絶対的な権力を与えられていてどちらかの国家に属するものではない。この絶対的な断罪者がいるからこそ二国間での異常ともいえるルールは成り立っている。

あまりにもあり得ない設定、ルールなので最初はこのルール、ブリーチ、クロスハッチなどといった用語を理解するのに手間がかかる。しかしそのルールさえ理解してしまえばなるほどこれは面白くなってくる。あり得ない設定でもそれが良く構築されていた場合、信じることができるようになる。

信じることが出来るようになる? 信じるというよりも、いったいこの仮定から何が産まれてくるんだろう、と期待する気持ちが生まれる。その仮定とは「同じ空間を二つの国が共有できるのか?」ということで、「できるとしたらどうなるのか? どのようなやり方があるのか?」が本書では入念に描写されている。

想像したこともない仮定から想像したこともない状況が生まれる。ここには科学的な想像力はまったく発揮されていないが「あり得ない状況を仮定しシュミレートする」というSF的な想像力の発露がある。本書はだから、科学はまったく出てこないがSFなのだ。

という風に本書で都市はボルルに加えてもう一つの主人公だ。ただボルルを主人公としたミステリィパートも面白い。ボルルは全編を通してガッツに溢れていて行動力があって決断力があって勘が尖すぎて異常なほど完璧超人なところが玉にキズだがその総体力を通してこの都市に起こった事件を追いかけていく。

よくある話で最初はただの殺人事件だと思ったらこれが大きな事件に繋がっていくわけだけど、これがべジェルとウル・コーマが破滅しかけるような大事件にまで発展してしまう。そこまで広がった風呂敷を元の小さな風呂敷にしてしまってたたみ直すところが非常にうまかった。

大きな物語を提示しておきながらたたみ方としては小さい。でもまとまっているのでこれでいいのだ。都市の設定と人々の生活を楽しむ都市小説としても秀逸だし、ミステリィ、警察小説としての出来も一級品だ。恐るべしミエヴィル。著者近影はギャングにしか見えないのに繊細な作品を書く。

けっこうオススメです。

追記
しかし「見ないようにして通り過ぎる」というのは考えてみれば我々が普段やっていることでもある。たとえば駅にいるホームレスをまじまじとみたりしないだろう。大抵ちらっとみて脳の中に入れずに通りすぎる。もしくは狂人がいたときに母親お決まりの台詞「見ちゃいけません!」があることからもわかるように、たぶん僕達は認めたくない現実は「そもそも見ないことで知らないふりをする」ことで認める以前の状態で止めてしまう。

当然それも現実の一部分なのだから直視せよというのは最もな話だが……。しかしそれをしたら自分自身もまた狂ってしまうのではないだろうか? たとえば世界の貧困を逃げずにまっすぐに見た時に僕達に何ができる? 出来ることはいくらでもあるだろうが、それがちゃんとした形で身を結ぶことは恐らく難しいだろう。

その時にあまりに真っ直ぐな気持ちで見過ぎると今度は自分が狂うことになるんじゃないか? 世界を助けたいとあまりに純粋に思う人は恐らくその純粋な思いに祟られる。じゃあどうしたらいいんだ? という事に対して本書の最終的な主人公の結末は最適解を導き出しているといえるんじゃないか? そういう意味でもとってもかっこよかった。読むべし!

都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)

都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)