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世界変革の双子──『アルファ/オメガ』

アルファ/オメガ (ハヤカワ文庫 SF ヘ 11-1)

アルファ/オメガ (ハヤカワ文庫 SF ヘ 11-1)

本書『アルファ/オメガ』はフランチェスカ・ヘイグというオーストラリア生まれで今は英国のチェスター大学で研究員として働く新人作家(ただし元々は詩作や短篇小説で活躍していた)の初長篇作品。英語圏ヤングアダルト領域で雨後のたけのこのごとく出ている世界崩壊後を描いたディストピア物、しかも三部作と不安をあおる内容でありながらその構造も文章もがっちり決まっていて何よりその設定が(かなり無茶ではあるのだが)面白い。なのでまずは設定の話から始めよう。

世界設定について

核戦争で荒廃し文明が弓矢で闘争レベルにまで退化した400年後の地球が舞台──というところまでは「ありきたりすぎるぐらいにありきたり」な世界崩壊後SFである。本作の設定が特徴的なのはここから先で、たとえばこの世界では核戦争の後遺症によって人類が必ず「男女の双子」で生まれ、片方が死ぬともう片方が死んでしまう。さらには双子で生まれた男女の片割れには必ず何らかの異常──腕が欠けていたり、足が欠けていたり、もしくは多かったりと何らかのハンディがある(オメガは全員子どもが産めない)。

その為社会は必然的に両者を最初から区別し、正常児のほうを「アルファ」、異常を持つ児童を「オメガ」として、オメガは額に焼き印を押されて隔離される。しかし、異常児であるはずの「オメガ」の中には一見したところ身体的な異常がなく、代わりに未来予知などの特殊能力を持つものもいて──とくれば物語は当然この「特殊な能力を持ったオメガ」を軸として展開していくことになる。

いちおう、礼儀としてツッコミを入れておくと、核戦争による影響──とのことだが、いったい何がどうなったら双子が生まれるようになるのかさっぱり理解できないし、百歩譲って双子が生まれるのをうけいれたとして、その生まれた双子の片方が死ぬともう片方が死ぬというのはいったい何がどうなったらそうなるんだという他ない笑*1。ともかくこの根本的な設定は普通ではありえない社会状況とドラマを生む。

たとえば、生まれた時点で「オメガ」はその異常が目に見えるのだから、社会が支配者層と非支配者層へ必然的に二階層化していくことそれ自体には説得力がある。ここからがこの設定特有の社会状況というもので、「じゃあ、オメガは一方的に迫害され、追い立てられ、駆逐されるのか」といえばそうではない。なぜならオメガはアルファとつながっており、どれだけ離れていようが片方が死ねばまた片方も死んでしまうからだ。

逆に、この手の階層化された社会は、抑圧が激しくなれば激しくなるほど革命の火種が存在し血で血を洗う抗争に発展するものだが、オメガもオメガでアルファを殺したら自分たちが死ぬわけだから、極端な二極社会にありがちな「階級闘争」の果て、全面的な革命と殺し合いを抑制する仕組みが組み込まれているのである。

あらすじとか読みどころとか

じゃあ、この奇妙な社会は奇妙な社会なりに二層化してバランスが保たれているのかといえばそんなこともない。物語の主人公にして未来予知の能力を持つオメガであるキャスは、その力を13歳にいたるまで隠していたのだが片割れザックに陥れられオメガ達の集団に追放されることになる。

無事分離を果たし、アルファの世界に仲間入りを果たしたザックだが、アルファの世界にも馴染むことが出来ず、普通の生活を大きく逸脱し"改革者"と呼称されるアルファ側の重大権力者として成長していく。一方のキャスは自身の能力を持って「南西に存在するオメガ達が自由に暮らす島」を知覚し、一瞬の隙をついて囚われの状態から脱し、類まれなる行動力によってオメガ側からこの世界そのものの変革へと歩みだすことになる。

設定で面白いのがこうした特殊な設定を持つ社会の在り方だと書いたが、双子であるザックとキャスの思想とそこからくる行動の違いもこの世界ならではの物だ。キャスはザックを敵として憎んでいるわけではなく、この世界では「一人を殺せば、それは二人を殺したことになる」ことに対して自覚的な人間だ。「あいつらは敵だ」と発破をかけるオメガ達に対して常にストッパーであろうとし、できることならばアルファ/オメガ双方が共存しあえる社会をと望む。

一方のザックはといえば自身が社会へと自然に溶け込む生活をキャスに邪魔されたと考えており、その思想は"改革者"と呼称されることからもわかるとおり急進的オメガ排除主義者だ。普通の階級闘争であればその思想は「殺戮」による排除に向かうところだがこの世界ではそれは不可能である。であれば──とけっこう驚きのヴィジョンをもってこの世界に変革をもたらそうとしているのはSF的に面白いところだ。いわば、本作はそれぞれのやり方で世界の変革を試みる双子の話だといえるだろう。

流れの中で紹介しきれなかったが、神話的なユートピアを目指す「探求」としての軸、崩壊し消滅してしまった地球文明をサルベージして活用する「世界崩壊後SF」としての軸など三部作の物語らしくまだ明かされていない要素が多数存在しており、二部、三部を楽しみにさせる出来だ。

苛烈化する映画化権取得競争と『ハンガーゲーム』枠

本作は出版される前からアメリカのドリームワークスによって映画化権の取得が行われたのだという。映画化権の取得は最近アメリカでは特に活発なようで、出たばかりの作品が次々と取得されている。今回は「とうとう新人作家の出版前の作品の映画化権が取得されるようになったのか」とさすがに驚いた。

今度はあれか? まだ一作も書いてない作家ですらない人間が作品を書く前から映画化権が取得されるようになるのか? 競争が苛烈なのは「原作」が極端に不足しているのか、あまりにも映画企画側が多すぎるのか、数社がとりあえずツバをつけまくっているのか、はたまたその全てなのか、そもそも競争が苛烈なのが僕の思い込みなのかどうかは調べてないのでわからないが。

さまざまな映画ジャンルがある中で本作が注目されているのは『ハンガーゲーム』枠なんだろう。本作の公式なキャッチコピーとして使われているのも「The Hunger Games meets Cormac McCarthy’s The Road in this richly imagined post-apocalyptic」で、明確にハンガーゲーム(とザ・ロードもだけど)を意識している。

レッド・ライジング―火星の簒奪者 (ハヤカワ文庫 SF フ 21-1) (ハヤカワ文庫SF)

レッド・ライジング―火星の簒奪者 (ハヤカワ文庫 SF フ 21-1) (ハヤカワ文庫SF)

ハンガーゲーム枠の映画化権獲得といえば最近でいうと同じく早川から出ている『レッド・ライジング』とかもそう。『ハンガーゲーム』や『レッド・ライジング』や本書『アルファ/オメガ』も含めてだいたい「現実ではないどこか架空の舞台で行われる少年少女の殺し合い」という共通点があるが、本作は年齢層は高めで(メインが20〜30代?)、閉鎖環境下での殺し合いである他二作品と比べると舞台は最初から世界そのもので流動的だ。

*1:もちろん、こあからさまに不自然な点はのちに物語で説明される可能性がある