基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

コロナ禍になってからたくさんのパンデミックSFが刊行されたので一気に紹介する

19年末からコロナ禍に入り、3年近い月日が流れている。数多くの変化がそれに伴って起こったが、そのうちのひとつは「パンデミックSF」の刊行が増えたことだ。

パンデミックSFとは、感染症が広まっていく状況を描き出すSF作品のことだが、コロナ以後に企画・執筆された作品はもちろん、それ以前に書かれたいわゆる「予言的な」作品と言われて海を渡ってきたような作品もたくさん翻訳されている。おそらく平時であれば企画が通らなかったものも、こんなときだからいくぞ! と企画が通りやすくなっているのだろう。そのすべてがおもしろいわけではないし、読みすぎて食傷気味なところもあるのだが、せっかくなので新型コロナウィルスの影響による刊行かは問わず、2020年以降に刊行されたパンデミック関連SFを一挙紹介してみよう。

予言的なと評された作品

最もコロナ禍の状況を「しっくりくる」形で描き出しているのは、コロナ以前に書かれたサラ・ピンスカー『新しい時代への歌』だ。本作では健康な人間も一気に死に至る可能性のある感染症の蔓延と大規模な爆破テロの恐怖が重なって人が夜間に外に出ることも、一箇所に集まることも禁止されてしまった新しい時代を描き出していく。

この世界では非接触が当たり前となって長く、学校も、仕事もすべてオンライン。クラブや美術館はすべて閉まり、輸送はドローンが担当している。それ以前の世界を知っている人たちからすれば悪夢のような日々といえるが、その状況が幼少期から当たり前だった子どもたちからすれば何の違和感もない。それどころか接触に極度の恐怖心を抱いていて──と、我々の将来がそのような状態に陥ってもおかしくはない情景が描き出されていく。そんな世界にあって、リアルな、対面でのライブにこだわる人たちの音楽小説でもあり、今回紹介する中でも特におすすめの一冊だ。

もう一冊おすすめなのが、中国の深圳で発生した未知の感染症(シェン熱)が人々をゾンビ化させてゆく、リン・マー『断絶』で、こちら原書刊行は2018年のこと。中国からアメリカへやってきた移民の女性を語り手に、シェン熱で崩壊していくニューヨークの姿を描き出していく。感染症がアメリカから活気を奪っていく様、無人となり、観光客も屋台もなくなったタイムズ・スクウェアの情景などいかにもパンデミックSFらしい読みどころも多いが、何より魅力だったのは、移民二世が持つ曖昧な帰属意識と自己認識(中国なのか、米国なのか)、そのあいだで揺れ動く感情の表現だ。

ゾンビ化したものたちは誰かを襲ったりせず、かつてやっていた行動を繰り返すだけなど、新しい・違ったかたちのゾンビ像を描き出している作品でもある。

コロナ以後に書かれた・編集されたアンソロジー

コロナ禍に書かれた短篇を集めたアンソロジーも存在する。たとえば、日本からは、『ポストコロナのSF』が21年の4月に刊行。近現代ものを現実の科学と絡めて書かせたら外れ無しの長谷敏司、藤井太洋、柞刈湯葉といったメンツから、『天冥の標』でパンデミックを作品の根幹に据えた小川一水などそうそうたる書き手が揃っている。

テーマは「アフターコロナの世界を想像する」で、近未来を描き出したものもあれば人類のすべてがデータ化されたような遠未来を描き出した作品もあるが、緊急企画アンソロジーらしく、いま・ここの空気が反映されている。具体的な作品としては、国境なき医師団に所属し紛争地に派遣された女性を主人公に、人道支援活動に従事する人々の動機が近未来のワクチン・プリンター技術とともに描かれていく柞刈湯葉「献身者たち」。人格をアップロードした人類が陥るウイルス騒動を描く長谷敏司「愛しのダイアナ」など、感染症にとどまらぬ広がりを持った物語が堪能できるだろう。

もう一冊のアンソロジーは韓国のパンデミックSFを集めた『最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集』(刊行は20年の9月)。収録作には、全長1.5kmの巨大な鯨の背に乗って暮らす人々と、その生命の土台といえる鯨が伝染病にかかってその構成要素がだんだんと死にゆく危機的な状況を幻想的に描き出すデュナの「死んだ鯨から来た人々」。感染症が蔓延したことで、人々がつばを飛ばさないように話し始めたことで変容した言語をテーマに据えた、ペ・ミョンフンによる言語SF「チャカタパの熱望で」など、非常にユニークな作品が揃っていて、なかなかおもしろい。

あまりコロナとは関係ないパンデミック関連SF

ここからはあんまりコロナ関係ないパンデミックSFを紹介していこう。最初はイギリスの作家クリスティーナ スウィーニー=ビアードのデビュー作にして、男だけが死ぬ感染症によって男性人口が激減した社会を描き出すパンデミックSF『男たちを知らない女』だ。日本SF大賞を受賞したよしながふみの長篇漫画『大奥』など類似の設定を持った先行作は思いつくが、本作の特徴は、舞台を二〇二〇年代の至近未来に設定し、男性がほぼ消滅することで変容していく社会の姿を、人類学者、医者、政治家、軍人などさまざまな立場の人物の視点から描き出している点にある。

たとえば清掃員や電気工事士、軍人といった男性が多い職業の穴をどう埋めるのか(職業を矯正させるのか)や、男性が激減した結果の恋愛観の変容(女性同士をマッチングさせるアプリが大ヒットする)など、仕事、恋愛、政治など多様な局面での変化をとらえている。コロナ以前に書かれた作品だが、ワクチンの開発に奔走する過程、病が広まっていく社会の描写など、まるでコロナ禍を見て書いたような鮮明さである。

今回紹介する中でもエンターテイメント的に飛び抜けているのは、チャック・ウェンディグ『疫神記』。巨大な彗星が地球を横切った後、突如夢遊病者のように歩き始める患者が急増。彼らの体は硬質化し注射器の針も通さず、一切止まらずにどこかへ向かって歩き続けていく。これは彗星が原因なのか、何らかの感染症なのか? 

徐々にその症状の患者は増えていき、夢遊者と呼ばれるようになった集団は徐々に増え、その身を案じる家族も旅に同行することから、その一群は大きな勢力となっていく。敵国による攻撃なのか、感染症なのかを専門用語を交えながら考察していく米政府パートに、夢遊者の家族を助けるため、どこに向かうかもわからぬままともに歩き続ける親子パート、この事態を予測していた未来予測AI「ブラックスワン」の活躍と暗躍──と、上巻のテンポは馬鹿遅いのだが、下巻に入れば続々と意外な事実、この症状の発端、人類の行末も明らかとなり、ノンストップで進行していく。1500p超えの巨大な物量が可能にした、全部乗せのSFエンターテイメントだ。

こんなのもあるよ、的な

キャロル・スタイヴァースのデビュー作『マザーコード』はアフガニスタンで使用されたバイオ兵器が暴走し、世界中に致死的な病原体が撒き散らされた世界が舞台。人類はほぼ絶滅に近い状態に陥っているが、一部の子どもたちは免疫をいじられ耐性を持っていて──と、人類をパンデミックから救うために奮闘する科学者らのパートと、新世代の少年少女たちのパートが交互に描かれていく。物語的なおもしろさでいうと単調で微妙だが、著者は生化学で博士号をとったのちスタンフォード大学で微生物学と免疫学に取り組み、その後バイオ関連企業の研究開発を行っていたような専門的な人物で、作中の描写の精度は高い。ちなみに、本書の執筆は2019年とのこと。ノンフィクションを主体に活動するローレンス・ライトによる『エンド・オブ・オクトーバー』は、パンデミックによる世界の混乱と政治的緊迫を描き出すテクノスリラーだ。本作では死亡率70%を超える新インフルエンザが猛威をふるっている。まだ抑え込みが可能な感染者数の段階で、感染者のひとりが300万人もの巡礼者が集まるメッカへ向かったことが判明し、メッカをロックダウンしろという専門家と、そんなことができるかと反発する政治家らの戦いなど、専門家と政治家の葛藤に始まって、サウジアラビアとイランの政治的対立、生物兵器なのではないかと疑うアメリカとロシアの対立など、いま・ここを彷彿とさせる事態が続々展開していく。ノンフィクション作家だけあって、バイオ兵器が戦争に用いられてきた事例や、ウイルスの種類についての専門的な話なども盛り込まれており、ノンフィクション的な読み口も魅力。『疫病短編小説集』は、SFに限定しているわけではないが、感染症に関する英米のよりすぐりの短篇小説を集めた一冊。収録作はたとえば、1830年代のコレラ大流行後に書かれた(1842年)、感染症の恐怖とその実態をゴシック小説の文脈に乗せて表現したエドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」。『ドラキュラ』の著者ブラム・ストーカーによるコレラの流行を悪魔や巨人に擬人化することで表現した「見えざる巨人」。人間が生身で接触することが奇跡のような出来事となり、デートも、子育ても、夫婦の生活も、すべてはテレビを通して行われるようになった世界を描くJ・G・バラードの「集中ケアユニット」(1977)など、歴史の中で何度も流行した感染症が文学の世界でどのように捉えられ/描かれてきたのかをこれ一冊でとらえることができる。

おわりに

他にも、ピエール・マッコルラン『黄色い笑い/悪意』に収録されている「黄色い笑い」は、笑い続けることで死に至る、笑い病のパンデミックが社会を崩壊させていく様を描き出すパンデミックSFであったり──と細かな短篇まで上げ始めるときりがないうえにもはやあまり関係ないのだが、2020年以降たくさんのパンデミック関連SFが出たことはこの記事でなんとなく感じ取ってもらえたのではないか。

もちろん僕が見過ごしている作品の刊行もあるだろう。海外SFのガイドをSFマガジンで担当している関係上、翻訳系はかなりカバーできている自信があるが、日本人作家のカバー率は悪いと思うし。もしこんなのもでてたよ、というのがあったらぜひ教えて下さい。