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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

私はよくも悪くもストーリーテラーだ──『道程:オリヴァー・サックス自伝』

道程:オリヴァー・サックス自伝

道程:オリヴァー・サックス自伝

今年の8月に亡くなったオリヴァー・サックスであるが、まだ生きているうちから翻訳が進められていた自伝が刊行された。脳神経科医として様々な症状を、患者とあくまでもじっくりと向き合い、その人生をまるごと包括するように描く手法がその魅力的な文体と相まって『レナードの朝』『火星の人類学者』『妻を帽子とまちがえた男』などなど、多くの人に読まれる本を生み出すにいたった、魅力的な作家だった。

面白い本、興味深い論考を書く人間だからといって当の作家に興味を持つ、魅力的だと思うかどうかはまた別ではあるが、『レナードの朝』の中で、サックス先生は世の中で最も興味深いことについて次のように答えている。『ここ十五年間脳炎後遺症の患者たちとともに働いてきて、私が感じる奇妙な喜びは、私の中で科学的な洞察と「物語的」な洞察が融合し、私の精神と心を同じように動かせることになったことである。』この言葉どおり、サックス先生の著作を読んでいると、主役はあくまでもさまざまな症状をみせる患者たちなのだけど、常にそれを聞くサックス先生の姿がそこには混ざりこんでおり、読み終えると作家自体の魅力に惹きつけられているのだ。

破天荒な人生

それは彼自身の破天荒なエピソードが所々に挿入されているせいもある。2014年に出た『見てしまう人びと 幻覚の脳科学』では、自身がLSDやマリファナをやりまくってどのような幻覚を見たかを明かしている。彼の著作を一冊でも読めば医師として成功し、同時に著作家としても高い評価を受ける「客観的にみればとてつもなく成功した人」であるサックス先生が、ただ行儀が良い人間ではないことがわかる。

その印象はこの『道程』を読むことによってさらに裏付けられることになる。相貌失認症によって人の顔が覚えられず、同性愛への偏見が強かった時代からのゲイであり、孤独癖で晩年にいたるまでそれは解消されなかった──自己評価が妙に低く、バイクが好きで、ウェイトリフティングにハマり、サーフィンや事故で幾度と無く身体を壊す。その多大な才能と裏腹に、幾度もの試練が彼を襲い、その度ごとにへこんで、落ち込みながらも前に進んでいくありさまがここにはよく書き込まれている。

自伝といえば自分の悪い側面をあまり出さないようにする人間も多い中、オリヴァー・サックスという人間の魅力は、人間的な弱さの部分──だけでなく、その弱さを認め、自分の中でちゃんとそれを受け入れている部分にあったのだと今更ながらに気がつくことになった。というより、魅力はほとんどの場合その弱さと裏表なのだ。統合失調症になった兄と、レストランや映画や芝居にもっと行って、支えになれたはずだと彼が恥じ、思い悩んでいるのも、彼自身の深い責任感と愛情の表出のように思う。そんなことはなんにも気にせず切り捨ててしまう人間もいるのだから。

オックスフォードの解剖学の最終試験で、結果が貼りだされたら自分がクラスでビリだったことから母の反応が怖くてパブで2,3リットルリンゴ酒を引っ掛けてその足でひどい成績の埋め合わせに奨学金の試験に(酔っ払ったまま)向かう話など、あまりにも無茶苦茶で笑いがこみあげてきてしまう。しかも、小論文形式の問題に堂々と答え、見事受賞をもぎとってみせたのだった。当時から文章がべらぼうにうまかったのだ。圧倒的な才能と弱さが、一人の人間の中に同居している。

270キロをかついでフルスクワットをしてカリフォルニア州の新記録を打ち立てる、死が迫っている患者がバイクに乗って曲がりくねるトパンガキャニオン・ロードを走り回りたいといえばバイクの後部座席に乗せ、自分とロープでくくりつけ、怒られることも承知で走ってやったりもする。規則に囚われないというより、規則や、自分自身の弱さから逃れるかの如く(医師という職業すら、他者からあてがわれた職業だと不満を感じていた)様々なものにのめり込んできたようにもみえる。

 なぜ、あんなにひたむきにウェイトリフティングに打ち込んだのだろうと、考えることがある。その動機はありがちなことだったと思う。私はボディーブルの広告に出てくるやせっぽちの弱虫ではなかったが、内気で、自信がなくて、臆病で、従順だった。ウェイトリフティングで腕っぷしは強く──とても強く──なったが、性格にはなんの影響もなく、そちらはまったく変わらなかった。

その後彼は紆余曲折ありながらも、脳神経科医として一貫して患者に関わり続け、『レナードの朝』など幾つもの本でたかい評価を受けていくことになる。評価を受けるようになってからの彼の生活は生活で──多くの依頼が押し寄せ、有名な人間になったことで失われたものもあったようだ。『気質としては孤独癖であり、自分のいちばんいいところ、少なくともいちばん独創的なところは孤独癖だとあえて信じているにしても、その孤独癖を、独創的な孤独癖を、貫くことは難しくなった。』

思い入れは思い入れとして、事実は事実、観察・分析はあくまでも冷静に

最終章「ホーム」では、右目のガンや耐え難い坐骨神経痛との戦い、75歳になってから作家であるビリーとの恋によって孤独癖が解消されていく様子などなどが語られる。つらいことはどのようにつらく、嬉しいことはどのように嬉しいのかと、率直に書かれていく。彼の自分自身へのあまりにもストレートな文章を読んでいくと、ほとほと魅力的な人間とはこういう人のことをいうんだろうなと胸が熱くなってくる。

その魅力についてこの記事では書きたいと思っていたのだが、これこれこうと箇条書きにして表せるものではなく、サックス先生がやってきたように「患者を総体として捉えること」、一人の人間を、あくまでも一人の人間として捉えることでしか浮かび上がってこないもののようだ。

 私はよくも悪くもストーリーテラーだ。物語や話に対する感性は、私たちの言語能力、自己意識、そして自伝的記憶に同調していて、人類に共通の性向ではないかと思う。

サックス先生の観察記録は、好きな人々を取り上げていると自身でいうように主観的なものだ。主観的なものだが、診断を下すときにはあくまでも事実のみに立脚し、記述も公平である。幾人もの患者に深い思い入れを持った共感者であると同時に、冷静な観察者でもあった。そうした患者に対する態度、そしてそれをストーリーとしてまとめあげる技術が、自伝である本書はそのまま自分自身に適用されていたように思う。思い入れは思い入れとして、事実は事実、観察・分析はあくまでも冷静に。

オリヴァー・サックスがどのような人物であったのか、是非読んで確かめてみて欲しい。もし、彼の著作を読んだことがないのであれば、早川書房から新版が続いているので、どれか一つ手にとってみるといいだろう。

レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)