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翻訳出版が冒険であった時代──『翻訳出版編集後記』

翻訳出版編集後記

翻訳出版編集後記

常盤新平さんが「出版ニュース」にて1977年から1979年までにかけて連載されていた、早川書房で翻訳出版に携わっていた日々をメインにしたエッセイ集である。なんでそんな、40年近いむかしのエッセイが出るんだと言えば、版元の幻戯書房が著者の没後も未発表の作品を発掘し、本として出してくれているからだ。

僕は翻訳出版の編集者ではないが、翻訳物を読む機会が多いので読んだけれども、そのような趣味や仕事上の関係分野でもなければ40年前に書かれたエッセイを読もうとは思わないかもしれない。ただ、著者が早川書房で働いていた1959年〜1969年は翻訳出版が現代以上に全部博打みたいな状況であり、現状の翻訳出版をめぐる状況がどのように創りあげられてきたのかが感じられるおもしろさがある。

当時の状況

たとえば、翻訳するためには権利を買い取る必要があるが、当時その金額が探偵小説とSFの場合は125ドルから150ドル、ノヴェルズからノンフィクションでも200ドルから250ドルだったとか。物価がわかりづらいが、1967年頃のコーヒーは5、60円で1ドルが360円、著者の年収は30万円とかだからそんなもんかあという感じである。ただ早川書房の編集者はみな『給料が出版界でも有名なほど安いから』ということもあって二足のワラジ(翻訳とか原稿書きとか)をはいていたという。

編集といっても仕事は色々あるが、著者の場合はキャリアの初期の方で「ホリデイ」という雑誌を創刊して1号で潰したりもしているが、おおむねSFを除いた翻訳物の企画から翻訳権の取得、編集までを広く受け持っていた*1。なので、そうした海外エージェントとのやりとりや翻訳についての話が多い。その頃の翻訳出版をめぐる状況は、随分と牧歌的な時代だったようだ。早く翻訳したい作品を見つけて交渉すれば、仁義によって他所は手を出してこないし、競争もなく版権を安く買えた時代である。

今の早川書房の編集者はとてつもなく忙しそうだが、当時の早川書房はそんなに忙しくなかったみたいでもある。「パブリッシャーズ・ウィークリー」誌や「ニューヨーク・タイムズ」などを取り寄せて読んだり、新刊の書店や古本屋をぐるぐるとまわりながらアメリカの出版社が送ってくる新刊予告を読んで何の版権をとろうかなあと思案して日々を過ごすのはずいぶん楽しそうというか天国みたいに思える。

翻訳出版は冒険である

とはいえ売れないと責任がかかる。何度も本書で強調されるのは当時の翻訳出版は「冒険である」ということで、今もそうだとはいえるんだろうけれども「翻訳出版というものが確立していない」時代のことなのでより過酷である。あの『ゴッドファーザー』も、「おもしろくてもマフィアの小説をいったい誰が読むのか」と議論しているのが後世からみるとおもしろい。インターネットもないから情報の伝達が遅く、文化の隔たりが大きい。海の向こうでベストセラーになったからといって日本では鳴かず飛ばずということが頻繁に起こる時代ゆえの苦悩といえる。

 翻訳ものを出版するというのは、私にとってはいつも冒険だった。それは早川書房にとっても冒険であったし、早川書房ははじめからその冒険に賭けてきたのである。私の上司だった福島正実氏が、人真似をするなと戒めたのも、他社の真似をしたのでは、早川書房の存在理由がなくなるし、編集の楽しみもなくなると考えたからだろう。

引用部にはあの福島正実さんの名前もあるが、当時の伝説的な編集者らとの交流の記録としても魅力的だ。いろいろと確執もあったようだが、おおむね好意的に描かれている。逆に、常盤新平さん自身はあらゆる要素を自虐的に語るのがおもしろい。ダメダメな翻訳/編集者だったとか、自分が翻訳したら売れなかったかもしれないとか、軽率だったとか、書かれているのは後悔ばかりである。文章だけ読むと、正直な人だったんだなという印象が湧いてくるが、それゆえに語りがじんわりと染みてくる。

 もし私がもう一度翻訳担当の編集者になったら、と空想することがある。不可能であることはわかっているのだが、自分も翻訳したいという気持は抑えて、原書を読み、翻訳の原稿を丹念に読むだろう。たぶん、訳者におずおずと助言するだろう。校正をていねいに読むだろう。
 早川書房時代に、私はそういう基本的なことを怠った。悔いがあるとすれば、その点である。

たとえばここなんか、読んだ時は思わずドキっとしてしまったもんな。基本的なこと、僕は怠りまくっているもの。重要だとわかっちゃあいるがいざ直面するとやはり逃げたくなって/面倒になってきてサボりたくなってきてしまう。

著者が早川書房を退職したのちに、日本とアメリカの流通はより密接になり翻訳出版をめぐる状況も変わっていくわけだが、その前夜の翻訳出版状況を知ることのできる貴重なエッセイだ。幅広い層に訴求する本ではないかもしれないが、おもしろいよ。

*1:二足のワラジで翻訳もしていた