- 作者: 清涼院流水
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/08
- メディア: 文庫
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だがそもそも他人の決めたルールにとらわれるのはどこまでも凡人の証明でしかない。たとえばわざわざ21世紀最初の退学者になるために4年間も休学して、1月1日に退学届を出すなんて非常識だ、なんてのはあくまで社会の常識である。自分のものさしで、他人の思惑に煩わされることなく行動する清涼院流水はニーチェの定義するところの超人を地で行っている感がある。超人はほんと生きにくいなぁ。
って、作品の内容を全く語らずに清涼院流水の話題だけでここまできてしまった。方向転換である。遅いけど。秘密屋と聞いてはじめに連想するのは昔ズッコケ三人組か何かに出てきた、文字通りの秘密屋である。そこでは店先に色々な秘密が売られていて、秘密のランクごとに値段が決められていて買って初めて情報が得られるというわけ。ズッコケ三人組じゃなかったかもな。なんだろ、まあいいや。本書での秘密屋はただ単に情報を知っている人間、それを利用する人間である。まるで秘密屋に関する話題が本書の大筋かのようだが、そういうわけでもないところがこの作品をまとまっているんだかまとまっていないんだかよくわからないものにしている。もともと二冊だったというのが関係しているのかもしれない。前半の章ではおもに都市伝説が長々と語られ、秘密屋というキーワードにも一応の解釈が求められる。このあたりはとてもミステリー的である。ただここで語られる都市伝説も、口裂け女とか人面犬とか斧男などのあまりにもポピュラーな話なので非常に退屈である。後半ここでの話が生きてくるのだが、そんなことは前半部を読んでいる時は知らないので退屈なのに変わりはない。後半の二章では前半とはまた違った意味での秘密屋に関する話題が展開される。ここでの話のメタ的なオチのつけ方とか清涼院流水らしくていいのだけれども、やはり都市伝説を長々と150ページも続けておきながら都市伝説との関連性が薄いのが惜しい。いや、実際は関連は強いのかな? なのに読み終わった時に沸き起こるこのちぐはぐ感にうまく説明がつけられない。分析するとやっぱり元々二冊だったのを一冊にまとめきれていないとかんじているようだ。西尾維新をほうふつとさせるボケとツッコミが198ページにあるのだが、これは明らかに意識しているよなあ。ああ、あと最後主人公が怪奇をひきつれて敵に乗り込んでいくところは普通に燃えた。やっぱり驚いたのは、思ったより普通の小説だったことにだろうか。それ程小説のルールをやぶっていない。これなら大説なんて言わないで普通に小説でええやんと思った。コズミックとかは大説だけど。