基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

清涼院流水ファンにオススメするダンガンロンパサーガ

ダンガンロンパというのは、2010年に発売された1と、今年の7月26日に発売された2を合わせたPSP専用アドベンジャーゲームのことだ。1と2の前日譚であるダンガンロンパ・ゼロを合わせた3つの作品を、ここではダンガンロンパ・サーガと読んでいる。このシリーズのことで、つい昨日ゲームの2をクリアした勢いでこの文章を書いている。ついでにいうと、その後ハマってしまったのでダンガンロンパ・ゼロの小説まで買って読破してしまった。

とても面白い物語と、そしてゲームだった。僕はゲームをほとんどやらないのだが、ここ数年ではこいつだけはちゃんとクリアしている。物語性に強く引き込まれるところもあるが、ゲームシステムと物語の親和性という意味でダンガンロンパはとても完成度が高い(もっとも、ミニゲームの部分はすごく微妙なんだけど)

ダンガンロンパサーガとわざわざ記事のタイトルにつけたのは、これらのシリーズがひとつひとつ独立した話ではあるものの、繋がり合い、関係しあうことによってひとつの壮大なサーガを形づくっているからだ。いうならば清涼院流水のJDCシリーズのように(すごく通じる人が少ない無意味な喩え)、一つ一つの作品が演出する事件が、繋がっていき、大きな「ダンガンロンパワールド」を作り上げていく。

物語は言ってしまえば非常に簡潔に表すことができる。超高校級の才能が集まる私立希望ヶ峰高校の生徒たちを中心に、「絶望」と「希望」どちらが勝つのかの勝負が行われる。才能を持つものは希望とあがめられ、一方で絶望を熱望する悪役は、希望をこの世から消し去ろうとする。その綱引きが物語を前に進める。

しかし、何がそんなに面白いのだろう。ゲーム性としての魅力は、正直言ってそんなにない。ただしゲーム性というよりかは、ゲームが持っている特質とはよく合っている。つまり世界を自分自身で動けるということであり、自分自身の選択によって(あらかじめ規定されているものでしかなくても)展開を操作できるということである。うまく違いが表せないけど、その「ゲーム自体の本質」とはよく馴染んでいる。

超高校級の才能を持った生徒たち、という設定は非常におもしろい。何よりふんだんにいくらでも物語を作成できそうな背景を持ったキャラクタたちが、無残にもばたばたと殺されていくのは興奮する。ようは暑い夏、クーラーをガンガンにきかせて布団をかぶることがたまらなく快感であるように、ふんだんに容易されたものを贅沢に消費するのは快感を伴うのだ。

ちょっと話はそれるかもしれないけれど、ゲームとしてのダンガンロンパは1も2もクローズドサークルものである。閉鎖空間に閉じ込められ、その中で超高校級の才能を持った生徒たちは殺し合いをさせられる。彼ら彼女等は殺す動機を与えられ(殺したらここから出れるよーとか)そして学級裁判によって犯行がバレなければ勝利を手にする。

むかしからこの手のクローズドサークルものはよくあり、一番有名なのはバトルロワイヤルだろう。当然「殺し合い」なんてことをやらせるのだから、黒幕の設定は非常に難しい。どんな大物を設定しようが、「ウソっぽい」のだ。超財閥だろうが国のお偉いさんだろうが今の日本でそんなことをやっていると「納得」させられる共通の組織や立場が存在していない。それはこの手のクローズドサークル物の弱点であると僕は思っていた。思っていたが、ダンガンロンパサーガはそのようなところは軽く超えてくる。

かつて『コズミック』という清涼院流水作の傑作があった。あの作品を初めて読んだ時の驚きは未だに忘れられない。そのあらすじを聞いただけで誰もが唖然とするようなケレン味あふれる物語。物語はざっくりまとめてしまえばこんなかんじだ。いわく今年中に1200個の密室で1200人が殺される。JDCという一人一人が推理能力を持っている探偵たちが、密室卿と名乗る人物を追い詰めるべく奮闘する。

そして実際に密室卿はその1200個の密室で1200人を殺す計画を着々と進めていく。そして黒幕と、トリックが語られる後編で、誰もが「そんな馬鹿な」と本を壁に投げる。圧倒的どんでん返し。誰もが納得しない結末。しかもそれだけの結末のさらにあとに、何度もとんでもないどんげん返しが起こる。読んでいて興奮が収まらなかったが、未だによくわからない。何故あの時あれだけびっくりして引きこまれてしまったのか。

でもたぶん、シンプルな話で、すっごくびっくりしたんだよね。びっくりして、あまりにもびっくりしたせいで、「整合性がとれてないじゃないか!」みたいな「当たり前のツッコミ」なんか、どうだってよくなってしまったのだ。そして整合性なんていう物から解き放たれて物語を受け入れるようになったとき、新たな面白さの軸になる「どれだけデカいハッタリがかませるのか」という点において、清涼院流水は傑出していた。

清涼院流水におけるその真髄が最も発揮されていたのは『コズミック・ゼロ』だ。普通に読んでいく中で進行していくシナリオの裏で、大きな大きな物語が動いている。そして眼の前の「希望」が成されたと思った時に、後ろで動いていた「大きな大きな絶望の物語」が現れる。ようするに、すっごくびっくりするのだ。牛をみたことがないし、概念すら聞いたことがない人が初めて牛を観た時のような価値観の転換が起こる。

ダンガンロンパシリーズがやっているのはそういうことだ(何がだ……)。目の前を進行している物語のオチを、さらに大きなハッタリで上書きする。「実は黒幕は○○でしたー!」「まあうまくまとまっているけど、しょぼいね」というがっかり感と満足感とこのシリーズが無縁なのは、正しく清涼院流水イズムを受け継いでいるからなのだ。うまいのは、その大オチともいうべきところを、前段の小さな物語にて、着実に準備していることでうまく接続できるところだろう。

残念ながら清涼院流水先生にはできなかったところである(コズミック・ゼロは良かったけど。)。正しく清涼院流水イズムを受け継いでいるといったのは、そういう意味で書いたのだった。ちなみにこの記事を書いた後で、他に同じようなこと書いている人がいたら恥ずかしいなと思って検索したらこんなものが出てきた。 この記事から引用⇒『“サイコポップ”が『ダンガンロンパ/ゼロ』に至るまで——』前編 インタビュアー/太田克史 写真撮影/尾鷲陽介 | 最前線

つぎは「影響を受けたミステリ作品、または心に残っているミステリ作品を伺いたいです!」ということですが……。
小高
やっぱあれですね……清涼院流水さんの『コズミック』!!
あとはやっぱり東野圭吾さんですね。というより、ピンポイントで『容疑者Xの献身』。あれはホント、ミステリーの最高峰だと思っていて、あれと『コズミック』をミックスさせたらどんだけすごいものが出来るのだろうなって。

ああ……やっぱり(笑) だから、ほら、清涼院流水ファンはやるんだ!!(どんだけいるのかわからないけど)。しかし容疑者Xの献身かあ……こっちは逆にいえば普通にあまりにも綺麗なミステリーなので、特徴を比較して遊ぶのは難しいかな。ある意味、すごく曲がる変化球と、すごく速い真っ直ぐを足したような矛盾といえるのかもしれない。そしてそれはこのシリーズを、的確に表しているような気もする。何にしろオススメです。

ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 PSP the Best

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スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園 (通常版)

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ダンガンロンパ/ゼロ(上) (星海社FICTIONS)

ダンガンロンパ/ゼロ(上) (星海社FICTIONS)

ダンガンロンパ/ゼロ(下) (星海社FICTIONS)

ダンガンロンパ/ゼロ(下) (星海社FICTIONS)