- 作者: 金庸,岡崎由美,小島瑞紀
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2008/12/05
- メディア: 文庫
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
あらすじ
けんかは弱いが博打は強い。揚州の花街で育った無頼少年が本作の主人公。勝つためなら相手に石灰を投げつけ、隠れて敵を攻撃する卑怯極まりない主人公なのであるが、ひょんなことから皇帝とお知り合いに。皇帝と結託して、都でも一、二を争う武芸者をひっとらえたと思いきや、今度は反政府組織にも誘われてしまって二心背反どうなる少年!
汝、金庸を知っているか?
金庸。ものすごく面白いものを書くにも関わらず、その知名度は日本において、逆うなぎ上りである(凄く知名度が低いの意味、使い方は多分違う)。何故こんなに面白いのに、知名度が低いんじゃ! とも思うのだけれども、内容が内容だけに仕方がないのかもしれない。金庸は武侠小説の書き手なのである。武侠小説が何か? という問いに対する答えをライトノベルとは何か? と同様に持っていないのだけれども、自分の主観的に言うならば『男がいっぱい出てきて剣とか拳とかでどかどか戦う小説』である。色んな人に怒られそうだけれども、大体こんな認識で問題ないと思う。そんなわけで、男がいっぱい出てきて剣とか拳とかで戦うのは…ウケナイ! いや、わかんないけど。でも、女子高生とか、主婦とか、暇な大学生とかが、そんなものを読んでいる姿が、想像できない! 伊坂幸太郎とか、東野圭吾だったらなんかこう、スタイリッシュ!! って感じだけど、金庸読んでる、なんていったって会話が続かないよ。
A「なんか最近面白い小説無い?」
B「あ、金庸って人の小説がね、ちょーおもしろいよ!」
A「へー、どんな小説? ミステリィ?」
B「えっとね、武侠! 武侠小説! タイトルはね、笑傲江湖とか、鹿鼎記!」
A「武・・・侠・・・? しょーごーこーこ?(称号考古・・・? 考古学者…?) ろくてーき?(六定期…? 六か月分の定期…?) う…うん、まあ、暇だったら読んでみるよ、ハハ」
ハードルがね、高い! 武侠とか、名前が硬いし、意味が伝わってこないし、全然スタイリッシュじゃない! 改名を要求する! タイトルも、日本人からしたら意味が分からないよ、笑傲江湖? なんだそれ? 何語だ? 訳せ! うーん、でもミステリィと言い張るのは無理があるし、SFといってもまあ嘘じゃないかもしれないけど限りなく真実を伝えていないし、歴史小説、ぐらいがちょうどいいのかもしれない。司馬遼太郎も塩野七生もいることだし、歴史小説に対するアンテナは、日本人、そんなに低くないはず。うーん、まあとにかく、何が言いたいのかというと。凄く説明しづらいし、武侠とか言われて凄いとっつきにくいだろうけれども滅茶苦茶面白いんだな、これが。金庸に対する周りの評判から外堀を埋めていくと、中国で最も有名な小説家といったら言わずもがな、この金庸先生である。中国人なら知らぬ人はいない、日本でいう村上春樹的な存在である。また村上春樹的存在だからといって、難しい話かといったらじぇんじぇんそんなことなくって、とっても単純明快。だって男と男がばっこんばっこん戦うだけだから。色んな人間が出てきて、時には冒険小説だったりラブストーリーだったり。いろいろ楽しめる、なんとも素晴らしいものを書く作家が、金庸先生なのだ。ラブコメをやらせたら現代の漫画化も真っ青な質の高いものを書いてくるし、バトルはまるで格ゲーでも見ているかのようなわかりやすさ!
そんなこといってもハードルが高いのに変わりはないのだけれども。比較的何でも抵抗なく読む自分でさえも友人にオススメされた時に、しょーごーこーこだ? 金庸だ? なんだそりゃ、食指が一ミリも動かんぞ、と思っていたぐらいだし。まあ金庸の紹介なんてここでやることじゃないんだけど。だいたい自分、実は笑傲江湖とこの鹿鼎記の一巻しか読んでないし。語る資格なんて全然ない。
主人公は史上最低
帯には武侠小説史上最低(!)のヒーローが巻き起こす痛快無比の歴史大河ロマン、とある。これが全然間違っていなくて、主人公はとにかく中国のいう英雄豪傑の行いとはとても思えない行為を連発する。相手に石灰を投げつけて、目が見えなくなっているところをぶっ殺したりウソはつくわ博打でイカサマはするわ、三十六計逃げるにしかず! と叫んで逃げる、などなど。一番しっくりくる説明が、ジョジョの『ジョセフ・ジョースター』。まるで彼の生き写しのような主人公なのだ。とにかく努力が嫌いで、武術を教えてもらっている時も面倒な修業は一切やらない。口を開けば嘘ばかり。修行をして強くなって敵に勝とうが、卑怯な行為で勝とうがどっちも同じ勝ちじゃないか! なんていいながら過ごしている。
またとにかく偉そうで、中国の歴史ものにおなじみの義兄弟のちぎりで有名な、『生まれた時は違えど死ぬ時は同じだ!』みたいなことを、自分よりかなり年上の偉い人と本書の中ではやる場面がある。相手が誓いを終え、次はそなたの番だぞと言われてこんなことを主人公はこんなことを考えている。
(あんた、おいらよりずっと年嵩じゃねえか。本当にあんたと同年同月同日に死ぬんじゃ、こちとらとんだ貧乏くじだぜ)
そんなことを思いながら、同年同月同日、と誓うところを早口で、同月同月同日とはぐらかし、お前が死んだ何十年後かに俺が、同じ月日に死んでやるよ〜ん! なんていうような外道である。
英雄豪傑とはいったいどんな奴ら?
主人公の兄貴分ともいうべき男が、卑怯な行為ばかりする主人公に対して諭す場面。
「それは違う。いくさに詐術はつきものと言ってな、計略を使うのはいいんだ。諸葛亮だって、空城計を使ったじゃないか。だが、俺たち刀一本槍一本の江湖渡世は、正々堂々とやらなきゃいかん。いくさと喧嘩はまるきり違うぞ」
喧嘩においては、詐術を使わず真剣、真っ向勝負が英雄の戦い方である。さぞや立派な人々かと思いきや、暴力をふるえないとうずうずしてくるわ、憎い敵のよわっちい手下をたたきのめして気分が晴れ晴れとするなど、それは外道なのでは…? と突っ込みたくなるようなところが多々ある。ようするに中国では、普通の喧嘩において卑怯なふるまいをしなければ結構何でも許されて、現代のわれわれが論じるような倫理観とか、道徳観から逸脱しているような行為は別にいいようなのだ。相手をぶちのめして悦にひたろうが、よわっちい相手をぼっこぼこにしたあと、呻いている相手に一人一人止めを刺して殺したり。そういうところ、日本の武士道とは結構相容れない。
あんまり語ると次の巻から書くことがなくなるからこの辺で。主人公がどんな外道行為を働いたかは、以降シリーズ化しようと思う。