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『紙の動物園』ケン・リュウによる幻想武侠譚──『蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ』

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5026)

蒲公英(ダンデライオン)王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5026)

日本オリジナル短篇集『紙の動物園』は『SFが読みたい 2016年版』で発表されたBEST SF 2015[海外篇]1位、Twitter文学賞海外編1位、本屋大賞翻訳小説部門でも2位と翻訳物の中ではかなりの高評価が続いて話題となっている。そんなケン・リュウ最新長篇が本書『蒲公英王朝記 巻ノ一: 諸王の誉れ』だ。

『紙の動物園』がSF短篇集だったのと比べてこちらはなんとSFから遠く離れて幻想武侠譚だ。それも三部作にわたって書き継がれる大長篇である。「武侠」というわりと曖昧なジャンルで、短篇は名手だけど長篇は──という作家もいるし、読む前には「おもしろいのかなあ」と不安があったのも事実。

それがいざ読んでみればこれがもうとんでもなくおもしろい。相変わらず「武侠」とは何なのかと言われると僕にはよくわからないが、それはともかくとして現実の中国史とは切り離された「架空の多島海」を舞台とし、「架空の技術発展(これは後述する)」を遂げた魅力的な世界を描きながら、そこで描かれていく荒くれ者どもの生活と、すぐに叛乱が起こって大勢の人間が死んでクズ共が成り上がりをかけてしのぎを削る有り様は何度となく中国史でみられた血みどろの歴史そのものである。

「長篇を書けるのか」などと心配していたのがバカバカしくなるぐらいにしっかりとしたデカイ構造と構想の一端を冒頭からみせ、「大きな物語(歴史)のうねりに翻弄されていく個人」の姿を描き出していく。歴史小説的な視点も内包し、既存の中国史とは切り離されているがゆえに可能な「西洋や東洋の歴史的な経緯から切り離された、オリジナルな歴史」を展開する。圧巻の長篇冒頭である。

とはいえ本書は3部作のうちの第1部、それも原書が大著であった為に邦訳版は上下巻に分けられているので、まだまだこの段階で「世紀の大傑作! 新世代の村上春樹!(翻訳もやってるし」などと盛り上がるわけにはいかないのだが、とりあえず上巻にあたる本書はかなり「期待値を上げてくれる感じ」である。というわけであまり盛り上げ過ぎないように(できるかな)、以下本書の簡単な紹介を加えていこう。

幻想武侠譚?

そもそも幻想武侠譚って何それ? と思うかもしれないが、たとえばペガサスが出てくる──とか魔法がある武侠小説──とかそういうわけではない。具体的にはどのレベルの幻想かといえば、まあ神さまが実際にいるっぽかったり、神秘的な事象が少しは存在したり、あと重要なのが「この世界ならではの生物がいる(後述)」といった感じで本書だけ読む限りではその「幻想レベル」はそこまで高くない。

だが、これが後々この世界ならではの「我々のよく知るものとはまったく異なる、新しい歴史」を紡ぐ契機になるであろうことは描写のはしばしから明らかで、今後この幻想レベルは上がっていくのではないだろうか。もう一つの柱である武侠の統一的な定義は微妙だが、本書では己の信念/信条にのっとって世界を変革しようと志す人々の物語ぐらいに思っていていいだろう。*1

世界観とか

先に書いたように架空の島々、通称ダラ諸島を舞台にしている。はるか昔に入植してきた祖先らは、7カ国にわかれ千年以上共存してきたが、ザナに生まれたとある暴君によってこれがついに統一されてしまう。国々はみな独自の言語や度量衡を定めてきたが全て統一され、皇帝を頂点とする新しい国家が成立してしまった。

物語はそんな状況からはじまる。「バラバラだった地域を、圧倒的な力でまとめあげる」というのは、中国史にかぎらず(中国史が一番多いように思うけど)歴史ではよくみられる光景だ。そして、その後に起こることも毎度お決まりと言っても良い。

傑物によってその一大事業が為されたとしても、命は有限でその後継ぎ(多くは血縁)が有能だとは限らない──むしろ権力に溺れた無能な暴君であることが多い。一度は統一されたこの世界も、それを成し遂げたマビデレ皇帝の死後、各地で叛乱が乱立し中央政府は統率がまったくとれない、大乱世へと突入していくことになる──!!

簡単なあらすじ

主人公の一人で「蒲公英」にあたる男、クニ・ガルはまあ項羽と劉邦でいえば劉邦、三国志で言えば劉備ですな。ろくに仕事もせず酒を飲み歩き、「立派な野望ってものがあるんだ」とか「おれの創造性は役人仕事に閉じこめられるわけがない」といってはばからないクズである。それでも教養もあれば物を見る目もあり、何より誠実な男で人望があった。皇帝が死に、乱世へと投入する7カ国を前に、彼は山賊の身分にまで落ち込み最底辺の暮らしを経て、自分の使命を自覚していくことになる。

 彼らは殺さないよう、重傷を負わせないよう気をつけ、奪ったもののわけまえを山のなかに散らばって住んでいる山の民にもかならず配った。「名誉を重んじる山賊の篤実の道をおれたちはたどっているんだ」クニは部下に声を合わせて朗誦することを教えた。「おれたちはザナの法が正直者の生きる余地を残さないからこそ無法者になっている」

その後叛乱の頭目にまで担ぎ上げられるクニ・ガル。この先彼がどこまでいってしまうのかさっぱりわからないのだが、迫真極まりない乱世の描写と相まって現時点でもドン底まで落ちたクニ・ガルの成り上がり英雄譚としての魅力が充実している。

シルクパンク

あらすじだけ読むと楚漢戦争を下敷きにしているだけに「中国の歴史そのままやん?」という感じもあるが、本書の中で特異性をはなっているのが「シルクパンク」の部分だ。これは作者の造語であり、訳者あとがきにて作者の言葉を借りますといって翻訳されている文章からそのまま引用させてもらうと以下のようになる。

「(……)シルクパンクは、現実には辿らなかったテクノロジーに対する強い関心をスチームパンクと共有していますが、特徴的なのは、中国の木版画に触発された視覚表現と、歴史的に東アジアにとって重要だった素材──絹や竹、牛の腱、紙、筆──および、ココヤシや鯨の骨、魚の鱗、珊瑚などといった海洋文化で利用された有機素材に重点を置いているところです。(……)」

ようは、有機素材を使うことで、特別なテクノロジーが発展した状況を描いているのである。物語中に突如としてこの設定とそれに伴う特異という他ないテクノロジーの数々が出てきた時は、何かまったく新しい、見たこともない有機的な手触りの物語が立ち上がってきたぞーーー!! なんだこれはーーーー!!! とめちゃくちゃ興奮してしまった。いわゆる西洋的な作品とは(雑すぎるかもしれんが、あえていうと)まったく別方面からのアプローチ、東洋ならではの素材で練り上げられた作品である。

完全に趣味ド真ん中

個人的な趣味であるが、僕は今ではSFをたくさん読んでいるものの元々は中国の歴史小説が何よりも好きで、大学生になるまでは一番好きな作家は宮城谷昌光か司馬遼太郎かといったぐらいであった。本書は中国の歴史小説的なおもしろさを明確に引き継ぎながら、ケン・リュウならではの要素(たとえばSF的な要素だったり)が見事に混ぜ合わされ、過去と現在の僕の趣向が完全に凝縮された「想像したこともないが求めていた作品」であり、一読して完全にノックアウトさせられてしまったのだ。

ジャンルとしては大きく違うだけに、『紙の動物園』を読んで好きだった人間に無条件に薦められるものではないのかもしれないが──少なくとも、表面的な語りなどはともかくとして、そのコアの部分、読んでいる時の手触り、流れているものは通底している(同著者なんだから当たり前だろといえばそうなのだが)。本記事を読んでおもしろそう! と思った人は、ぜひ読んでみてもらいたい逸品だ。

*1:僕の認識だと武侠小説は(というか僕が知っているのはほとんど金庸の小説ぐらいだけど)「実際の武術よりかはもっと非現実的な能力を持つ武術家たちが出てきて血みどろの抗争をする(気とかを練り上げる)」感じだったが、本書ではまだ、超越した武術家同士のバトルは中心には据えられていない。