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華文ミステリにして重い百合──『元年春之祭』

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

華文ミステリである。著者の陸秋槎さんは現在金沢に住んでいるようだが、本自体は普通に中国語で書かれ、刊行されているので本書はその翻訳版ということになる。僕は中国の小説といえば、読んだことがあるのはほとんど金庸などの武侠小説ぐらいのもので、まず中国作家が書いた、舞台が西暦以前、前漢時代でその時代の風習や文化が詰まった中国ミステリという時点で新鮮でめちゃくちゃおもしろい作品である。

だが、それ以上に僕をぐっと惹きつけたのは重い少女同士の関係性だ。著者自身が『しかし、未熟なクリエイターの僕はどうしても漢籍と、アニメ的なキャラクター表現への情愛を割愛したくなかった。』と語るように確かにキャラ造形的にはアニメ的なキャラクター表現が用いられているのだが、時代が時代なので話は重くミステリィなので人も死ぬ、しかもなぜか女性同士の重い関係性が無数に紡がれていき、麻耶雄嵩『隻眼の少女』と三津田信三『厭魅の如き憑くもの』に大きな影響を受けたと語るわで、あとがきで『けっきょく自分の好きな要素を全部一冊に詰めた結果、後で問題作と言われるようになってしまった。』と語られるのも納得の一冊なのだ。

僕は二作は読んでいないので正確な話はできないけれども、ようは中国の歴史と日本文化のミックス・ミステリのようなもので、むしろ日本読者の方がするっと受け入れられるものかもしれない。まあ、受け入れられない、なんだこれはと思ったところでおもしろければ何の問題もないし、これは問題作だろうがなんだろうが無条件におもしろい作品なので、それでいい話ではあるが。というわけで以下ざっくり紹介。

舞台とかあらすじとか

時代は先程も書いたように天漢元年(紀元前100年)、舞台は楚の雲夢澤(中国の中央よりの東あたりだと思う)である。雲夢澤で祭祀を行っている、貴族の血を引く観氏一族の元へと、長安からやってきた豪族の娘である於陵葵(おりょうき)が客として訪れる。そこで葵は観氏一族の娘たちと顔をあわせ、歳の近い観露申(かんろしん)とすぐに仲良くなることで、彼女を長安へと連れて帰ろうと画策するのだが、滞在中のある日、露申の叔母が殺されているのを、(葵が)発見してしまうのであった……。

ミステリとして最初の殺人が起こる導入部までを説明するとこんな感じだが、それまでの部分に無数の読みどころがあるのでまずそこを紹介していこう。たとえば、物語は於陵葵と観露申が雉狩りをするシーンから始まるのだけれども、その場所はかつて楚王の狩場であった土地であり、その来歴を踏まえながら雲夢澤がなぜ”澤”というのかを解説し、楚国の使者である子虚が、雲夢のことを書いた司馬相如の〈子虚賦について語り、宴会が始まれば歌や料理が振る舞われ──と、この時代、この場所ならではの膨大な歴史文献の引用と議論と文化が奔流のように押し寄せてくるのである。

一人目が殺された段階で、だいたいのキャラクタが出揃い、その個性と関係性も明らかになるわけだけれども、これがまたいい。葵は探偵小説的に単純化していえば頭がキレるが人の気持ちに土足で踏み込んでいく変人・天才系の探偵で、露申は葵の知識や推理に愚直に驚きつつも劣等感を感じている助手ポジションであるが、実態としてはなかなかハードな関係性・複雑なパーソナリティをそれぞれ抱えている。

少女同士の関係性

たとえば、自身を長安に連れていきたいという於陵葵に対して、観露申はそれに魅力を感じながらも、自分自身は特に取り柄もなければ打ち込みたい対象もなく、であればこそ親に対する忠孝に励むしかないと思っている。それを聞いた葵は露申の頬を張り飛ばし、引きずって連れて行った先で於陵の長女という恵まれた立場にいる自分の贅沢な環境とその縛り、また自分の人生の”姿勢”についてカッコよく語る。

「これから見せてあげる。いつでも私から目を離さないでいて、かならず私は見せてあげる。そもそもあなたと出会ったそのときから、私はあらゆる行動でいまのあなたの質問に答えていたのだから。露申、わかってくれる、空言に頼るよりも、その身で行動に移したほうがいいことはいくらでもあるの」

こんなこと言われたらそら何もかも捨ててついていくだろ、って感じの強い台詞だけれども、その後、葵の普段あまり表には現れない暴力的な性質が明らかになったり、露申にとって許容できない行動を葵がとるために、一歩間違えれば相手を殺しかねない危険な関係性になったりと、友情、もしくは愛が深ければ深いほど傷つけ合わずにはいられないのか──という”反転”まで込みの深い関係性が綴られていくのがたまらない! でも個人的には、川辺を散策して髪を洗う時のやりとりが最高ですね。

「小休を来させなくて、ほんとうによかったの? どうやって髪を洗うかはわかる?」
 露申が聞く。二人が出発するとき、小休は家へとどまった。
「あなたが教えて」
「そんなのいや。葵の召使いでもないのに」
「なら、私の髪も洗ってくれる」
「ねえ、恥ってなにかわかる?」
「もちろん知っている。”礼、君無恥を使わず、刑人を近づけず”。あなたを無恥とは思わないからこうして使ってあげてるの、栄誉に感じて満足するべき」

この、上だけ切り取って読むと百合小説の描写にしか思えないけどいきなり《春秋穀梁伝》からの引用が挟まって当たり前のように会話が進行していくあたりが、なんともいえない違和感というかおもしろみになっているのもいい。しかも、少女同士の関係性は葵と露申がメインのものではあるが、その他にも無数に存在するのである!

たとえば、小休は葵の世話をする召使いの少女で、主人から理不尽に罰される時もあるが全身全霊を持って付き従っている。『「ふん、私が真剣かどうか。小休にたずねる資格はない。これから私が何をしでかしても、道を踏み外して梟けい*1のたぐい(不幸とされる鳥獣)の罪を背負っても、おまえだけはかならず私の味方でいて。それが召使いとしてのおまえの本分」』など、葵が小休にもとめているものも重いが、小林が葵に主人として、巫女として求めているものも重く、両者の関係性もまた重い。

この他にも、過去の事件の唯一の生き残りで、今は露申の姉と支え合うようにして生きている若英との関係、露申と若英との関係、今は亡き露申の姉と若英の関係などもね──かつては罵り合っていたけれども、今ではすべてを捧げようする関係性などなど、どれも重くて、それも無意味な重さではないのが最高なのである。

おわりに

帯に書かれているので明かしてしまうが、二度の「読者への挑戦」が挟まれる構成も見事。まず”誰が”殺したのか。そして”なぜ”殺したのかが明かされるとあまりに鮮やかなのでもう一度最初から読み直したくなる(読み返した)。舞台が天漢元年の中国であること、アニメ的なキャラクター表現とそれを元にした少女たちの重い関係性、そしてミステリ性が全部完璧に噛み合った逸品である。

*1:「けい」も漢字なんだけど出力の仕方がわからんかった