基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

B/W(ブラック オア ホワイト) 完全犯罪研究会/清涼院流水

B/W(ブラック オア ホワイト) 完全犯罪研究会

B/W(ブラック オア ホワイト) 完全犯罪研究会

     「見よ」と生は語った。
 「わたしはつねに自分自身を超克し、
  乗り越えざるを得ないものなのだ」──ニーチェ『ツアラトゥストラ』

 一番初めの三十七ページ、ゾクゾクとしてたまらない気分を味あわせてもらいました。JDCシリーズにおける顕著な『ハッタリ』だけではなくちゃんとミステリィとしての『謎』としての役割も果たしている、素晴らしい開幕だったかと。本書の中で一番面白かったのが最初の三十七ページだったと言ってもいいかもしれません。同時発売されたコズミック・ゼロでは、大みそかに初詣に行った人々が全員消えてしまう──なんていう壮大な事件から幕が上がります。本書もパターンとしてはコズミック・ゼロと同じです。

 ある小学校を舞台に物語は始まります。教師がいつものように職員室を出、自分のクラスに行くとそこには一人の男子児童がポツンと残っているだけでした。つまり他の児童は全員失踪してしまったわけです。規模としては他の流水大説には遠く及びません。コズミック・ゼロでは初詣客が全員消えましたからね。それと比べれば小学校の一クラスぐらい…と思ってしまいそうです。ただ本書が他と違うのは膨大な謎、です。コズミックを初めて読んだ時を思い出しました。初詣客が全員消えただけだと、もはや話がでかすぎてどっかの大組織の仕業だろ? としか思えません。『ハッタリ』はきいていても、謎としては微妙です。

 本書の場合、小学校の一クラス、しかも何故か、一人の男子児童だけは残っている──。ここには何か圧倒的な謎があります。何故小学校? 何故一人の男子児童だけ? 疑問がわきおこります。しかも事件はこれだけではなく、その一人の男子児童の周りにはその後も失踪事件が続きます。なぞ、謎、ミステリィ、そういった点を非常に素晴らしい、バランスが取れている、と感じます。

 帯には清涼院流水が『羊たちの沈黙』に挑む、とあります。主人公は女性であり、まあ全てにおいて羊たちの沈黙における女性捜査官、クラリスの立ち位置です。で、当然レクター博士の立ち位置の人間もいるのですが…そこまではさすがに書けないでしょう。一番最初が一番面白かったのですが、それ以外も次第に明かされていく設定、完全犯罪研究会とは何なのか、そして巻き起こる新たな事件──と、やはり新しい流水先生は何か違う…! と思わせてくれるのにふさわしい出来でした。以下こまごまとしたこと。

テーマはなんじゃい

 だれもがそれぞれの悩みを抱えながら、それでもチカラ強く生きている。

 の部分でしょうな。もっと言うならば、善悪という狭間で揺れながら、誰もが悩み、それでいてニーチェのいう超克、超人的存在を目指して生きているというところでしょうか。正直いってコズミック・ゼロや忘レ愛、そして本書と最近立て続けに出版された三冊の本を読んで、ひょっとして大説はもう死んだんじゃないか? などと思っておりました。だけれども流水氏の言葉を借りるならば、大説とは「哲学的なまなざしを持ち続けるか、もち続けないか」という点にあるそうです。哲学的なまなざし──それが未だに失われていない事は、ニーチェを全編にわたって引用されていることからも明らかだと思います。特殊なギミックが無くなっても、文Showが無くなっても、大説である、と言えるでしょう。いやしかしほんとか? ニーチェを引用しただけで哲学的なまなざしがある、とするならば世の中には大説が溢れかえってしまう事に、なりもうすけれど。しかし大説は大説なのであまり考えるのも意味がないか。