基本読書

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アイの物語

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

 404 Blog Not Found:感無量 - 書評 - アイの物語を読んで面白そうだったので読んだ。

 本書を読まずして、もはや物語は論じ得ない。

 とまで言われて読まずにいられようか。いえ、別に物語を論じたいわけでもなければ当然物語論の専門家でもないわけですが…。
 物語論といえば本書を読んだ時に真っ先に思い出したのは神林長平の『膚の下』でした。『われわれはおまえたちを創った。おまえたちはなにを創るのか? 』←膚の下はこのエピグラフに代表されているように被創造物と、創造者の物語、本書はフィクションと現実の話であり、被創造物が創造者を超えていく物語であり、意識の話であり、人は何故文字を残すのか、それを説いた話でもあります。そんなアイの物語を読んだあとも、未だに僕のベストSFは『膚の下』なのですがわかりやすさ、読みやすさでいったら断然こちらでしょう。

 つーことで論理的で読みやすい、悪く言えば記号的でビジネス書のような(小説にしろアニメにしろすべては記号的なのですが)物語でした。テーマ、主題が率直に伝わってきて、むしろ伝わりすぎて、これは小説でやる意味ないだろ…と最初は思ってしまったぐらいです。僕は小説とは、『言葉に出来ないことをなんとかして虚構、言葉を駆使して表現しようとするもの』だと思っています。だからこそ、あまりにも論理的に結論へ向かっていく本書の短編を読んで、『それは新書でやれ』と『途中』までは思っていました。単純に言葉に出来ないことを表現することと、わかりやすいことは対立していないはずなのに勝手に対立していると思いこんでいたんですな。

 本書でも主題になっている問いの一つですが、AI(エーアイ)とは何でしょうか。『アイの物語』では人間の数は減り、人々の歴史ではロボットが反乱をおかした、ということになっています。たとえばSF物のフィクションでも、ロボットといえば反乱というぐらいに数多く語られています。それは何故かと言うと、多分ロボットの自意識とか言われても、意識がなんなのかそもそもわかんないんだから自分に引き付けて考えるしかなく、そうした場合争いを起こすことが当然のように思えてくるからでしょう。

 しかしロボットの自意識と人間の自意識は全くの別物として考えると本当に反乱が起こるかわかりません。しかし人間はロボットが反乱を犯す、としか考えられないんですね。自分たちがそうですから。つまり人間はロボットを通すことによってはじめて人間を客観的に見られるようになるのではないでしょうか。ロボット物でよく言われる一般市民への反応「何を考えているかわからないから怖い」「なにをしでかすかわからない」はすべて自分たちに対する評価でもあるわけですね。

 しかしそこまで文句なしの大傑作! と太鼓判を押すほどには好きではない。僕が好きなのは説得力のあるカオスな物語、なのかもしれません。本書はかなり統制されていて、あるべき結末に向かっていく、アニメや映画のような最初から計算づけられたシンプルな小説です。それに反して、僕が読みたいのは説得力のあるテーマにも納得の結末、ではなく説得力があるけど誰も納得できない小説、あるいは説得力があるように感じられるのだが何が何だかよくわかんないものから何かわけのわからない感動が生まれる作品、という無理難題なものが好きなんだろうなと。ただ単に好みの問題ですけれど。いや違うな…。なんかよくわからない。ごちゃごちゃした理由なんか無しに、やっぱり著者と合わない、というだけの話かもしれません。

 合わない理由としては、多分著者が読者との対話を拒んでいることがあるでしょう。独善的だといってしまってもいいかもしれません。著者ブログや活動を見ても、アポロが月にいっていない、などの説を支持している人たちをコキおろしているんですね。他のバカげた説を支持している人たちも同様に、さらにはと学会などというサークルも立ち上げてバカなことを言っている方々をあざ笑っている。確かにアポロが月にいっていないなどという説はおかしな話なのですがそんなに追及して指摘するほどのことでもないです。僕は小説は著者との対話が出来るものだと思います。アニメやゲームと違って小説は基本1人で作るものですからね。どんな結末でも、私はこう思ったけどあなたはどう思う? というなんかこうあやふやな話が好きなんですよ。反対に本書は『こうだ!』と押し付けられて去っていく感じなんですな。こっちの方がいい人もいるんでしょうが、あまり好みではありません。

 以下ネタバレ

 最終的なネタばらしとして、主人公は機械、ロボットに洗脳されてしまいます。これが最初非常に非常に気にくわなかった。何故なら人間代表ともいえる男が

 ヒトは体力でも知性でも、マシンに遠く及ばない。
 だが、劣等感はなかった。むしろすがすがしかった。馬のように早く走れないからといって、馬に対して劣等感を抱く者がいるだろうか? 鳥のように飛べないからといって、鳥を憎む者がいるだろうか?

 こういって、ロボットの方が優れていることを認め、しかし人間には人間のいいところがある、それは物語ることができること、夢を語ることができること、理想を追うこと、それがマシンを生み出し、マシンが今は人間の夢を実現しようとしていると、人間はマシンにほとんど負けてるけど、勝ってるところもあるからいいじゃんという話。しかもマシンは人間のプライドを傷つけないように、人間に襲われそうな道をわざと通って、襲わせて、そうやって食料をあげているわけです。人間はマシンに『飼ってもらっている』のがこの世界なんですよ。

 ヒトは確かに馬より早く走れなかったけれど、馬より早く走りたくて乗り物を作ったんじゃないのか、鳥のように飛べないのが悔しくて、飛行機を作ったんじゃないのか。俺たちはマシンより基本的に性能が低いから食糧から何から何まで世話してもらうけど、物語ることだけは負けないぜ! ってそれ完璧敗者の思想じゃん、何すがすがしく語って締めてんだよ、とそう思って気に喰わなかったわけです。

 しかし、人類に終わりが来るとすればこれ以上ない終わり方だなと、よく考えたら思いました。どんな人だって死んで、子どもや孫に自分の意志を継いでもらいます。人類という種だっていつかは死に絶えるでしょう。その終わり方が、人類が創ったものに乗り越えられていくのならこれはもう仕方がないことです。人間だっていつまでも若くてイケイケじゃいられねーです。