明治大学文学部 第一回読書感想文コンクールこれに応募しようと思っているのです。今回が第一回で
* 網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』
* 井上靖『天平の甍』
* 齋藤孝『子どもたちはなぜキレるのか』
* シュリーマン『古代への情熱』
* シュレーディンガー『生命とは何か』
* スティーヴンスン『宝島』
* 竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』
* 夏目漱石『坊っちゃん』
* ヘッセ『車輪の下』
* ヘミングウェイ『老人と海』
この十冊の中から一冊選び、1200文字以内で感想を書いて送ると(メール可)優秀と判断された100人は図書カード3000円分もらえるんですね。最終的に一冊の本になるそうです。
他の読書感想文コンクールですと、青少年読書感想文コンクールが有名ですがあちらは多分高校生までしか応募できない? みたいなので。こちらは社会人の部がありますし、選ばれるのが100名もいますし、図書券3000円分欲しいなーと。よこしまな上にせこい気持ちなんですなこれが。
そんで、僕はシュレーディンガー『生命とは何か』で書こうとパソコンに向かったのですが…
いきなり一行目が書けなくなってしまった。というのも、今さらな疑問ですが読書感想文が何なのか、わからなくなってしまったんですね。今までこうやってブログに書いているものを、僕は一度も『書評』とは言ったことが無くて、それはただ単に『自分ごとき人間が他人様の本を評価するなんてとんでもない!』と考えて言ってこなかったのです。
しかし良く考えてみたら、他人様の本を評価なんてとんでもないとかいいながら割とひどいことをだらだらと書いたり、つまんねーとか面白くねーとかも書いてるわけです。反対に面白かった! とだけ書くのも、『評価』のうちに入るわけであって結局のところ『書評』と言ってないだけで書いているのは評価なんですね。
で、本題に戻ると、感想がなんなのかわからなくなった。
で、いくつかお手本を探してみたわけです、読書感想文の。そこで一つのパターンを発見しました。
1.自分語りをする
これだけ。○○という主人公がいました。これこれこういう性格で、こんなことに悩んでいて、わたしも彼と同じ経験をしたことがあり〜〜以下自分の体験談を長々と、そういう経験を通じて彼に対しての共感が高まり、最後の場面では思わず涙を流してしまいました。
これだ! これしかない!
これは一例だが、どの感想文も多かれ少なかれ自分語りをすることによって成立している。
そりゃそうだ、本について何らかの評価を下せばそれは書評になってしまうのだから、『感想』として独立させたかったら徹底的に本はダシに使って自分語りをするほか無い。だからといってそういう風にして読書感想文を書くかどうかはまた別のお話…。