基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

速読のススメ

はじめに

 速読歴三週間ですがいったんまとめておこうと思います。合い間合い間に参考にした本を入れておいたので興味があったら読んでみてください。速読を練習して気がついたのは、決して一部の頭のいい人にだけ出来ることではなく、誰にでもできることだということです。たとえばちょっと想像してほしいのですが、あなたの身の回りに速読が出来る人なんていますか? たぶんあまり多くないんじゃないかと思います。しかしそれは決して難しいからではなく、速読が、生活する上でまったく必要ないからです。必要がないのに速読を覚えようとするのは結構至難かもしれません。僕は勉強したい分野が出来て、ちまちま一冊一冊読んでなんかいられない・・・! と奮起して始めたのですが、その前にも幾度か挑戦して、失敗しています。それは『なんとなく早く本が読めたら便利だろう』程度の熱だったからだなと今は思います。ということで、速読をやる上でまず一番大事なのは、速読を覚えて何をどうしたいのかよく考えること、ではないでしょうか。以下続きを読む から。
速読にはやりやすいものとやりにくいものがあります。たとえば小説、物語ですね。ゲームをプレイしている時に、早くクリアしたいから五倍速でプレイする、というようなものです。もうちょっと情緒を持ちましょう。読むこと自体を楽しむ系統の本は、速読をしない方が楽しいことは言うまでもありません。あとはまあ、ビジネス書などは最も速読をやりやすい分野の本です。最近小説をあまり読んでいないのは速読の勉強をしているせいもあったんですね。

 基本的にフォトリーディングとかいう視点移動のやり方も、その他の速読参考書も読んでもおらず、完全に自己流でこうしたらいいんじゃないか? を繰り返して練習しました。元々普通よりは読む速度が速かったこともあってか速度が十倍! なーんてことはありませんでしたが、小説は二倍で、ビジネス書に関しては三倍近く読むのが速くなり読書がさらに楽しくなりました。

速読で読書が楽しくなる

 そう、速読で読書が楽しくなる、これが実に面白いことだと思います。これは単に本がいっぱい読めて楽しい! という話ではなく(もちろんそういう側面もありますが)読書に対する考え方が大きく変わったのが一番大きいかと。今まで僕は『本は最初から最後まで読まなければならない』考えに縛られていました。そのせいで速読に手を出すこともなく、黙々と、たとえつまらなくても、わかりきっていることでも最初から最後まで読んでいました。その考えがこの一冊を読むことで変わりました→読んでいない本について堂々と語る方法。これを読んだことで気がついた一番大切なことは、『本は精読されなくてもいい』ことです。

読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法

本は精読されなくてもいい

 本を読むのがさらに楽しくなったのにはこれに気が付けたからでもあります。もうわかっていることや、書いてあることに想像がつくのなら、流し読みでいいのです。ぱらぱらっと眼を通すだけで、1ページ2秒ぐらいでしょうか。今まではそれがわからなかったからか、基本的に小説ばっかり読んでいたのですが、『本は精読されなくてもいい』ことに気が付いてから余計なストレスが減って、さらに楽しくなりました。ついでに言えば、だらだらと読んでいた部分が無くなって、一冊の本にかける集中力が増したことも楽しくなった一因だと思います。

 『本は精読されなくてもいい』と、そうはいっても精読しないと本を読んだなんていえないじゃないか、という人もいるでしょう。自分もそうだったからよくわかります。しかし『本を読んだ』状態とは、いったいどんな状態でしょうか。考えてみてほしいのですが、一冊の本を仮にひと文字も逃さずに全部読んだとして、読み終わった時に全部暗誦できるでしょうか? 

 たぶん出来ないと思います。文字は膨大で、基本的に人間は読んだ端から忘れていきます。読み終わった時に頭の中に残っているのは、全体的な本のイメージと、いくつかの印象的なフレーズ、だけでしょう。本は、本質的に不確定なもので、『全部読んだ』ことにどれ程の価値があるかはわかりません。しかし読書において重要なのは『全部読んだ』ことではなく『本からどのような価値を受け取ったか』です。ここからは僕がどうやって速読を勉強したか、を書いていきます。

図書館で100冊読む

 僕が最初に速読の勉強として選んだのは、反復練習でした。ただひたすら本を、読めなくてもいいから速く読む。その為にお金がある人は本を大量に買ってきてもいいのですが、金もなく、しかし手当たり次第に本が読んでみたかった自分は一日オフの日に図書館に殴りこんで『100冊読む』を目標にして読み始めました。100冊というと1時間に20冊読んでも5時間かかるぐらいの荒行事で、当然一日で読める量ではないので無理だったのですが、それでも4時間で50冊近く読みました…ていうかパラパラとめくりました。最初は5分で本を読んでも内容はほとんど頭に入ってこないのですが、それでも繰り返しやることで脳が文章を認識してくれるようになります。脳は高性能で、文章を眺めるようにして見ているだけでも結構認識してくれるそうです。また、ここで重要なのは『ただめくるのではなく読もうと努力しながらめくる』ことです。あーだりいなどと考えながらめくっても何の発展にもなりません。

 4時間で50冊ですから、一冊一冊熟読なんてできないのですが、面白い本は15分ぐらいかけて、つまらない本は5分ぐらいでめくりました。この繰り返しで、『早く読んでもいいつまらない部分と、少し時間をかけて読みたい面白い部分』を認識する力があがります。脳は実は凄い、と先程いいましたが、ぱらぱらとめくっているだけで頭の中に、自分のきになっているキーワードがある場合それをほとんど無意識に抽出してくれるので、ん? と思うところがあったら手を止めてよく読みましょう。100冊とはいいませんし、一冊五分で読めともいいません。自分で考えられる限り最速のペースで、楽しく読んでください。読むのがつらくてしょうがないけど速読のためにがんばる…なんていうのは絶対にやめてください。そんなんだったら速読なんてやめた方が人生楽しいです。あくまでも『楽しんで』読んでください。僕の場合、最初は1ページ1秒でめくってもまったく読めなかったのが、次第に読める、認識できるようになっていくのが快感でした。

目次を読むことで本全体の構造をつかむ

 繰り返しの途中でわかったのは、目次を読めばある程度その本が面白いか面白くないかは判別できる、ということです。あまり目次を注目して読む人はいないと思うのですが、目次を読む行為は言ってみれば勉強でいう予習で、これを読むのと読まないのとでは読む速度が大きく変わってきます。次にパラグラフごとに区切られている場合(このエントリィでいう図書館で100冊読むのように)それを一瞬で頭にたたき入れて、そのあとに続く内容をその言葉で総括するようにして読みます。
 
 もう少し詳しく言うと、パラグラフ単位で、パラグラフの頭の文章だけを読んでしまうのが最初はいいでしょう(なぜなら大事な事はパラグラフの一番最初に書いてあることが多いから)。そうすれば1ページ1秒か、もしくは2〜3秒で読めます。最初の文だけ、つまり。←まで読んでわかってもわからなくても次のパラグラフの頭の文章に行きます。慣れてきたら、パラグラフの終わりの方も読みましょう。それで大体本の構造、どんなことが書いてあるかはつかめるはずです。さらにその上のレベルになると、パラグラフとパラグラフの間をつなぐ接続詩に注意を払ってみましょう。

本は読めば読むほど読むのが速くなる

 小説の場合でも多少当てはまるのですが、ビジネス書などのノンフィクションの世界でこの傾向が顕著です。たとえば自己啓発書など書いてあることは大抵同じようなことなので、読めば読むほど『ああ、あれとおなじことだ』という感覚が増えてきて認識するのが早くなります。たとえばコミュニケーションが苦手な人だって毎日いろんな人と話していればだんだん上手になっていきますよね? あれと同じ事です。内容が違う本であっても、まえがき、あとがき、段落分け、などの基本的形式は同じなのでその分把握が速くなります。専門用語が頻出するような本をぱらぱらとめくっても、意味がわからないと読めませんよね? ですから、まったく手をかけたことのない分野の本を読む時は速読をしない…というよりかは、出来ないでしょう。じっくり読んでください。

速読・多読でビジネス力が高まる!スピード読書術

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本をいつも手元に置いておく

 これも地味な話ですが、地味故に重要です。本を速く読むためには、速く読むことに集中するだけではなく読む機会を増やすことが大切です。物理的に本を読む時間が増えれば本はよりたくさん読めます。たとえば、今日はなんだか本を読む気がしないなぁ〜〜なんて一日の初めに思ったとして、それで本を持っていかない、なんてのは論外です。気は簡単に変わりますし、読みたいと思った時に本が無いのはつらいです。持って出かけるだけではなく、家のあちこちに本を置いておきましょう。たとえば幾つも部屋があるのなら、全ての部屋に一つずつ置いておく。トイレにも置いておく。自分はトイレに星新一ショートショートを置いて、入るたびに一篇読んでいた経験があります。一日にトイレは絶対に数回は利用しますから、それだけで結構読めます。あらゆるところに本を置いておく、これが重要です。

今こそ速読の時

 ネットが普及して、本はこれから衰退する一歩で、さらには全部無くなってしまう! なんて言う人もいます。確かに衰退はしていくでしょうが、無くなるというのは明らかに考え過ぎです。それは何故かというと、情報の参照性でデジタルは紙に今のところまったく対抗できていません。むしろインターネットのおかげで今では手軽に本を買うことも、探すことも、書評を読むこともできるようになりました。僕はそんな今こそ、本の重要性がさらに高まってきているのではないかと思うのです。面白い本を手軽に探せるようになった──そんな今だからこそ大量に読むことが出来る速読が重要になってきているのではないでしょうか。美術展などで、ひとつの絵をジーっと何十分も見ている人は多分あまりいません。多くの人は割とどうでもいい作品はちらっと見て、お目当ての作品はじっくり見るでしょう。何しろ絵は多い。一つの作品にそんなに多くの時間をかけられません。取捨選択をしなければ。これと同じ事を小説でやるのが速読なのではないでしょうか。一人の人間が普通に読むには、この世界に本はあまりにも多すぎます。