- 作者: 仲正昌樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/05/19
- メディア: 新書
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何しろアーレントが使う哲学用語というのは「活動」とか「労働」とか「仕事」とかっていう、日本語ではあまりにもありふれた用語にも関わらずアーレントが使うとその意味は現実に使われている言葉の意味とかけ離れてしまうんですね。翻訳のズレというところに話を戻すと、たとえば「活動」という言葉は英語ではAction なのですが、アーレントは「活動=Action」の言葉に「演劇=Action」というような意味を含ませているというんですね。そんなこと、翻訳で読んでいる限りでは気が付くことが出来ない。アーレントを読む、ってなった時にまず最初に戸惑うのはこういった言語の解釈の難しさで、これを理解するのがなかなかハードなのです。そう、アーレントが語ることは難しい。そして難しいのだったら、それは簡単にされるべきなのだろうか、というテーマがこの本にはある。どうしたって難しくなってしまうものを簡単にしてしまった時に、そこでは何かが失われてしまうんじゃあないか、という話です。
アーレントの難しさというのは使う語句の解釈が独特という以外にも「答えを言わない」故の難しさがあります。「これこれこうするのがいい」とか、そういうことをあまり言わない。アーレントの分析では近代市民社会では、競争に疲れ果てた人たちの間で自分で考えるのを放棄して、様々な問題を一挙に解決する「答え」を示してくれる英雄のようなものを待望する気持ちが大きくなるという。自分で「考える」ことを放棄して、誰かに全部任せよう、答えを見つけてもらおうとするわけですが、アーレントはそういった人間を否定するわけです。否定した後にどうするのかっていったら、「われわれはこれからどうするのか」「善とは何か?」というような問題について、オープンに討議し続けることが人間として存在するために必要なことだという。また別の例では、これこれこういう解釈があります、またこれこれこういう解釈もありますが、これはどちらも間違いです、終わり、というような語り方もする。結局なんなんだよ!! と読んでいると思うわけですが、それを「アーレントはあなたに結局なんあんだよ!!」と言わせるために書いているのです、というように解説してしまう。結局なんなのかわかられてしまっては困るからそんな書き方をしているのに、結局なんなのかわかってしまったらそれはいいのか、悪いのか?
「話を簡単にする」読みが世の中にはありますが、しかしその大部分は、とてつもなくでかいものをわかりやすいサイズにちぎって、なんとか自分たちで活用できるようにしているだけなのではないか。その過程では少なからず何かが失われているでしょうが、また何かが付け加えられてもいるはずで、わかりやすくすることも時には必要で、この本はどーなのか、という話ですが、非常にわかりやすい。それがダメかというと、別にそーでもないという気がする。著者はあくまでも自覚的に行っている訳だし、それを幾度も本文の中で断っている訳だから。