基本読書

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〈聞く力〉を鍛える

〈聞く力〉を鍛える (講談社現代新書)

〈聞く力〉を鍛える (講談社現代新書)

 良書です。まあ良書といっても特に自分の中で良書と凡書(こんな言い方あるのか?)の区別がついているわけではないですが、それでも良書です。というのも<聞く力>の入門書として、ちゃんと「コミュニケーションとは何か」「聞く力とは何か」という問題に答えを出しているからです。人の話を聞くのはつまり、人と人とのコミュニケーションの中にある行為ですから、聞く力とは何かを把握するためにはコミュニケーションとは何かについて本質を把握しているにこしたことはないわけです。理解の段階というのはこれ、どんな事に対しても言えることだと思いますが、土台があってこそブレずにまっすぐ積み重なっていくものだと思いますからね。

コミュニケーションとは何か

 個人的にはこの「コミュニケーションとは何か」を解き明かしている部分が一番面白かったです。「入門書は「はじめに」が一番面白い。」というエントリでも書きましたけれども、物事の本質、根源的な問い、根っこの部分への問い、そういうのってすっごく面白いんですね。さて、しかしコミュニケーションとは何かという問いは、結構簡単に思えて実は凄く難しい。たとえば国語辞典で調べると「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。(以下略)」(『広辞苑』第五版)うーん正直いって、わかりずらいですよな。伝達と言われても、そこに「理解し合う」ことなどは含まれているのか? と聞きたい。

 なんかもうめんどくさいので本書でのコミュニケーションの定義を書いちゃいますが、「分け合い」、あるいは「共有」です。コミュニケーションの例をあげて考えてみると、「情報伝達」これはAが持っている情報XをBに伝えることですが、伝えた結果Bもまた情報Xを持つことになる、これは分け合いですよね。「意志の疎通」。自分がどう考えているのか、どう思っているのか、どうして欲しいのか、相手に伝える行為ですが、これは考えや思いの分け合いですね、「気持ちが通じる」ことも同様です。何も言葉だけのやり取りではなく、場所を分け合ったり、食べ物を分け合ったりするのもコミュニケーションですよね? それは言葉が通じなくたってできるコミュニケーションです。分け合いがコミュニケーションの定義だとするのならば、満足に分け合えていない状態はコミュニケーションの質がよくない状態だといえます。

 コミュニケーションの質がよくない状態を具体的に書くのならば、カラオケに行った場合を考えてもらえればわかりやすいかと思います。カラオケでは当然人、場によると思いますけれど、みんな人の歌なんて聞いていないですよね? 人が歌っている間は喋ったり、自分の曲を何入れようかなーと忙しかったり、終わった時はおざなりに拍手をする。歌いたい人ばっかりで、歌を聞こうとする人がいない、こういう現象がカラオケだけではなく、通常のコミュニケーションの場でも起こっているんじゃあないでしょうか。はたしてそれはコミュニケーションと言えるのか? ・・・いやあ、言えないでしょう。

 というところがこの本の出発点になっています。コミュニケーションは重要だ、だからみんな話す力を鍛えたり歌う力を鍛えたりする。だけれどもなぜか多くの人は聞く力を意識したりしない。なぜみんな聞く力を意識しないか、それはたぶん他の事をしていても話は聞けるぜ! という誤解からきている。人の話、歌なんてとくに意識しなくても耳から勝手に入ってくるのだから、それで聞けるのだと。当然、こんな本が出るぐらいだからそんなことはない。聞く力は厳然として存在する。その理由を説明して、じゃあどうやって聞く力を伸ばすのか…は、この本の核心ですのでここでは置いておきます。というか、正直な話、覚えてないんですよね。細かいところは。ここで書かれているのはとっても抽象的な話で、たとえば「たゆまぬ努力をしろ」みたいなことが書いてあるわけです。それでも問題は特にないと思う。なぜなら聞く力とは基本的には「どれだけ相手の話を聞こうと考えられるか」でしかないからです。聞くという行為に唯一の正解は存在しないのは、コミュニケーションが本質的に先読み不可能だから必然的なことで、だからこそ正解はない。しかしいってみれば最適解を求め続ける行為の中にこそ正解があるといえるのかもしれない。