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人間を超えた存在になりたいと願う人々──『バイオハッキング―テクノロジーで知覚を拡張する』

バイオハッキング―テクノロジーで知覚を拡張する

バイオハッキング―テクノロジーで知覚を拡張する

この本を読むまで僕もまったく知らなかったのだが、世の中にはバイオハッカー、グラインダーと呼ばれるアマチュア科学者からなる探索コミュニティーが存在しているらしい。彼らは電気工学を得意とする一派で、自分たちの身体を拡張するために”バイオハック”する。たとえば、磁石を身体の中に埋め込むとかして。磁石を身体に入れてどうすんねん、と思うが、手にコインがくっついたりしたら宴会芸的におもしろいし、磁石を身体に入れた人たちがいうには、磁気を感じ取れるようになるらしい。

本書は、そうしたバイオハッカーたちの企みや考え方を追うと同時に、人間が持つ各種の近く──視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚がどのようにして生じており、現在それを拡張・補填するどんな技術があるのかを紹介していく。もちろん、拡張・仮想現実も”人間の身体感覚の延長”にあり、取り上げられている。「味覚とは何なのか」「うま味とはいったい!?」レベルの基本的な部分の説明も多く、一冊まるっとバイオ・ハッキングについての知見を求めるとちと期待はずれ感もあるが、知覚科学全般についての科学ノンフィクションと思って読めば、すっとまとまっていておもしろい。

実用的なバイオハッキング

バイオハッキングの例として、最初に人体の感覚を拡張するために磁石を埋め込む人などを紹介してしまったが、現実的にそういう人たちは少数派だろう。本書では様々な分野で身体に機械を埋め込んだ人たちが紹介されているが、その多くは視力を失ったなど、失われた機能を補うためにサイボーグ化を受け入れている。

たとえば、視力を失った人のための人工網膜システムに、アーガスⅡというものがある。超小型の電極アレイが眼の奥に埋め込まれ、それがメガネフレームに搭載されたビデオカメラからの情報を受け取り、脳で解釈できるようにする。もちろんアーガスⅡは、完全な映像を結ぶわけではない。かわりに輪郭や境界線が閃光として見えるらしく、仕様者はそれを頼りにどこになにがあるのかを把握しながら歩いている。

 彼がこうやって見ているのは、白と黒で構成される街の通りだけではない。世界全体が、身のまわりで最も反射率が高くコントラストの強い部分を示す光の点で描かれるのだ。近づいてくる車はフロントガラスからの反射でとらえる。ビルの窓はガラスの輝きとしてとらえる。テーブルに置かれた皿といった日用品の大きさは、左端の光の点から右端の光の点までをスキャンするのにかかる時間によってわかる。「E」という文字も、コンピュータの画面上でいっぱいに拡大すれば、四本の線の輪郭と背景との境目で生じるコントラストによって、それが何かわかる。

この引用部を読んでもらってもわかるように、それは本来の視覚映像とはまったく異なっているが、脳はそうした情報を扱うのに適切な形へと変化できるようなのだ。この「脳の解釈能力の高さ」は、本書全体をテーマとして貫いている。たとえば、アーガスは本来、白と黒のコントラストだけで他の色は表現しないはずなのだが、ユーザの中には色が見えると報告してくるものがいる。錐体細胞からの色の情報を伝えていた双極細胞がまだ残っていて、電極がそれを刺激しているのかもしれない。脳は可塑性によって一方の機能が失われたとしても、他方の機能でそれを補おうとするのだ。

実用的な例としては、手術支援ロボットのダヴィンチの例もおもしろい。これは腹腔手術を支援するための内視鏡下手術支援ロボットで、人間の手では不可能な角度からの視野の確保や、ミリレベルでの緻密な動作を可能にする優れもの。それを操作するのは当然人間なわけだが、困ったことにロボットアームを操作するので人間には「触覚」のフィードバックがない。だが、熟練したダ・ヴィンチの手術者は、視覚からかなり触覚に近いフィードバックを得ているという。それは莫大な経験値に伴う、視覚から触覚への自動置換に近いものかもしれないが、とにかくそれはあるようだ。『「触れている感じがするか、ですか?」と、レンは画面上の胆嚢を処置しながら言う。「妙な話ですが、触れている感じはしますよ。視野の没入感がすごいので」』

とはいえ、現在手術用のロボットにも触覚をもたせようとする研究が進んでいる。そのためには、我々が物を押したりした時に返ってくる「感覚」がどこからきているのかといった人間自身のハックが欠かせない。指先の感覚については皮膚の伸張が重要になっているのは確かだが、それをどうやって手術に活かすのか──超小型の鉗子にフィードバック用のセンサーを埋め込むのも難儀だし、まだまだ難しそうではある。

感覚を拡張するものとしてのバイオハッキング

本書のもう一つの軸が、感覚を拡張するものとしてのバイオハッキング。より優れた人体、新たな情報を解釈できる身体に、ハードウェアを付け足すことで改造する。最初に紹介したグラインダーのような一派は、みな身体(指先や手のひらなど)に3ミリほどの小さな磁石を埋め込んでいる。何が楽しいのかよくわからんが、鳥が磁場を感じ取れるようになるように、それで磁気を感じ取ることができるようになるという。

しかし、磁石を二個ではなく十二個も埋め込んでいる点を除けば、フォレストは磁石のインプラントを求める客としてふつうだとフォン・サイボーグは言う。いち早くこれに飛びついた客は、パーティーで手にクリップや瓶のキャップをくっつける芸を見せたいとか、皮膚の上からでも見える大きな磁石を手に入れたいという身体改造者だったが、最近の客はほとんどが見せびらかすためではなく探求を目的としている。

磁石によって磁覚を得ることができるということに著者すらも懐疑的だが、先に述べたように脳には驚異的な可塑性があり、学習によって指先に埋め込まれた磁石の僅かな反応から、新たな情報を解釈できるように変化している可能性はある。

他にもこの一派は、ワイヤレス充電用の受信コイル、バッテリー、ブルートゥース接続用モジュール、一列に並んだLEDを腕に仕込んで光らせて遊ぶなど、「うーん、それ意味あんの?」としか言いようがないことをしているが*1、誰かに強要されているわけでもなく望んでやっているのであって、楽しそうではある。彼らは人体内に埋め込んで使うオリジナルの装置を開発し、販売することを目標としているが、当然ながらこのような人々が目指すのは「人体を限りなく拡張していく」未来である。

おわりに

人間には見えない世界──磁覚もそうだが、宇宙の果てで超新星が爆発したり、空を飛び交う電磁波であったりといったものが、知覚できるようになったら最高じゃない? という好奇心それ自体には僕も頷くところはしかりである。それに、実際問題こうしたマッドな挑戦と現実に当たり前に行われていることは紙一重でもある。

グーグルグラスが発売され、アップルウォッチが当たり前のものとなり、美容整形で身体にシリコンを入れるなど、いってみれば全部人間をテクノロジーによってエンハンスメントしているわけであって、”サイボーグ”といっても違いはない。ただそれは当たり前になって、誰も不思議に思わなくなってしまっただけのこと。これから先、人間のトランスヒューマン化はこれから先進む一方だろうが、どこかで歯止めがかかるのか、行くところまで行ってしまうのか、興味深いところである。

*1:実際には実証用のプロトタイプというだけなので、意味は十分にあるんだけど