基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

とある科学の超電磁砲<レールガン>を13話まで観たよ。

 自分は凄いオタクだと思っていた。特に理由もなく思っていた。がしかし…先日友人と話していたら、会話の8割が理解できなく、またアニメをほとんどまったく観ていないことから会話が成立しないことに戦慄を覚え、凄まじい敗北感に打ちひしがれる。

 というわけで今期一番盛り上がっていたと勝手に思っている「とある科学の超電磁砲<レールガン>」を13話まで観てみた。次はDTBを見てみよう。「とある魔術の禁書目録」というライトノベル作品が一番最初の原作で、そこから漫画版としてこの作品が始まり、さらにそれがアニメ化されたわけであるけれども、良いスピンオフである。しかししかし良いスピンオフの条件ってなんだろ。難しい。ので後回し。

れーるがんってこんな話

 舞台は学園都市といって、日本の東京付近? なのかな? で周りとは隔絶されていて、科学技術が他の場所より30年か20年ぐらい進んでいる実験都市であるらしい。そして、そこでは日夜超能力の開発が行われていて、実際に多数の超能力者がいる。みんな能力名が違って、テレポーターやサイコキネシスや電気使いや色々いる。そんで、能力とは別にレベルっていう軸があって、基本的にレベルが高ければ高いほど凄い能力が使える。「とある魔術の禁書目録」の方では、一応話に一本筋が通っていてその筋を追っていく話だと思うのだけれども、「とある科学の超電磁砲<レールガン>」の方では短編集、日常の細々とした事件からでっかい事件までを超能力を使って解決していく。

能力バトル

 みんなそれぞれの能力を持っているので、当然能力バトルになるのだろうと思っていたのだが、別段そんなことはない。基本的にレベルが高ければ高いほど強いので、どんなに面白い能力を持っていようが、レベルが高い奴には勝てない。そのせいか、バトルがポケモンみたいになってしまっている。なんでレベルなんていう概念があるのだろうと観ながら非常に疑問。

悲惨な学園都市

 学園都市の学生は基本的にみんな超能力が使えるのだが、そのせいで評価軸が超能力が強いか、弱いかに偏っている。たとえば資本主義国家の元であったら、どんな手段でさえお金さえあればそれなりに楽しく生きていけるのだが、学園都市は言うならば能力至上主義国家で能力のレベルが低い奴は勉強ができようが運動能力が高かろうが、ゴミに等しい、ように見えた。この作品の中に出てくる主要キャラクター4人は、レベル1レベル0レベル5レベル4と綺麗に両極端(レベル0が最低、能力ナシ、レベル5が最高。)というあれなので、レベル0の子が劣等感を感じてしまうのは仕方ないのかもしれない。この4人パーティーが特殊なだけで、実は他の学園都市の子たちは同じぐらいの能力値同士でパーティーを組んでいるからあまり問題もないのかもしれない、と思っていたが最後の方でレベルが低いが故の問題が顕在化してきて、あわや大惨事となるところであった。主人公であるみさかさんがお得意のレールガンでぶっ飛ばしたが、しかしそれはレベルが低い劣等感がその惨事を生んだという根本原因を排除したわけではないので実際あまり意味はない。

※14話を見た後に追記
 レベルアッパー使用者たちへのフォローは14話にてちゃんと補完されたので良かったです。お話自体も特に動きの無い回であるにも関わらずに、しっかりと絵として楽しめるもので非常に面白かった。 

犯罪多発都市

 あとこの都市、やけに犯罪者が多いので正直ぼくはまったくすみたくないなあと思った。まあそりゃ能力持ってたら犯罪おかしてみたくなる気持ちもわからんではないのだが、しかし自分を取り締まる相手も同様に能力者なのだから、犯罪率も外の世界とあまり変わらないのではないかという気がするのだが、どうやらこの世界では一週間に一回は銀行強盗クラスの犯罪が起き毎日各所で能力を使ったカツアゲ行為が行われている。こえー! 首輪つけとけ!

作画が素晴らしい

 あまりアニメを見ていなかったのでこれが普通なのかと思っていたらこの作品の作画は例外的に良いらしい。普通は作画監督というやつが1〜3人ぐらいしかいないらしいのだが、この作品のある回は13人近くいるとかなんとか。作画監督が何をするのかよくわからんのだが、中間管理職が13人いると考えればそれなりに大きな会社である。通常1〜3人ということを考えれば、その異常さもわかるというものだろう。アニメのカット割というのもさっぱりわからないのだが、たしかに基本として目が離せない画面の写し方になっていると感じた。このカット割ちうのは凄く不思議な物で、アニメブロガーと呼ばれるような方のカット割に隠された演出の意図みたいな解説を読んでいたら、どひゃー! そんなことまで考えないといけないのか!! とたまげたり。基本的に映像なので、驚くほど情報量が多いわけで。実写の映画であるならば、そこには不確定な要素、役者の演技、背景、光の当たり具合、などなどが絡み合ってきてまた別の味わいを出すわけだけれども、アニメの場合画面にうつっているものはすべて演出の意図するものであって、極端なことを言えば木一つとってもなにかしらの意味はある。緑が足りないから緑足しといて、みたいな。ということを考えたときにアニメというのは奥が深いなーと思うと同時に、これはこういう演出家の演出の意図だろう、と探していくのはそれはウォーリーを探せじゃねーか!! とか考えるとあまり面白いものではないよなーとも思ってしまう。とかなんとか。いや、非常に面白い作品でした。でも最後の水着回は凄くつまらなかったのでこの後観るかどうか微妙。