基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

農家の常識は社会の非常識──百姓貴族

作者は『鋼の錬金術師』がめちゃくちゃ有名な荒川弘。最近は漫画連載を一度も休まずに妊娠、出産をこなしたということで話題になっていたけれど、本書を読めばなんでそんなことが可能だったかがよくわかる。農家の日常は我々が考えている日常とは大きく隔たっている。荒川弘の母は、荒川弘を生むときに陣痛が来るまでトラクターに乗って農作業をしていたそうだ。産休? なにそれ? な世界観で育ってきた荒川弘ならば、連載に穴を開けずに続けることができたのも納得の話である。というわけで本書は、マンガ家になる前は七年間農業に従事していたという荒川弘の、農業エッセイ漫画である。内容は農家の常識は世間の非常識といった感じで、驚きの連続、そして時々考えさせられる、「死」から隔離されているわたし達の現状について。他にも、忙しい時には四時間睡眠以外は全部農作業だとか、マジでヒグマに気をつけないといけないとか、牛は頭がいいので肉にされる運命の時、泣く奴もいるとかスゲーシビア。

ただシビアな状況を、徹底しておちゃらけ、ギャグとして書かれているあたりが本書の素晴らしい点と言っていいでしょう。一瞬だけシリアスに考えを描いている場面もあり、落差によって、より突きつけられる感じがする。わたし達が普段食べているお肉には、ちゃんと生きて動いている牛とか豚がいるのだ、という厳然たる事実を、である。わたし達がスーパーで買うお肉のパックからは、そういう血なまぐさい事態を連想することはなかなかできない。わたし達が生きていくためには、綺麗事やら理屈やらを抜きにして、何かを殺さないといけないのだ、ということから必死に目を逸らそうとしているように思う事もある。そもそもわたし達には、増えすぎた自分達を生存させるために効率的に他の生物を育て、殺害するようなシステムを直視することなんてできるのだろうか? 

しかし農家にとって死は日常である。それはこのエッセイ漫画を読んでいればよくわかる。家畜は消費動物であり、いくら可愛かろうが小さかろうが苦楽を共にしようが、経営にプラスにならない時は早めに処分しなければ手間とエサ代もろもろで赤字が増えていく。慈善事業で家畜を飼っている訳ではないのだから、プラスにならなければ処分しなければならない。本書には生まれたときに脊髄かどこかを損傷して、立てなくなってしまった子牛の話が語られる。どうやっても立つことが出来ないので、獣医は「研究用に使わせてくれ」と言ってくる。つまり実験用にくれないか、といっているわけであって、それはのちに生まれてくる子牛の為になるかもしれない。しかしその子牛はあんな事やこんなことをされてあんな目やこんな目にあったりするのだ。そんなどっちが正解かなんて答えが無いような問題、なかなか答えるのは難儀だ。結果としてその牛は実験動物にはならずに、普通に殺処分となった。病死牛、事故死牛と同じトラックに載せられていく生きている子牛。前日までみんなで朝晩マッサージした子牛が運ばれていく。

鋼の錬金術師』にあるような、シビアな死生観がそこにはある。ユリイカの藤田先生との対談の中で、「残酷な事や死を特別って思っちゃうのはどうしてなんでしょうね?身近に「死」が転がっているという自覚が少ないのでしょうか?」と言っていたけれども、そういった考えはきっとこの農家の生活の中で生まれたのだ。日常的に世話をしている家畜が死んでいく生活。農家の生活って、こうしてエッセイ漫画を読んだだけでも泥くさくて辛くて、死が日常的にあって、ニワトリの内臓を素手で抜かされたりして、イヤァーなものに見えるんですけど、でも同時に凄く幸せそうにも見えるんですよ。それはこの漫画の中ではどれもコミカルにえがかれているっていうことを抜きにしても。生きるっていうことは食べるっていうことで、食べることの仕組みを全部自分で掌握して、理解しているっていうのは凄く大変だろうけど、同時に安心感も与えるんじゃないか、そしてきっと人生を幸せにするんだろうな。とかそんなことを、読んでいて思いました。

百姓貴族 (1) (ウィングス・コミックス)

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