基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

なぜ批判してまで読み続けてしまうのか?

批判するなら読まなければイイのでは?
漫画の見方を覚えましょう。

 先日書いたはじめの一歩の記事に上のようなコメントされたのだけれども、これはまったくだなぁーと思いました。わたしもつい先日の『素直になれなくて』……Twitterドラマとして始まったドラマで、放映された瞬間からほとんどTwitterが関係の無い内容に見た人が怒り狂っているのを見て、「なんで見る前から95%地雷だってわかっているのにわざわざ見るのだろう?」と疑問を持っていたのでした。

 しかしまあ「叩く為に見る」というのは周りを見ているとありがちな行為のように見えます。なぜ叩くのかと言えば、それが面白い/気持ちが良い からでしょうか。まずそれが一番大きな理由のように思います。他の人と一緒に叩いて連帯感を持ちたい、上に立っている人間を引きずり下ろしたい、などなど、黒い欲求はいくらでもあります。特に小説家さんや漫画家、脚本家映画監督、もしくは俳優や芸人などの有名人、などなど、クリエイティブと称される仕事についている人たちは叩かれる傾向にあるような気がします。というのも、批判は基本的には「ブーメラン」となって自分に返ってくるのですが、創作に人生を掲げている人たちを批判しても自分には返ってこないからなのです。わたしがニートの人に対して「死ねばいいのに」と笑っていたら、その批判はいつかわたしがニートになった時に返ってきます。「え、おれ死ななくちゃいけないの?」って。創作行為は、縁が無い人には永遠に縁が無いので批判しても返ってこないのです。

 他にも叩くことに理由をつけるとすればひと言でいえば「自分の理想と違っていたから」であり、「現実を理想に近づける為の一手段」として叩いているのかもしれません。つまり『素直になれなくて』がTwitter上で壮絶に叩かれているのは、Twitterをやっている人が思い描いているような内容のドラマではなかったし、脚本家先生の態度は思っていた以上に理想とはかけ離れていたからだ、と。このドラマで描かれている状況はおかしい、だから叩く。というように。そして次の話も同様にひどいか、もしくは改善されているかを確かめる為に 読む/観る 続けるのです。

 そういえばわたしもマガジンは毎週買っていますけれども、実は半分ぐらいしか読んでいないんですよね。なぜ他のを読んでいないのかと言えば、それはもちろん「つまらないから」というのもあるし単純に「関心がないから」というのもあります。じゃあなぜはじめの一歩を読むのかと言えば、それは「ひどい漫画になってしまったとは思うけれども、それはそれで面白いから」ですし、「昔好きだったからこそ現在のような状況を憂いている」ともいえます。この場合厄介なのは昔好きだったから現在叩いているというような状況で、その人の中には「理想のはじめの一歩」があるのと「これは愛の鞭だ」というような厄介な思い込みがあるので手に負えません。自分の理想が達成されるまで永遠にその作品を叩き続けるでしょう。怖い怖い。

 そう考えると、批判というのはなんだかあまりにも無駄な行為の様な気もします。内田樹先生という、色々本なんかを出したり合気道をしたりしている方がいるのですが、その人は合気道のお師匠様から「人の技を批判してはいけない」と言われたそうです。それを内田樹先生が「でも師匠、なぜ批判してはいけないのですか」といったら、「他人の技を批判しても、自分の技はうまくならない」と言われたとか。けだし名言というものであろう。はじめの一歩を批判したからといって、何かわたしの能力が向上するわけでもない。「批判するなら読まなければイイ」は真実であるのだ。でも一つだけ言い訳させてもらえば、アレは頑張ってはじめの一歩を楽しんで読もうとした「わたしなりの漫画の見方」であり、批判自体が面白ければ、批判もアリかな、と思うのだ。