基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

カオスの紡ぐ夢の中で/金子邦彦

大変面白く読んだ。

本書が読者に与えるのは、「新しいものの見方」「考え方」などである。読み始める前と読み終えた時では、別の人間になっていること。僕はそれが名著の定義であると思っているけれど、その意味では本書はまさに名著と言うほかない。視点を新しく付け加えられたのだから、当然である。本書『カオスの紡ぐ夢の中で/金子邦彦』は一度出版され、絶版になったが、このたび十二年ぶりに新版として市場に戻ってきたようである。

いつもならぐだぐだとだらだらと感想を書いていくところだけれども、円城塔氏の解説が単純明快で素晴らしすぎるので要所を引用するにとどめんとす。ごく簡単に前情報を説明すれば、著者の金子邦彦氏は複雑系の研究者、そしてSF作家として活躍している円城塔氏のお師匠様でもあり、円城塔という名前は本書に収録されている小説の中に出てくるとあるプログラムの名前からとられている。

と、これぐらいで充分でしょう。これから引用する円城塔氏の解説が素晴らしいんだこれが(何度でも言おう。こんなん読まされたら、他に何も書くことはないでござる。円城塔氏による他の解説仕事といえば、他にも古川日出男氏の「ハル、ハル、ハル」の解説も素晴らしかったし、解説屋になればいいのにと思ってしまったのは僕だけではなかろう(暴言

 本書には、その金子邦彦のエッセイ、小説を収める。わかりやすさを優先するなら、科学エッセイ、空想科学小説を収める。そうすると、海外の誰かの学説だとか、今評判の科学的な話題についてわかりやすく解説し、手すさびに書いた小説を合わせてみたものだなと予想される方があるかもしれない。
 異なる。
 金子邦彦の提示するのは、ある特定の科学ではなく、科学の方法に関してである。あるいは考え方に関してである。(中略)

 複雑系の教科書や、入門書というものは存在しない。それは単に、複雑とされる対象への新たな取り組み方を考えるための学問だからだ。必要ということであれば全てが要る。あらゆるものは接続し、因果の網は入り乱れ、何がどこへ影響するのか咄嗟の判断などしようがない。複雑系研究とは本来、そんな混沌をなす事象の中から、何を確固たるものとして取り出せるのかを追求する運動だと言える。誰それがそう言ったことを私は知っているので偉いのであるといった態度はそこにはありえず、これさえあれば全てがわかる魔法の杖ではましてなく、複雑なものを複雑なままに捉えるとかいう禅語のような代物でもない。
 ただ考え続けること、考えながら自分が考えたものを考え直すこと、何かを考えたことで、それまで見ていた風景が一気に変わり、またその変化の様式について考えること。
 そんな過程を続けるうちに見えてくる、当面きっと確かな言明。
 新たな発見が行われるまで命脈を繋ぐ思考方法。
 伝えられるべきものは、ある特定の式ではなくて、ある特定のモノではなくて、ひたすら続く新たな発見の運動なのだ。そんな行いについての教科書はない。ただ態度があるだけであり、本書はそれを差し出している。(中略)

 科学啓蒙書というものは、本来乗り越えられるものである。科学といえど学説は古びるものであり、逆を言うなら、乗り越えられるまでは古びない。通り一編、納得したような気分になって読み終えるようなものではない。その意味で、ある科学啓蒙書が読まれ続けることは、書き手のある種の敗北ということになる。充分に理解がされたなら、その対象は近々に乗り越えられて古びたものになるはずだからだ。
 金子邦彦の天才は、容易に読み進められるものを提示しながら、それを読むことで蒙った影響の後でも尚、新たに読みなおすことのできるものを作りだすところにある。
 一般にそれは、創造と呼ばれる。(pp.244-250)