基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

マルドゥック・スクランブル 完全版

過去に一回読んで、旧版を今年の1月の終わりぐらいになんとなく読みなおして、今回「旧版を横に置き、それを見ながら一から全部書き直した」という怨念のこもったような「完全版」で三回も読みなおしたことになります。過去に三回も読みなおした本が、果たしてあったかな、と自問してみると、これが一つも思い浮かばない。思い入れが驚くほど強い一冊なのは、たしかです。なわけで、今から書くのも感情入りまくりです。まったく冷静ではないです。

しかし──初版が出たのが2003年、およそ7年の月日を経て完結した作品が再度アニメ化、漫画化、そして「完全版」として復活する。凄い話だよなぁと思います。何しろこのマルドゥック・スクランブル、一度OVA化しようとして失敗しているわけですからね当然それを可能にしているのは何か? と疑問に思うんですが……。やっぱり「最善を尽くした作品を創る」ことに尽きるのかな、と。。

不死鳥のごとく復活する為には当然、「動機」が必要です。なぜその作品を再度アニメ化し漫画化し、「完全版」として出さなければならないのか、その理由。ひょっとしたらこの作品というか「冲方丁」が今脚光を浴びに浴びまくっているのは、「天地明察」が予想外に賞をとり、一般に浸透しはじめたことがきっかけかもしれない。

その波及効果としてマルドゥック・スクランブルまでが表舞台に再び引っ張り出されたとしてもまったく不思議ではないけれども、それは「作品の質が異常に良い」からでもある。当然のことながら作品の質がどんなに良くても、本は売れたり売れなかったり認められたり認められなかったりする。

本書は最初これを出版する当てもなく書き上げた後、どこからも出版してもらえずに何年も放浪した後にようやくハヤカワ文庫から刊行された一冊妥当です。「良い物を作っても、認められるかどうかはわからない」そうはいっても……ぼくは、「良いものを作り続けていれば、世界はそれをいつか発見する」と思いたい。

旧版のあとがきには、冲方丁はこう書いている。

 たまたま起こった事柄の意味を探り、その事柄の反復をもくろみ、そして新たな、より「価値のある」事柄を起こそうとする。それが必然へと赴くということである。

僕が本書から探りとった意味は、「最善を尽くしていればいつかは報われる」です。これが必然なのかはたまたただの偶然なのかどうかわからないけれども、もしこの意味と同様のことが知っている人の身に起こったり(バイアスがかかるのでよりそれは知覚されやすいはずだ)自分の身に起これば、僕はそれを「自分は正しかった」と思うかもしれない。

実際正しいのかもしれないし、それはただの偶然なのかもしれないけれど、しかし人はそこに「必然を見いだすことが出来る」。僕が読みとった本書のテーマ的な意味は、そこです。「偶然がなければ何も生み出されない」*1著者が何を考えているのかは知りませんけど。そして同様にこの答えが、本書最大の肝である「ギャンブルの面白さ」に繋がっていると感じる。

本作のあらすじを簡単に説明すれば、ある少女が一匹のネズミと出会い、武器を手に入れ、幾多の敵と遭遇し、自己を知り、再生と成長を経験する*2お話です。ただこれをお話にするのは簡単ではない。少女とは何かから始まり、ネズミとのパートナーシップ、信頼が生まれる過程をを描き、武器の本質に迫り、敵とは何か、自分とは何か、再生と成長とはいったいなんなのかを探る。

中でも心惹かれる問いかけが、「なぜ、私なのか」というもの。主人公のバロットは、父親にレイプされ娼婦として暮らしそこから助け出されて信頼していた男に爆死させられる。そこで「なぜ、わたしなのか」と問いかけるわけですが、相手は狂気に陥った人間です。元々の動機があったとしても、そこに答えなんかがあるわけはない。「偶然」としか答えられません。

その偶然性の結晶として出てくるのが、「ギャンブル」です。勝つも負けるも運次第。そこでバロットは、ギャンブルとは何かについて、ひいては運命、運といったものを考え始める。ギャンブルとはいうなれば、「続けていればどこかの時点で絶対に負けてしまう」ゲームです。全ての勝負に勝ち続けるなんていうことは、原理的にあり得ない。

適当に賭けても勝ち続けることもあれば、戦略を練って望んでも負け続けることがある。計算上は6割の勝敗を維持できる戦略でも、6割程度の勝率ならばたやすく運の偏りによって勝ち続けたり負け続けたりするものです。その時に何を信じればいいかといったら、「自分が6割勝てる」と決めた戦略しか無いんです。負け続けても「それでも自分は正しい」と信じて道を進む先にしか栄光は訪れない。

本当にそれが長い目で見て勝っているのか負けているのか。それはわからないけれど、恐らく人は偶然の中から必然を見いだし、そして偶然から見つけた必然を信じて、反復することによって結果的に何かを創造していく。冲方丁が出版を断られまくりながらなんとかして本作を出版しようとしたのも、その作品が今こうして大勢の人間に読まれていることも、その価値を、戦略を、冲方丁が信じ続けたからであろう、と僕は信じる。

テーマ性と実際のゲームが著しくマッチし、最善を尽くして書ききった(ギャンブルの場面を書く為に文字通り反吐を吐きながらビジネスホテルに五日間閉じこもったという。恐ろしい話)からこその、圧倒的作品の熱量があるからこそ、僕は何度もこの作品を読み返して繰り返し人の目に止まり続けるのかもな、と読んでいて思いました。

当然ながら今から読むのは完全版をお勧めします。

*1:p.136

*2:p.303