エピローグで著者が書いているように『近代経済史のような、社会史のような、文化史のような、何だかはっきりしない構成になっていますが*1』とっちらかって何がいいたいのかよくわからないところもあるし世界システム論という言葉が頻出するもののそれがどんな意味なのかよくわからなかったりして大丈夫か? と思ったりもするもののおもしろかったです。
最近学ぶ人が少なくなっている歴史学復興の為に、「現状と合致した歴史」を抽出するという試みが大変斬新で、たしかにそれでこそ歴史学は今必要とされるだろうと思いました。そんなわけでイギリス近代史。世界で最初の工業化を成し遂げ、そして衰退していったと言われる日本の現状に重なるイギリスを分析すれば、何か見えてくるものがあるかもといったところでしょうか。
で、これはそもそもの始まりの話が大変面白いんですよね。始まりが何かと言えば「都市化」です。都市はいかにして成立したのか。十六世紀十七世紀といえば日本では満年齢で十四歳ぐらいで嫁に行っていたのですが、同時代のイギリスはなんと二十歳半ばぐらいまでは結婚しないのが男女ともに普通だったそうです。
え、なんでと疑問に思うわけですが当時のイギリスには十四歳前後から短くても七年、長いと一〇年以上ものあいだどこかよその家に奉公に行く習慣があったとか。一番多いのは農家に農業従事者として往く例で、他にも親方の元について技術を学んだりしたそうです。
そうやって奉公している間に技術とお金がたまり、しかもその間は結婚できませんので、自然と現在の日本にみられるような晩婚になります。そして十年以上も親元を離れて過ごすので、奉公が終わって独立した時に親の元へ帰ることもせずに、自然と親世代は自分たちで生きて行かざるをえませんが、体力的な限界もあるわけで国に頼らざるを得ず、福祉国家に傾いて行くのです。このへんも今の日本ぽいですね。
家を出て行った若者がどこに行くのかと言えば、それは都市たるロンドンへと向かうのです。次第に人口が高まっていくロンドンでは道行く人の地位も名前もわからなくなる「匿名化」が始まります。若者が集まって誰が誰だかわからなくなった後に起こったのは、身分制度の崩壊です。道を歩いている人たちを服装でしか判断できないのですから当然です。みんな自分をいい身分に見せようと、服装に凝りだすのです
そうして生まれてきたのが、「成長パラノイア」とでもよべそうな「なんとしても成長しなければならない」という心性だと、本書ではいうのです。割とここら辺が核心かな。これが何かって言うと、よくいわれる「なんでぼくたちゃ技術がどんどん進歩してんのに仕事はなくならないの? 浮いた時間を寝てくらせないの?」という疑問への答えみたいなもので。
でもこれ、むかしの人達はまさにその疑問の体現者で、いつもの日当が二倍になったら、次の日は休んでいたそうなんですよね。生活レベルの向上を目指さず、フラットな生活レベルを目指していた時代が、ほんの少し前まではあったのです。当時は経営者も必死で「食えるくらいの給料を与えると働きにこなくなるから賃金は安く抑えるべきだ」とか考えていたそうです。
今からすればとんでもない話ですね。で、なぜこうした心性が段々と今のような成長パラノイアに変わってきたのかと言えば、それは身分制度が崩壊して身なりを取り繕うためというのがすべてではないにしろ背景の一つにはあるでしょう。他の理由としては人口の長期変化などを表、グラフに出来るようになったことによって「未来」を先取りできるようになったことなども成長パラノイアの原因として挙げられています。
そういえばちょうどそれぐらいの17世紀ぐらいに未来を知ることのできるようになる為に必須の<確率>という考え方が生まれた話が世界を変えた手紙――パスカル、フェルマーと〈確率〉の誕生 - 基本読書この本では紹介されています。
「成長パラノイア」に支配されている現代という視点で「衰退」を見ると、結局のところ「衰退って何?」というお話になると思います。「今までよりも成長率が下がったら衰退なのか?」「はたしてそれはいけないことなのか? 成長パラノイアという考え方からの脱却に他ならないのでは」
とか色々考えると面白いですね。そんな感じで。
- 作者: 川北稔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/10/16
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