なかなか刺激的な一冊。「はじめに」で「第二章を読み終えるころには、皆さんの多くが、「ダンゴムシには心がある」と、わだかまりもなく口に出せるようになると思います」などと書いてみせるあたりで、僕はすでにちょっと好きになった。そして読んでみればなるほど、確かにダンゴムシにも心はある、と思えるようになっている。ただちょっと複雑だけれど。
というのも本書で定義するところの「心」がどうにも受け入れずらい考え方だからだ。まず心を著者は観察対象の「内なるそれ」と定義する。それだけだとよくわからないのでもう少し説明すると、ある行動を発言させるとき、余計な行動の発言を自律的に抑制させる隠れた部位=内なるそれ、と定義しているのである。
まだよくわからないかもしれない。たとえば僕たちは何か行動を起こす時に、そのほかの行動を自律的に抑制している、と考えられる。勉強を二時間きっちりやろうとする時に、僕達の「心」はゲームをやりたいという欲望や、漫画を読みたいと思う欲求を抑制し、勉強する行為を発現させる。このように勉強をしている時、行動自体は机に向かう形で表れているが、その他の欲求は内部に隠されている。これが「内なるそれ」であり、「心」だと定義されている。
だから観察対象に心があるか無いかの確認は、本来ならばあり得ない予想外の行動を発現させることで行われる。つまりとある人が勉強をしている時に「ゲームしてえー」とかの欲望を内にしまいこんでいるとして、これを実験によって対象が自律的に発現させることができれば、それで「心は存在する」と言えるのではないかというのだ。
本書ではこれを実証する為のダンゴムシを使って行われた実験が幾つも紹介されているけれど、どれも非常に興味深い。実験では抑制機構を確かめる手段として、「自然では絶対に遭遇しないような未知の状況」をダンゴムシに与えることによって、その反応を見る。実験成功には、この時自律的に「予想外=普段は絶対しない行動を行う」ことが観察されることが条件となる。
すると、出るわ出るわ、ダンゴムシの不可思議な、あるいは勇気、蛮勇とさえ思えるような特殊な未知の行動が。たとえば水に阻まれた円の中に閉じ込められた場合、すべてではないものの一部のダンゴムシはなんと水の中に突進していくのである。ダンゴムシは水の中にいると息が出来なくて死んでしまうが、それでもである。
さらには「道具」の概念を思わせる、自分以外の物、状況を利用することさえある。僕は正直言ってこれを「心」と定義するのにいったいどれだけの意味があるのかよくわからないけど(心を全く抜きにしてもダンゴムシの実験は心が躍る(これは何が抑制されている表現だろう?)。)本書を読み終えたらなんだかダンゴムシがとてもかわいく思えてきた。
本書では「石」にさえ心があると豪語してみせるが、石に心を見る意味があるとすればひょっとしたらこの「わかりあえるような気がする」感覚にあるのかもしれないと思った。
ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)
- 作者: 森山徹
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