う〜んあんまり言葉でたたかう技術はなかったかな(笑)。技術的な部分は結構簡単にまとめられそうです。その最も核となる部分は、アリストテレスの弁論術にある『言論による説得には三つの種類がある。第一は語り手の性格に依存し、第二は聞き手の心を動かすことに、第三は証明または証明らしくみせる言論そのものに依存する』というものです。
性格とはキャラクターのようなものだ。小さい女の人が懸命に持論を展開していたら、なんとなく応援したくなるだろう。差別だと言われるかもしれないが、まあ、そういうものが性格としよう。「あの人の言う事ならよくわかんないけど間違いない」と思わせるものが、それだ。
第二は相手の文化、考え方にそった、訴えかけるような題材を用いて、説得を行う。第三は、もうなんでもいいから、間違っていると自分で思っていてもいいから、なんとなく証明っぽくして相手を説得しろ、という話だ。「勝てばいいんだ、勝てば」という無茶さが透けて見える。ただし、それが秘訣なのだ、と言っている、と僕は思った。「怯まない」。「なんとかして勝つ」。
いやいや、しかし、今ぱらぱらっと読み返してみたら、実は技術もたくさんありました(おい)。でも面白くより印象に残ったのは、言葉で戦う技術というよりかは「なぜ言葉で戦わなくてはいけないのか」っていう部分だということにしておきましょう。事実です。そもそも、それは本書では主に、文化格差のような言葉に集約されるのではないかと。
日本人は主に自己主張が苦手だと考えられていますし、実際にそうでしょう。大抵の場合僕も自分を強く押し出すようなことはしません。なんとなく、その場の「流れ」とかいうわけのわからないものに大勢が身を任せようとする。後々聞いてみると、みんなが望んでそうなっていると思っていたことを、誰も望んでいなかったりする(まあ、極端な話ですが)。
それは、美点でもあるのでしょう。このような震災、災害時にあっても、日本人は強い規律を示しました。実は『災害ユートピア』という本には「災害時は誰もが利他的な人間になる」といっていて、日本が特別というわけでもないのですが、その中でも特に、規律が維持されたと言えるでしょう。平時においても自販機を誰も持ってかないしね。
そう、そういう特質は日本においてはまあきちんと機能しているといえましょう。しかしいったん外に出てしまえば、これは一転弱さになる。そのような事例が本書にはたくさん紹介されています。軽い物だと相手への遠慮、好意、なんらかの見返りを考慮して「私のケーキ食べていいよ」といったらあっという間に「え? いいの?」といって全部食べて知らんぷりされたとか。
他の例をあげると。著者のアメリカ人の友人、その教え子だったが後に病死した留学生の母親に、お悔やみを言いたいと思い母親に研究室にきてもらったという。そこで母親はにこやかに息子が御世話になりましたと話したと言う。それをみて著者の友人は、息子の死をにこにことスマイルで語るなんてまったく悲しんでいないんだ! と解釈したそうだ。
もちろん、僕たち日本人ならそれが誤解であることはなんとなくわかる。その母親は気を使ったのだ。相手を悲しい気分にさせたり、みっともないところを見せるわけにはいかないと考えたのだろう。しかし、日本なら通用するその微妙なニュアンスが、文化の違いのある相手には伝わらない。
だから発信していかなければならないのだ、と極端に省略すればそうなるだろうか。
日本に居れば別にそんな必要もないのかもしれないなあと思うかもしれない。でも、「怯まない」「仮に自分の意見なんかなくても、相手の意見が間違っていると思ったら絶対に勝とうと頑張る」なんて考えている日本人、全然いないように思えるので、やれば目立てることだけは確かですね。
何が何だかよくわからないけどこんなところで。
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