とかくこの世は文章法の本が数多く出版される。
なぜか、といえばそれだけ多くの人が文章力が欲しいと思っているからだし、
ぶっちゃけ文章法の本を読んでも効果が上がらないからである。
しかし勘違いしてはいけないのは、文章法の本に書いてあることは決して間違ってはいないということだろう。むしろほとんどの場合正しいことが書かれている。読むと頷くことがおおいし、内容の差異の中からそれぞれのオリジナリティを感じることもできる。
ならばなぜ効果が上がらないのかといえば、読んだ人間がそれを実践しないから、といえる。世の中そうそううまい話はないわけで本を一冊読んだだけで文章力は向上しないのだ。能力を向上させる為には、はたからみていたらかったるいとしか思えない多くの「努力(この言葉が正しいかどうかはおいておくとして)」が必要不可欠なのだ。
だから文章法を読んでも文章力が向上しない最大の理由は「実践しないこと」にある。
ま、そんなことは別にどうでもいいんだけど。本書の主張は単純明快で、それ故絶対的に「実践」を必要とする。それは「いますぐ書け、の文章法」というタイトルにもあらわれている。
まず書くこと。
話はそれからだ。
僕もまずは書いている。
今までの不明を恥じて、本書に書いてあることを実践している。
やけに改行を挟んでいるのも、本書に書いてあったからだ。
読み手は文章がぎっしり詰まった紙面(この場合画面か)をみると読む気が失せてしまう。
まったくだ。僕だってそうだ。
だから改行をはさみ、漢字を少なくする。
本書に書かれているもう一つ重要な点として、「読む人のことを考えて書け」ということがある。
「読みやすく書く」というのはその第一歩だ。しかしあくまで第一歩。書き方だけの問題ではない。相手がどうやったら面白いと思うのか、読みたいと思うのか。それだけを考えて書くのである。
「文章を書くのは自己表現である」と考えている人も多くいるだろうが、
基本的には評価される文章とは「自分は脇において、他者に楽しんでもらえるもの」だ。
当たり前のことだが、文章を書くということはサービス業なのだ。業でなくとも人に読んでもらいたいと思うならサービス精神は欠かせない。
そして書く。スポーツと同じなのだ。サッカーがうまくなりたかったら、
サッカーの練習をしなければならないと誰もが理解する。しかしなぜかこと「怒らない人間になる」とか「文章力を上げる」といったことになると人は本を読めば良い気になっているようである。
まあわからない話ではない。サッカーの上手い下手というのはわかりやすい。水泳だろうが野球だろうが同じこと。文章や自己啓発的な部分を本に頼ってしまうのは「努力が形になって見えにくい」からだろう。だから言い訳もすぐに出来る。
話がそれた。
サッカーと同様に文章も書くことによってしか上達しない。
非常にシンプルで誰にでも理解できて、だからこそ面倒臭いから誰もやらない選択肢だ。
ただ書くこと。誰もやらないからこそやった人間は上に行ける。
そういうものだ。
- 作者: 堀井憲一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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