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放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか

放射能は怖い。なぜならそれは姿も見えないし、どこからどこまでが危険なのかさっぱり理解出来ないからだ。極端な話、東京に住んでいるだけでひそかに被曝し続けており、福島の食べ物を食べることによって招来の自分の寿命を縮めているのではないかと恐怖にかられることもあるだろう。実際、津波で2万人近くの死者が出ているにも関わらず騒がれているのは原発ばかりだ。

まあこれは津波はもう復興フェイズに入っており、原発は潜在的にこれから2万人以上の人間に影響を与える可能性があるということからきているのだろう。風評被害も入れると実際的に津波とはまた別種の甚大な被害も発生している。

本書は放射能が人体にどのようなリスクを与えるのかを正しく判断することを目的としている。しかもその主張は福島後に出る本としてはおどろくべきことに、LNT仮説は間違っており、放射能は100ミリシーベルトまではまったく問題がないという主張である。

LNT仮説とは線形のモデルで、ようするに1個100円のシャーペンを3つ買いました。300円です。というモデルである。時期に関わらず、受けた放射線はすべて体内に蓄積していき、この蓄積に比例して癌やその他諸症状の発生率も上がっていくという考え方になる。

これを否定する為の各種の実験によれば人間の身体には放射能を修復する機能が備わっており100mSv以下の被曝では明確な差異は認められない。それはつまり100mSv以下は修復できる範囲内ということである。実際広島長崎に核爆弾が落とされた時の被ばく線量と癌および白血病の発生率は200mSv以上で初めて差が出てくる。

このようなモデルを非線形モデルといって本書ではこちらを支持している。他にも日本の放射線安全センターでもLNT仮説を否定する事例が多く出ているとしている。⇒LNT(しきい値なし直線)仮説について ― 放射線安全研究センター ―

■LNT仮説の問題点
各種の線量限度等を勧告している国際放射線防護委員会(ICRP)でも、「この仮説は放射線管理の目的のためにのみ用いるべきであり、すでに起こったわずかな線量の被曝についてのリスクを評価するために用いるのは適切ではない」としています。
それにもかかわらず、微量の被ばくに対してLNT仮説を用いてリスクが評価される場合が後を絶たず(*1)、このような情報を受け取った一般の方々に誤解を与え、放射線に対する恐怖感、不安感を助長する結果になっています。

問題は、LNT仮説を元に放射能リスクを見積もることだという。実際には回復(もしくは回復はしていないのかもしれないが癌や白血病という形では表にでない)しているにも関わらず、線形モデルとしてこれを危険予測に入れることによってリスクを避けるために不必要なコストを払うことになる。

著者はこれから先の二酸化炭素やエネルギー源の問題には是非とも原子力を使うべきだという立場で利点を様々に解いてくる。放射能を本能的に恐怖するのではなく、理性で割りきって正確なリスクを出し、受け入れるべきだと。

正直言って僕は受け入れるのはさすがに無理だろう、日本だけじゃなくと思うわけですが(人間はそこまで理性に沿って割り切れる物ではない)誤ったリスク管理によって不必要なコストを払ってしまっているのならばこれは改善していく必要がある事は当然です。

本書は結論ありきで論を展開しているようなところもあってどこまで信じていいのかよくわからないけれどとにかくデータは豊富。データは信頼できる。危険を警鐘する本ばかり読んでいたからこういうのも良かった。

放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか

放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか