出落ち本の風格がたっぷりなタイトル。実際読み始めてしばらくは「うむやはりこれは出落ち本であるなあ」と思っていた。本にだって雄と雌があるとくれば当然本は交尾をするという話になり、そしたら相性のいい本の間には子どもが生まれるであろう。この物語ではこれを幻書と呼び、未だかつて書かれたことのない本が突如として生まれ、それはなぜか空をばさばさと飛んでいくから捕まえねばならぬ。
この物語はそうした幻書についての物語である。より精確にいうならば、そうした幻書を集めていた深井與次郎一族の歴史である。だから物語とはいうものの最初は深井與次郎というのがいかにホラ吹きで、屁理屈を創作を交えて語り、その書痴っぷりが激しいか、そして妻のミキが與次郎のホラ話をいかに楽しそうに聞いているかといった些細なエピソードの積み重ねである。
與次郎の兄弟の話、與次郎の息子の話、與次郎の両親の話、與次郎のライバルの話と延々と続いていくそれらの何気ないエピソードの数々は、ヘタを打てば大変つまらないものになる。が、同じ読書好きとして頷くところ感心する処多くまた彼のホラ話が(著者の笑わせ方が)うまいのもあって、つまらなくはないが、格別面白いものではないといったぐらいで推移していく。
そこまでが「うむやはりこれは出落ち本であるなあ」の部分で微妙に読むのがつらかったところだ。しかし本書には最初からひとつの謎が提示されている。それは語り手の謎である。語り手は土井博といい、深井與次郎の孫に当たる。彼が自分の息子である恵太郎に向けて、與次郎一族と幻書にまつわる物語を語りかけていくという形式をとっていくのである。
それが、なぜかという謎。これが途中まではまったく理解できず、ただ淡々と自身の息子である恵太郎に向けて幻書と與次郎についての話を続けていくのだが、あるところで物語はそこまでの馬鹿話、笑えるエピソードからしんみりしたエピソードへと切り替わる。深井與次郎の死である。もちろん人間なのだから、いつかは死ぬ。しかし深井與次郎の死は奇っ怪な謎に包まれていて、当然幻書もそこに関わってくる。
そこから幻書についての謎のさらなる解明がはじまり、ストーリーの構成上、テーマとも、幻書の持つ関係性が深くなってくる。で、ここからが理屈っぽく説明できないところなんだけど、最初は「なんだかだるいなあ」とさえ思っていた馬鹿な語り口が突然大好きな、失われてほしくないものに思えてくる。
今までさんざん馬鹿なエピソード、心あたたまるエピソードを読んできて一転死のエピソードなので、それでもところどころ馬鹿な話が挿入されるのでそれがまたいい塩梅になっているのだろう。まあ現実だけではなく物語の中でも、やはり死がないと、生を実感できないものなのかもしれないな。
そして最後、綺麗に円環が閉じるように、「なぜこの物語が恵太郎に向けて語られたのか」が明かされるのと同時に、爽快な気分になるんだな。物語を読んでいてよかったと思うのは、こういう瞬間だ。とても素敵な作品だった。
「いやあ気づかないうちに本が増えてるんだよねえ、これは勝手に本が子どもを産んでるとしか理由が考えつかないよ」とでも言ってしまいそうな人間は、共感しついつい幻書を生み出すために相性の良さげな本を、本棚に並べたくなってしまうだろう(笑)
- 作者: 小田雅久仁
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/10/22
- メディア: 単行本
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