基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

クラーケン (ハヤカワ文庫SF) by チャイナ・ミエヴィル

たいへんおもしろく読んだ。クラーケン、と名前がついているのでクトゥルフ的な意味で世界がヤバイのかと思うだろうが‥‥。相変わらず長く、密度が濃いし、ロンドン(都市)を舞台にした物語だが、随分と親切なプロットで、派手なアクション場面もあるし、情報の与え方、状況の説明の仕方が懇切丁寧で(各陣営の動機がその時々でちゃんと説明されるし)エンタメしているなあという印象。あとおどろくべきことにやり取りがいちいちギャグっぽくて、ミエヴィル作品の中では笑える方だと思う。

まずダイオウイカを崇め奉る宗教がいるという時点でアホっぽいではないか。それが話の中核となって動いていくんだからギャグにたいして真剣だな、と思わず感心してしまった。話のスケールもいつになく大きく世界を揺るがすカタストロフ的出来事へとつながっていって‥‥。しかもその発端が全部ダイオウイカ(物理)なのだ(二度目)。クトゥルフ的な(ファンタジー)な存在ではなく。

つい最近NHKで初の動く映像が撮られてから日本でも話題になっている感があるが、欧米圏ではダイオウイカへの捉え方はまったく異なる。日本人的な感覚で読むと「何デカイイカごときでそんなに盛り上がってんだ」と思えてしまうが、伝説上の生き物として慣れ親しんでいるせいかダイオウイカへの注目度は高いし、魔術的なイメージ、怪物的なイメージが根底にあるようだ。

いったいそんなアイディア脳のどこから出てくるんだよ、というアイディアの奔流は本作でも健在。ダイオウイカ教徒を中心にしてうさんくせー他の宗教団体や時空を超えて存在するどうやって殺すのかまったくわからない殺し屋の親子に、銅像からフィギュアまでなんでもいいから人型の人形に魂を移し替えて移動する謎の存在に、ヒロインっぽい立ち位置にいるのは性悪な魔法使いだったりして(このキャラクタが最高にいいんだが)個性が強すぎる面子。

ちなみに全部比喩的な意味でもなくそのままの意味になる。びっくり人間ショーかここは。ダイオウイカの標本を案内するのが主人公であるビリーのお仕事のひとつなのだが、ある日突然それが盗まれてしまう。ダイオウイカはいったい誰に、どこへ、何のために盗まれたのか?? という謎をおってプロットは進んでいく‥‥のだがもう、全編を通して怪しい雰囲気、陰謀が渦巻く雰囲気がむんむんでこれがまた楽しい。

ダイオウイカを失っていきなり現れるのが『“原理主義者およびセクト関連犯罪捜査班”と称する魔術担当の刑事たち』なのだ。魔術担当の刑事たち!! いきなり!? 魔術師に対向するためには、魔術師がいる。そして繰り広げられる魔術バトル、それも直接的なバトルではなくトラップ、監視といった方面への多彩なアプローチで能力バトルもの好きな僕は燃えた。

女性キャラクタの素晴らしさ

女性キャラクタと書いてしまうと出てきたキャラクタが素晴らしいみたいだが、コリングズウッドという『“原理主義者およびセクト関連犯罪捜査班”と称する魔術担当の刑事たち』の中の直接的に魔術を使う担当の方の女性が素敵だったという話。自分のやることを明確に理解しており、当然有能であり、折れなく、本当に警察の一組織の職員なのか、と思うほどキレキレな言動で素晴らしい。エクス=ファッキン=キューズ・ミーのように単語と単語のあいだにファッキンをいれるスタイルもしびれる。

コリングズウッドは首を振った。傍受によって急に何かが傾いたように明瞭になったたくらみのせいで、彼女はめまいを覚えた。自分が有能なことは知っている、だけどこんな情報をつかめるほどだろうか?

この「自分が有能なことは知っている」というところと、その有能さを疑える程の有能さという描写にくらくらする。

「うっえーん」コリングズウッドは泣きまねをした。「あたしが気にかけてやるとでも思うわけ?」彼女は必死に呼吸しているポールのそばに立ち、上から見おろした。彼女は実際、少しも気にしていないようだ。気の毒そうな表情などせず、めんどうごとにいらついているだけで、まるでコピー機の用紙がなくなったときのような顔だ。

いやあ素晴らしい、キャラクタではなかろうか?? コピー機の用紙がなくなったときのような顔で罵倒されるのは楽しそうだ。ツンデレとかではなく、単純に他人のことを気にせず、自身の目的外のものを判断してあっさりと切り捨てたり罵倒していけるのが気持ちよくて良いのじゃなかろうかと個人的には推察。あまりこうしたタイプのキャラクタは描かれないからかな(特に女性では)。最近だとリスベット(ミレニアム)とかもいるけど。

女性キャラクタ以外

ところで、女性キャラクタに限らず全体的にキャラクタ造形がおもしろい。今までの作品は割とシリアスというか、まじめな世界観の中で物語を動かしていく、真っ当なリアリズムにのっとった人間が多かった(かまるで人間とは異なる生物)。が、今回は300年以上存在する殺し屋の親子や人形を移動するとんでも魂野郎など漫画チックな存在が多く、そうした人知を超越したキャラクタが出てくる時の演出、会話のやりとりも面白い。

ワティは一瞬のきらめきのごとく素早く、発現はやや非有形的障害を帯び、あたかも足をもたつかせながら三本脚で疾走する犬のようだった。急げ、急げ! 陶器の胸像、騎乗の将軍、旅行代理店にあるプラスチック製のパイロット、人形、人形、ガーゴイル、操り人形、何マイルもの距離を超えてクラーケン信者の生き残りと<ロンドンマンサー>たちが待つ場所へ戻り、疲れきった自己を彼らのひとりが待つ人形の中へたぐり入れながら、息を切らして叫ぶ。

この疾走感はすごい。

世界観は魔術が入り乱れなんでもありのめちゃくちゃで、そいつらが派手なアクションを繰り広げる(それもとんでもない密度で)んだからもう過去作品との味わいが全く違う。この芸の広さと、それでも完全にリアリティを一定に保ち、文章表現の特徴とアイディアの奔流は隅から隅までミエヴィルだ。安定して素晴らしいなあと絶賛してみたり。

もっともこの作品はミエヴィルの中では僕はあまり評価が高くないけれど。ディティールはどれも素晴らしいのだけど、アイディアの豊富さとプロットの複雑さ(芯は簡単なんだけど)で他の要素が割りを食っているように感じる。せっかく良いキャラクタがいるのに、いまいち活かしきれてなかったりね。

もちろん高い水準にあるエンタテイメントであることは間違いがないし、ミエヴィル分たっぷりなのでファンも、ファンでない人間も楽しめると思う。

クラーケン(上) (ハヤカワ文庫SF)

クラーケン(上) (ハヤカワ文庫SF)

クラーケン(下) (ハヤカワ文庫SF)

クラーケン(下) (ハヤカワ文庫SF)