- 作者: チャイナ・ミエヴィル,松本剛史
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/10/05
- メディア: 単行本
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題材である1917年のロシアの、動乱に次ぐ動乱、混沌とした蜂起、現実に存在するとは思えないほど特異な人物たちのおもしろさも相まって、結末のわかっている歴史にもかかわらず、ミエヴィルの小説を読むようにしてドキドキしながら最後まで読み切ってしまった。小説家ミエヴィルのファンにも一点の曇なく薦められる一品だ。
ロシア革命とは。なぜミエヴィルが書く必要があったのか。
ロシア革命とは、1917年にロシアで起こった二度の革命のことをさす。一度目の2月には500年にわたる専制支配に終止符がうたれ、10月の革命は、史上初の社会主義国家樹立に繋がることになる。『この二月から一〇月までの月日は、絶え間ないぶつかり合いの過程であり、歴史の大きな捩れであった。そこで何が起きたか、その意味は何かといったことは、いまだに物議をかもさずにはいない。二月、そしてとりわけ一〇月のことは、自由の政治をどう見るかというプリズムであり続けている。』
ロシア革命を扱った本は、事実関係を詳細に洗ったものから、きちんとした仮説を立て、それを無数の資料から裏付けるものまで数多い。今更そうしたものを、それもわざわざミエヴィルが書く必要はどこにもないだろう。そこでミエヴィルがとった、”ロシア革命”を綴る手段は、それを叙事詩、”物語”として、あらためて現代に生き生きと描き出すことだった。そこには革命におもむく人々の熱気、ひりつくような状況の切迫感、それがとてもわずか1年の間で起こったとは思えないほど大量の動乱、混沌、疑義、破壊、再構築、希望──といったものが敷き詰められている。
だが本書は、事実関係を網羅しようとする本でもなければ、すべてを網羅しよう、学者や専門家を気取ろうとする本でもない。あの驚異の物語に関心をもち、自ら進んで革命の律動に身を任せようとする人たちのための短い序奏である。これこそまさに、私が語ろうとしている物語なんだ。一九一七年とはひとつの叙事詩であり、冒険と希望と裏切りの、ありそうにない偶然の一致の、戦争と策謀の連続する一年だった。勇敢さと臆病さの、愚行と笑劇の、豪気と悲劇の一年だった。新時代の野心と変化の、ぎらつく光と鋼と影の、線路と列車の一年だった。
微に入り細を穿つような歴史をお求めの場合には不向きだが、これほどまでにおもしろいロシア革命記はそうそうないだろう。まあ、ミエヴィル云々を抜きにして、最初に書いたように、そもそもロシア革命自体のおもしろさが飛び抜けているのだけど(登場人物的にも、波乱に次ぐ波乱という意味でプロット的にも)。
ロシア革命の圧倒的なおもしろさ
たとえば1917年前史として、過酷な労働が続き、労働運動が発展していき、読書サークル、煽動者のグループなど、志を同じくする者たちのグループが増え、デモの虐殺をきっかけとして革命への機運が破壊的に高まっていく状況が語られる。
この前史でもっとも印象に残る人物は怪僧と言われたラスプーチンだろう。予言者じみた雰囲気を持ち、宮廷の中心に居座った祈祷僧である。彼はあまりにも大きな影響力を持ってしまったがゆえに暗殺されるのだが、毒を持ってもまるで効かないし銃で撃ってもなかなか殺せないという死に際まで含めてこの世の人物とは思えない。
ロシアの体制を終わらせるのは、作り話というにはあまりに異様な、パントマイムの人物の身の毛のよだつ死ではない。ロシアの自由主義者たちが初めて見せる苛立ちでもない。無力な君主に向けられる専制原理への怒りでもない。
体制を終わらせるもの、それは下からやってくる。
前史が終わればいよいよ1917年がやってくる。中でも重要人物であるレーニンは会う人の誰もが魅了され、彼について書かずにはいられなくなるとミエヴィルが語るように、本書の中では基本的に傑物として描かれていく。その語りがまた魅力的だ。『レーニンが何につけ過ちを犯さないというわけではない。それでも彼は、いつどこで押すか、またどのように、どこまで強く押すかの鋭敏な感覚を備えている。』
2月、大規模なデモが発生し、警官隊がデモ団体に対して発砲したことから一部の兵士らが反乱を開始。市民と兵士が一丸となって反乱軍化し、別部隊による鎮圧が開始されるも次々と反乱軍に加わるばかりで、物凄い速度で広がった反乱の熱の前には無意味な試みであった。最初に反乱を起こした兵士たちの強烈な葛藤と、それでも尚、行動を起こすに至る劇的な瞬間。津波のように国家へと広がっていく喧噪、波乱、蜂起。一夜にして起こる革命の臨場感が、本書の中へと十全に詰め込まれていく。
一方その頃レーニンは亡命地におり、臨時政府をブルジョワ政府とみなし、政策不一致であり不支持を表明。亡命先のスイスでの滞在中、レーニンは頑なに、ロシア革命はやがてくるヨーロッパ、ひいては世界への革命の起爆剤になりうると主張し、大陸は革命をはらんでいると語っている。臨時政府が支配するロシアへのレーニンが帰還することによって、再度、革命への機運が高まり始めるのであった。
おわりに
本書は確かにロシア革命を扱った本ではあるが、その根底には他国にも通じ、未来にわたって生き続ける普遍的な法則が流れているし、ミエヴィルは物語を通じてそのより深い部分を見事掬い上げている。変化は必要か、変化は可能か、革命家が陥りがちな落とし穴はどこか、どんな危険がつきまとうのか、革命により何が得られ、何が失われるのか。『史上初の社会主義革命の奇妙な物語が称えられるべきなのは、ノスタルジアゆえではない。あの一〇月というすべての基準となるものが、かつて状況が一度変わったこと、再びそうなってもおかしくないということを明示しているのだ。』
抜群におもしろい本なので、ミエヴィルファンのみならずロシア革命、ひいてはより普遍的な”革命”の物語として興味を惹かれた方に読んでもらいたいところだ。しかし原書が出たばかりだっていうのに、翻訳を10月に間に合わせるのがまた粋ですね。
ミエヴィルの最近翻訳された他書はこちら(小説短篇集です。)
huyukiitoichi.hatenadiary.jp