基本読書

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Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫) by レイモンドカーヴァー

村上春樹がせっせと訳しているのは知っていたけれど、読むのは初めて。実はレイモンド・カーヴァーの伝記がでていて、それを読んだらなかなか面白かったので小説を読んでみようと思ったのです(普通順番が逆だが)。で、これが読んだらやっぱり凄かった。凄い面白かった、とも違うんだよね。おもしろかった、っていうのは僕の場合はエンタテイメントよりかな。ジェットコースターみたいなプロットの揺れ動きや文章上の派手な演出があるときはそういうけど。

おもしろかったというよりかは、やっぱり「凄いな」って感じ。文学作品ってこれこれこういうところがいい! とうまくいえないものが多いと思う。僕は今まで読んできた中で一番好きな短編はサリンジャーの『エズミに捧ぐ』なのだけど(ちょっと真っ当すぎて恥ずかしい)、この辺の短編はストーリーの起伏などまったく問題ではなく、文章の力といったものを随分感じさせる。

ほんとに、人間のさりげない一動作が随分心にしみたりする。ほんの簡単な言い回しの違い、あるいは動作の違いがその人間の表現として「これ以外にない!!」と感じさせるとき、「うわ〜〜なんだかうまくいけないけどすごいな〜〜〜〜」と思う。あるいは、なんてことのない部屋の小物の描写の一つ一つがなぜか深く納得する。エズミに捧ぐはそうしたささいな描写がどれもしっくりくる。そしてカーヴァーの短篇集から受ける印象もそれに近いものだ。

隅から隅まで、文章の一文字に至るまでよく目が凝らされている作品、といった感じ。たとえば『ささやかだけれど、役に立つこと』は喪失を経験した夫婦が、本当に些細なことをきっかけにして回復していく一瞬を書いたものだが、こうした「A Small Good Thing」が人間にいかに大きな影響をあたえ、突如として回復に転じるのかというのは「エズミ〜」と似たものを感じる。

たとえば『大聖堂』という短編で(これもまた素晴らしい)、盲人の男が妻の元を泊まりに訪ねてきて、それをうとましく思いながらも話をしているうちになぜか突然二人で大聖堂の絵を書き始め、妻が「あなたたち何をしているのよ?」と心底疑問に思うのも尻目にその想像の行為に熱中していくところなど、非現実的なものもまた素晴らしい。

どの短編でもそうだが、ふっと方向が変わる瞬間というのがある。大聖堂だったら疎ましいと思っていた相手がどうやら思っていたのとは違う人間みたいだぞ、と少し把握していくときとか、ささやかだけれど〜ではやはりどん底状態にまで落ちていった夫婦がある小さなパン屋の人生をかけた素晴らしい仕事に触れて、底から反転していくところなど。

そうしたうとしましいと思っている心情や、どん底に落ちて行く時の細やかな描写があるからこそ、そこからの反転がまたグッと来るのだと思う。どの場面でもその反転の瞬間が本当に鮮やかで、びっくりしてしまうんだよなあ。素晴らしい短篇集でした。これは本棚行きにしよう(30冊に1冊ぐらいしか本を家に残さないから)。

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)