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伝道の書に捧げる薔薇 by ロジャーゼラズニイ

伝道の書に捧げる薔薇 (ハヤカワ文庫 SF 215)

伝道の書に捧げる薔薇 (ハヤカワ文庫 SF 215)

これが初めてのゼラズニイだったりする。短篇集。最初読み始めた時は「この古くさい作品はなんなんだ……文体には読むべきところがあるけどそれ以外はちょっと……」と思ってかなり微妙かと思ってしまったが、慣れるとこの古臭さと新しさと狙い所の絶妙なズレがどこか楽しくなってくる。たとえば表題作である『伝道の書に捧げる薔薇』なんかは探検隊として火星にやってきた男が、火星人の女と恋に落ちたが彼女には土着の宗教が──みたいな「火星までいって、寿命が人間の何倍もある火星人なのに宗教に縛られすぎだろ!」的なちぐはぐさがある。

また冒頭の短編『その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯』は(原題:The Doors of His Face, The Lamps of His Mouth で超カッコイイ)は体長100メートルの超デカイ魚を釣り上げようと苦労する二人の男女の物語だが、これなんか完全に老人と海、なのに魚がいる舞台は金星の海で人類は当たり前のように星々を移動しあっている。金星で命がけの魚釣り、しかもそんな危険なことをやるにあたって理由はこんなだからちょっと笑ってしまう『「男性的理由さ」とぼく。(〜中略〜)きみも知ってるだろうけど、魚は大昔から男らしさの象徴なんだよ。』と。

象徴なのは当たり前だが、それをわざわざ台詞として愚直に説明させてしまうところが面白い。普通だったら「ド下手糞だなあ」で終わりそうなもんだが、しかしなんだろうな……こんないまさらな設定を、「大まじめにやる人間はいない」はずなのに、それをまさにやっているところにおかしさがあるようにも思う。しかも、それがなぜか面白く成立しているのだ。もちろんこの短篇集に納められているものがすべてこんなまじめに古くさい設定と宇宙やら科学要素を混ぜ込んだちぐはぐな作品というわけではない。でもそっちもまともに考えたら何がなんだかよくわからない話をあくまでも愚直に展開しているところを楽しんだな。

ちょっと違うパターンの物も紹介してみようか。たとえば僕が個人的に気に入ったのは『超緩慢な国王たち』という作品。ドラックスとドランと呼ばれる二人のグラン種族の王(そして恐らくこの惑星最後の生命体)と家臣であるロボットの一体の会話で物語は展開する。彼らの時間感覚は非常にゆっくりしているので、簡単なことを話しあうだけでも人間の感覚でいえば何世紀も経ってしまう。で、「他の惑星になんか生命体がいるんじゃないの」「連れてきてこの惑星の住民にさせようよ」「どうしよう」「どうしよう」「今動く宇宙船は何機あるの?」「4機です、国王様(ロボット)」「誰が行こうか」「どうしようか」「話し合っている間に壊れたからもう1機しかないです、国王様(ロボット)」とあまりにスローテンポなので事態が一歩も前に進まない。しょうがないからロボットをその1機に載せたら知的生命体を連れてきたけどあーでもないこーでもないと王達が議論しているうちに──と気の抜けた短編だが時間間隔の違う種族がいたらという着想が面白くて好きだ。

本作の短編はどれも、僕がたまに使う言葉でいえば「手触りのよい短編」だ。それはラディカルさには欠けているかもしれないし、アイディアが目を見張って素晴らしいというわけでもないけれど、読んでいるとしっくりと馴染む。古くさい古くさいといってきたがどれも新しい挑戦が含まれている。象徴性は一つをぽんと投げ込むのではなく象絨毯爆撃のように作品に盛り込みまくってくるのだがそれもまたおもちゃ箱みたいで読んでいて楽しい。描写の一つ一つにうんうんと頷いて楽しくなってくるような、実家のような安心感のある作品たちだ。