基本読書

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失踪日記2 アル中病棟 by 吾妻ひでお

あの『失踪日記』から早八年……失踪日記の正統なる続編。度重なる飲酒、幻覚、手足の震え、胃の痙攣の果てに、家族によって力づくで押し込まれたアル中病棟編である。

これがもう、客観性が、出てくる人物たちの奇想天外さが、アル中病棟で繰り広げられる珍事件の数々が、どれをとりあげてもとんでもなく素晴らしい。もともとアル中になりどん底へ落ちていくような実体験を突き放した客観で書いてきた前作『失踪日記』の客観性と観察能力はいまだ健在だ。本作はその能力でもってアル中病棟で出会った多種多様な人間が描写されていくのだから、これが面白くないはずがない。

表紙も前作は山の中で一人ホームレス生活をする吾妻さんのロンリーな姿だが、今回は病院の中でナースやアル中達、精神病患者達がそれぞれの思惑で跳梁跋扈する姿が俯瞰で描かれており、両者の違いがよく分かる。主に吾妻ひでおさんの行動と実体験にフォーカスが合わされていた前作と地が手、今作ではアル中病棟の人々の暮らしが綿密に描かれていく。

アルコールで脳がぐだぐだになっても吾妻さんの脳がこの客観性と観察能力と絵の狂いを探知するソフトウェア性能を失わせなかったことに感謝だ。創作者の能力であんまり話題にならないけども重要な位置を占めているのって、人間観察能力だと思うなあ。良い所も悪いところも、変な癖や面白い癖も含めて「感知する」能力。自分自身を突き放して、人からどう見えるのかがわかる能力も、もちろんその一部だ。

どのコマにも人間がいっぱい描かれていて、みんな細かく演技がつけられていたりするので情報量が多い。そして一人一人の人間にモデルがいるのだろうし、現実に起こったことを書いている漫画なのだから当然だが、リアリティがある。とんでもないことをしている人間がイても、「ああ、ほんとにこんなひといるのかもなあ」って思わせてくれる(いや、もちろん本当にいるんだろうけど。)

でもアル中病棟にでも入らないと、なかなかアル中病棟に入る人たちの集まりってはたからみているとわからないからね笑 ようは僕なんかは実際には出会う機会がほとんどない人たちなので、これが実体験漫画という体裁を持っていなかったら普通に「リアリティがない漫画だなあ」とか批判してしまいそうな感じ。

たとえばアル中の会合に毎度なぜか現れるホームレス(しかも毎日酒を飲んでいる)が、自己紹介とともに歌い出す事件とか。アル中病棟であった住人とのいざこざからくる恨みつらみ、体験を全部赤裸々に日記に書いて回覧する女の人や(よくそんなこと書けるな)、ジゴロで生活してすぐに放り出されてアル中病棟に舞い戻ってくるも、アル中病棟でさえもジゴロで資材を手に入れている奇跡的な男。

俺/私はここ(アル中病棟)から出たらまず真っ先に酒を飲む、と宣言する人間や、実際に何度も何度も飲酒を繰り返してしまって退院しても舞い戻ってくる人たち。吾妻さんの描写をみていると「そんなつらい目にあって、なぜまた飲むのか?」と思ってしまうけど、だからこそ依存症なのだろう。ほんとうに様々な、一言では言い表せないような人たちがコマにひしめいている。この失踪日記シリーズは、吾妻さん自身も含めてそうした人間たちから常に一定の距離を保っていて、その距離がまた心地良い。

「俺は出たらすぐに飲む」という人間も、ただそういう人間がいるというだけの話。そこに何らかの主観、感想が挟まれることもない。もちろん作中で吾妻ひでお自身が怒ったりすることはある(酒を飲んで運転するヤツなどに対して怒る。借りた金を返さない奴に怒る)。でもそうしたことも全部「起こったこと」のひとつとして処理されている。それで充分すぎるほどに面白いのは、アル中病棟に収監されている人たちのやりとりの切り取り方がうまいからだろう。

それにしてもこのアル中病棟での暮らしぶりって、学生寮みたい(学生寮に入ったこともないから想像だけど)。毎日みんな同じ場所で寝泊まりして、同じ場所で同じご飯を食べて、休憩時間もいっしょにいて、自治委員会でレクを企画したり、それでアル中についての講義や断酒会みたいな会合にみんなで出かけていくのだから当然だろうけれど。そしてみな、だいたいは「脱アル中」へ向けて歩む同士でもある。

友情もあれば喧嘩もあり、困難も当然あり、退院による別れと新規参入者による出会い、恋愛は──は、ほぼ描かれないが、もしこれで恋愛まで入念に描かれていたら青春モノとしてはパーフェクトだ。出てくるのがほぼおっさんだらけなので(しかもろくなやつがいない笑)色気はあまりないが、その分ナースがみんなとても美人に描かれていてよい。

しかしあらためて凄いな、と思うのは自分自身の絶望感への突き放し方だろう。どん底、お先真っ暗、夢も希望もない、みたいなブラックな話が、あくまでもユーモラスになっている。鬱はしのびよってくるなんだかかわいらしい鬱くん(男だか女だか不明。というか鬱の象徴に性別なんかあるか!?)として表現されるし、幻覚すらもなんだかコミカルだし、自殺未遂の場面ですらも笑えるのにはびっくりしてしまう。

何度も家の身近にあるものに紐を括りつけて首吊り自殺を図るもうまくいかず、最終的に家に五寸釘を売って首吊りしようとしているシーンの妻との会話「うるさいんだけど何やってるの?」「いやここに五寸釘打ってんのこれで首吊りしようと思って」「ふーん静かにやってよ」のやりとりなんかちょっと読んでて唖然としちゃったもんな。

お、おいおい目の前で人が自分が死ぬための五寸釘を打ち込んでいるのに「ふーん静かにやってよ」でいいのか……と思いもするが、でも毎日毎日首吊って死のうとして、いまだに死んでいない人間に対してだったらそんな反応になるのかもしれないなあ、と妙なリアリティを感じる。なんとか自殺しようとして紐を首にくくりつけたまま寝ちゃってるコマとか、笑えるんだけど恐ろしい。

いやあ、でもアル中って怖いなあ。楽しげで、コミカルに表現されるものの、ぞっとするような恐怖感も同居している。鬱がしのびよって自殺未遂を繰り返す。人によっては何度も何度も再入院を繰り返し、何度も何度も酒を飲み、トリップする。断酒後1年たっても突然酒が飲みたくてたまらなくなる。飲んだら終わり、いくら長年断酒しても「完治」のない病気なのだ。一度退院しても、長期断酒率は20%程度だという。そうした恐ろしさも同時に描かれている。

蛇足的だけどマンガ表現としても面白いと思う。コマに人間が大量にいて、しかもどの人間も単なるモブでなく演技をつけられている情報量の多さについては書いたが、たびたび散歩に出かけて鳥をみかけたり、蕎麦屋に出かけたり、といった人がいないコマとの落差が表現として読んでいて面白かった。人間が大勢いるコマも楽しいんだけどやっぱりちょっと息がつまる。定期的に外を1ページ使って大きく表現することで、作中の吾妻さんの開放感と読んでいるこちらの開放感がシンクロしているように感じる。

もう何からなにまでおもしろい一冊なので、オススメいたします。

失踪日記

失踪日記

失踪日記2 アル中病棟

失踪日記2 アル中病棟