基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

怪異によって人間のおぞましい本性が浮き彫りになる──『人喰観音』

人喰観音

人喰観音

早川書房から珍しく純ホラーが出た(『裏世界ピクニック』とかあるけど)と思い興味深く読んでみたけれども、これは大変怖い。『やみ窓』にて「幽」文学賞短篇部門大賞を受賞した著者による受賞後第一作であり、心霊、怪奇現象に対する怖さというよりかは、狂っていく”人間”そのものへの恐怖が克明に描かれた連作短篇集である。・

舞台となっているのは恐らくは明治時代初期頃。とある村に水辺の観音様と呼ばれる女性がおり、なんでも昔人魚を食べたとかで決して歳をとらず、常に美しくたおやかな肉体を保っており、知能は高くはないが穏やかで、多くの人に好かれ平穏に暮らしていたという。それだけではなく、ある種の予知・予感能力のようなものがあり、ある行動や人間が将来的にどのような利益や不利益をもたらすのかを見通し、人々からは重宝されていた。ところが、ある時、その能力によって不興を勝った川向うの長者によって、彼女を貶めるために偽りの噂を流され、川に流されてしまう……。

そうして川から流されてきた水辺の観音様、名前としてはスイを名乗る女は、流れていった先でたまたま彼女を拾った蒼一郎の嫁として、穏便な生活を取り戻すのであった。めでたしめでたし──と、そうはいかない。第一章「隠居屋敷」では蒼一郎とスイの生活が語られていくのだが、周囲の人間を人の道から踏み外させていく、魔力のようなものがあるのだった……。なんでも、なぜか彼女の性質をよく知り、時折彼女の周りに現れ必要なものを届けにくる東方と呼ばれる人物によれば、彼女は同時に複数の人間には憑かないという。男であれ女であれ、憑くのは必ずひとりきり。

歳をまったくとらないので、その存在は何年も過ごしていれば目立つが、時代のせいもあるのか、噂こそ流れ続けどそこまで問題になって研究機関が踏み込んでくる事態もない。では、いったい何が彼女の問題なのかといえば、『生き神様と崇められる女は、いつも鷹揚な口調で語り、しなだれかかって生の肉を喰いたがる。』というように、生で艶かしく肉を喰らうことである。馬や牛などの肉を食っている間は良いが、過去に一度、やむおえぬ事情から人肉を食べてしまった経験から、スイは人の肉を欲し始める。とはいえ、恐ろしいのは、人肉を欲し、食べることそれ自体ではない。

彼女に憑かれた人間は、憑かれたからなのか彼女の魅力に惹きつけられたのか、彼女のために多くをしてやりたいと願う。人肉を食べたいと願い、それを周囲の人間が仕方がないもの、なんとかして叶えてやりたい希望として受け入れてしまい、だんだんとそれが当たり前のものになっていく過程──人の道を、覚悟を決めて明確に踏み外していく彼女の周囲の人間が怖いのだ。それも無条件に狂わされるのであれば「そういう怪異なのね」で終わる話ではあるが、その狂っていく人間にもそれぞれの”踏み外す理由”があり、一概にスイのせいにできる狂気ばかりではないのである。それがまた時代背景を含んだ人間の怖さに繋がっている。スイという怪異にゾッとするのではなく、スイによって引き出された人間たちの心理模様にゾッとするのだ。

たとえば第一章で一番ビビったのはスイ自身ではなく、嫁ぎ先で終わりなき暴力を受け蒼一郎のもとに再度使えることになった世話役の律の”異常な執着”だし、蒼一郎が死を迎える直前からはじまって、商家の男とスイの生活が語られる第二章「飴色聖母」でいちばん恐ろしいのは、二人に使えるまた別の世話役が、二人にすべてを尽くして使えるその理由と覚悟のシーンである。そして、また大きく時が経ち第三章「白濁病棟」と第四章「藍色御殿」では二人の姉妹とスイの関わりが語られていく。

タイムスパンとしては50年以上に渡ると思うが、その間一切歳をとらずに、定期的に人の肉を喰らいながら、周囲の人々をさまざまな形でどこまでも理性的な狂気へと陥れていく。恐ろしくも悲しいのは、スイが直接的に人に害をなす怪物ではなく、その予見の能力も、歳をとらない外見も、時代が進むごとに不要なもの、彼女にとって害をなすものとなっていくところにある。人肉を欲するが、自分から誰かを殺すことはない。とはいえ、人肉を人知れず入手するのは、年々困難になってゆく。しかも、人肉を欲するようになったのも、元をたどれば彼女のせいではないのである。

ひとつひとつの描写がまた背筋が凍るようで、人の狂気に踏み込んでく時の斬りこみの速さなど、受賞後第一作にもかかわらずベテランのような精度の高さだ。全部で4篇、300ページほどの作品なので、サクッと読めるのでたいへんおすすめです。